大判例

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浦和地方裁判所熊谷支部 平成4年(ワ)371号 判決

原告

黒沢昭巳

外一四名

右一五名訴訟代理人弁護士

島田浩孝

伊藤明生

高木太郎

鈴木剛

井上聡

山本高行

山越悟

篠崎和雄

山本英司

山内一浩

国吉真弘

網野猛美

原告眞々田今朝生訴訟代理人弁護士

伊藤誠一

山下登司夫

村木一郎

神田雅道

横山聡

富永由紀子

瀧康暢

山崎徹

野本夏生

原告久保美幸、原告渡邉礼子及び原告鈴木裕幸訴訟代理人弁護士

鈴木剛

原告黒沢昭巳、原告田村武志、原告土屋今朝男、原告小森照二、原告眞々田今朝生、

原告北平スミ、原告渡邊順子及び原告堀田睦子訴訟代理人弁護士

鍛冶伸明

猪股正

被告

株式会社ニッチツ

(以下「被告ニッチツ」とも称する。)

右代表者代表取締役

田口重吉

右訴訟代理人弁護士

八代徹也

被告

菱光石灰工業株式会社

(以下「被告菱光」とも称する。)

右代表者代表取締役

神谷新

右訴訟代理人弁護士

渡辺修

吉沢貞男

山西克彦

冨田武夫

伊藤昌毅

峰隆之

主文

一  別紙「認容金額一覧表」の「被告」欄記載の被告らは、各自、同表の「原告」欄記載の各原告らに対し、同表の「認容金額合計」欄記載の各金員及び右各金員に対する平成五年四月三日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その四を原告らの負担とし、その一を被告菱光石炭工業株式会社の負担とし、その余を被告株式会社ニッチツの負担とする。

四  この判決は、第一項記載の金員のうち、同表の「仮執行認容額」欄記載の金額の限度において、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一章  原告らの請求

一  被告株式会社ニッチツは、原告黒沢昭巳、原告田村武志、原告土屋今朝男、原告眞々田今朝生、原告小森照二及び原告小山内勝雄に対し、それぞれ金三三〇〇万円及び内金三〇〇〇万円に対する平成五年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社ニッチツ及び被告菱光石炭工業株式会社は、各自、原告久保美幸、原告渡邉礼子及び原告鈴木裕幸に対し、それぞれ金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する平成五年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告株式会社ニッチツは、原告松本三津江、原告井戸範久及び原告高橋悟に対し、それぞれ金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する平成五年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告株式会社ニッチツは、原告北平スミに対し、金一六五〇万円及び内金一五〇〇万円に対する平成五年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告株式会社ニッチツは、原告渡邊順子及び原告堀田睦子に対し、それぞれ金八二五万円及び内金七五〇万円に対する平成五年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二章  当事者の主張

第一  請求原因

一  当事者

1 被告ら

(一) 被告株式会社ニッチツ(以下「被告ニッチツ」という。)

(1) 昭和四年九月、朝鮮において、鉱業及び採石業等を目的として、朝鮮鉱業開発株式会社(以下「朝鮮鉱業」という。)が設立された。昭和一五年一月、朝鮮鉱業は、商号を日窒鉱業開発株式会社(以下「日窒鉱業開発」という。)に変更した。

(2) 昭和二五年八月、日窒鉱業開発は、日窒鉱業株式会社(以下「日窒鉱業」という。)に改組された。

(3) 日窒鉱業は、昭和四八年に商号を日窒工業株式会社(以下「日窒工業」という。)に変更し、平成元年には商号を「株式会社ニッチツ」に変更した。

なお、この間、被告ニッチツは、昭和四八年三月、秩父鉱山を鉱山部門として分離し、子会社である日窒鉱山株式会社(以下「日窒鉱山」という。)を設立したが、昭和五八年には、再び日窒鉱山を吸収合併し、日窒鉱山が所有・経営していた秩父鉱山を包括的に承継した。

(二) 被告菱光石灰工業株式会社(以下「被告菱光」という。)

被告菱光は、昭和三五年一一月一日、石灰石その他各種鉱物、土石の採取、加工及び販売等を目的として設立された三菱マテリアル株式会社の子会社である。

2 原告ら(なお、後記遺族原告らを除く原告らに亡鈴木、亡井戸及び亡北平を加えた者たちを総称して、以下「患者原告ら」とう。)

(一) 患者原告らの鉱山における職歴等

原告らは、被告ら又はその請負(下請)企業ら(後記「金森組」「高原組」)に雇用されて、被告らが鉱業権を有する後記各鉱山で就労してきた者又はその相続人である。

患者原告らの職歴は別紙四(原告ら主張職歴一覧表)記載のとおりであった。

(二) 最終じん肺管理区分認定及び最終合併症認定

患者原告らは、別紙二(管理区分等一覧表)、記載のとおり、じん肺管理区分の認定及び合併症の認定を受けた。

(三) 遺族原告ら(後記原告久保ら、原告松本ら及び原告北平らを総称して、以下「遺族原告ら」という。)

(1) 原告久保美幸、原告渡邉礼子及び原告鈴木裕幸(以下「原告久保ら」という。)は、それぞれ亡鈴木の相続人である。

(2) 原告松本三津江、原告井戸範久及び高橋悟(以下「原告松本ら」という。)は、それぞれ亡井戸の相続人である。

(3) 原告北平スミ、原告渡邊順子及び原告堀田睦子(以下「原告北平ら」という。)は、それぞれ亡北平の相続人である。

二  各鉱山の概要

1 秩父鉱山

(一) 秩父鉱山には、埼玉県秩父郡大字中津川〈番地略〉に所在し、被告ニッチツが鉱業権を有する鉱山である。

(二) 秩父鉱山には、亜鉛鉱、流化鉱、鉄鉱及びマンガン鉱を主とする大黒鉱、亜鉛鉱、鉛鉱及び硫化鉱を主とする赤岩鉱、並びに鉄鉱を主とする道伸窪鉱及び中津鉱の各鉱床がある。右各鉱床は、鉱床の形態、生成時期、鉱石組成鉱物等から、早期鉱床と後期鉱床とに大別される。早期鉱床は、主に石灰石をその地層面に沿って交代した塊状鉱床であり、高温型の磁鉄鉱、黄鉄鉱及び磁硫鉄鉱が主なものである。後期鉱床は、石灰石を母岩とするが、脈状・煙突型鉱床であり、低温型の閃亜鉛鉱、方鉛鉱及び黄鉄鉱が主なものであって、鉱床上部には菱マンガン鉱及び二酸化マンガン鉱等を胚胎しているものである。右各鉱床の中では、道伸窪坑、和那波及び中津鉱床が早期鉱床に該当し、大黒、赤岩及び六助鉱床が後期鉱床に該当する。

(三)(1) 秩父鉱山の歴史は、昭和一二年七月に、朝鮮鉱業が秩父鉱山地域の六助、赤岩及び大黒の各鉱床を買収したことから始まる。

(2) 戦前は、国の重要鉱山として、中津鉱を新規開発するなどして、鉄鉱増産の要請に応えた。

(3) 戦後は、昭和二五年に日窒鉱業が設立されると、大黒鉱の亜鉛、中津鉱及び大黒鉱のマンガン、道伸窪鉱の磁鉄鉱等の開発が行なわれ、昭和四〇年には、わが国有数の大鉱山となった。その後、昭和四〇年代後半からは、主力が金属から次第にケイ砂、石灰石へと移っていった。

2 宇遠鉱山

(一) 宇遠鉱山は、埼玉県秩父郡横瀬町に所在し、武甲山の北斜面東端に位置する被告菱光が鉱業権を有する鉱山である。

(二) 宇遠鉱山においては、昭和三四年ころ以降、石灰石の採掘が行われてきた。当初は、グローリーホール方式で採掘を行っていたが、昭和四四年ころからは、順次ベンチカット方式の採掘に移行した。

(三) 被告菱光は、宇遠鉱山の採掘を三菱建設株式会社(以下「三菱建設」という。)に請け負わせており、また、三菱建設は、同鉱山の採掘、運搬坑道掘進、探鉱坑道堀進その他の作業を金森組に下請させていた。

3 宇根鉱山

(一) 宇根鉱山は、埼玉県秩父郡横瀬町に所在し、武甲山の北斜面中央に位置する被告菱光と秩父セメント株式会社とが鉱業権を有する鉱山である。

(二) 宇根鉱山においては、昭和四四年六月以降、石灰石の採掘が行われてきた。当初は、グローリーホール方式で採掘を行っていたが、昭和四八年ころからは、順次ベンチカット方式の採掘に移行した。

(三) 請負及び下請関係については、宇遠鉱山の場合と同じである。

三  じん肺の定義、病理及び特徴等

1 じん肺の定義

現じん肺法(昭和五二年六月の改正後のもの、以下「現じん肺法」という。)二条一項一号は、じん肺とは「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう」と定義している。

2 じん肺の病理

臨床病理学的には、胸部X線に異常粒状影、線状影が現れ、進行に伴って肺機能低下をきたし、最終的には「肺性心」と呼ばれる心不全にまで至ることも少なくない。

剖検すると、粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫が認められる。

3 じん肺の自覚症状

じん肺の自覚症状としては、せき、たん、息苦しさ、胸の重苦しさ、呼吸困難、息切れなどがある。

4 じん肺の特徴

じん肺は、慢性進行性、不可逆性及び全身性の疾患である。

四  じん肺の管理区分及び合併症

1 管理区分

現じん肺法四条は、じん肺の健康管理の体系として、管理一から四までを定めている。

管理一は、粉じん職場に働いてはいるが、じん肺所見のないもの、管理二、管理三イ及びロ、管理四は、じん肺所見のあるものとなっている。

この管理区分は、エックス線写真の像と肺機能障害の程度との組み合わせによって決まっている。

管理二ないし管理三ロまでについては、その段階に応じて、粉じん作業から遠ざける措置が定められており、管理四になって初めて、要療養とされ、休業補償の対象となる。一方、管理二及び三であっても、後期2(一)記載の五つの法定合併症に罹患すると、同じく要療養とされ、労働災害として休業補償が支給される。

2 合併症

(一) 現じん肺法は、以下の五種類をじん肺の法定合併症と認めている。

(1) 肺結核

(2) 結核性胸膜炎

(3) 続発性気管支炎

(4) 続発性気管支拡張症

(5) 続発性気胸

(二) その他の合併症

法定合併症以外のものでじん肺との関連が深い合併症としては、肺癌がある。

従来から、石綿作業従事者の肺癌については、業務上の疾病として扱われてきたが、石綿じん肺以外の一般のじん肺においても、肺癌が合併しやすいことが明らかになってきている。

五  被告ニッチツにおける労働実態と粉じん

1 採掘作業の概要

(一) 採鉱作業の工程

鉱石を採掘するためには、鉱脈に達するまで及び鉱脈に到着した後は鉱脈の中に向けて、水平坑道を掘削する(水平坑道掘進作業)。

次に、人の通路となる人道、あるいは鉱石等を下に落下させる漏斗の孔を開けるため、上方向または下方向に坑道を掘削していく(掘り上がり掘進、掘り下がり掘進)。

堀り上がり掘進又は掘り下がり掘進を行い、切上り坑道が上下段の水平坑道まで到達することにより、採掘準備は完了する。

右各作業に伴って、運搬作業及び支柱作業が行われる。

(二) 採掘方法

(1) 地表近くの後期鉱床の脈状あるいは煙突状の鉱床を対象として亜鉛及び硫化鉱体を採掘する場合には、上下両岩盤とも比較的堅硬であったため、専らシュリンケージ採掘法(運搬坑道の上に約四メートルの厚さの水平竜頭を残し、その上に中段坑道を水平に押してゆき、そこから上向きに、採掘した鉱石を足場にしながら、さらに上向きに採掘を続けていく方法)が採用され、採掘が進展し、対象鉱床が早期鉱床に移るに従い、サブレベル・ストーピング採掘法(人道切上りから水平に、サブレベルという中段坑道を掘削し、そのサブレベルの端から順番に下向半長孔の平行穿孔方式による起才をして鉱石を落としていく採掘法)も採用されるに至った。

ただし、道伸窪坑の場合には、開発に着手した直後の昭和三四年に大規模な磁鉄鉱鉱床が発見されたため、当初からサブレベル・ストーピング採掘法が採用された。

(2) 大黒坑(通洞坑から下四番坑までの間)、赤岩坑、大黒坑上部、和那波坑及び道伸窪坑の一部では、シュリンケージ採掘法が採用されていた。

また、道伸窪坑、赤岩坑、大黒坑の鉄鉱体においては、主としてサブレベル・ストーピング採掘法が採用されていた。

2 各作業における粉じんの発生とその曝露

(一) 坑道採掘作業においては、ダイナマイト装填のため、岩盤に削岩機で孔を開ける(削孔作業)。

その後、削岩機につながれているエアホースを外して、削孔した孔の中から繰り粉を吹き飛ばして掃除し(孔吹かし)、孔の中にダイナマイト等の火薬を装填して爆発させる(発破作業)。

これらの削孔、孔吹かし、発破の各作業において、大量の粉じんが発生する。

(二) 採掘作業においては、その準備作業のための削岩機の使用の際、削孔作業及び発破作業の際に、大量の粉じんが発生する。

(三) 切羽で採掘されたズリや鉱石の運搬の過程においては、一旦沈降、堆積していた発破による粉じんが再度空中に舞い上げられることにより、あるいは大量の粉じんが新たに発生することにより、運鉱員その他の坑内作業員は、粉じん曝露を受ける。

(四) 支柱作業においては、岩盤に支柱を固定する作業を行うために、金槌様道具を用いて岩盤に穴を穿つ際に、新たな大量の粉じんが発生する。また、支柱員が作業を行う周辺においては、他の作業員の作業によって、大量の粉じんが発生した。

(五) 以上のように、坑内の各作業現場においては、大量の粉じんが発生し、また、一旦沈降、堆積した粉じんが再度空中に舞い上げられていた。そのため、坑内のいたるところで大量の粉じんが浮遊していた。したがって、坑内に入る作業員は、保全員や坑内係員のように自らは発じん作業に従事する機会が少ない場合であっても、常に大量の粉じんの曝露を受けながら作業を行っていた。

六  被告菱光における労働実態と粉じん

1 宇遠鉱山における運搬坑道掘進作業の実態と粉じん

(一) 採石が露天堀りであることから、石灰石の鉱脈のうち、鉱山の上部の方から採石を開始し、次第に下部へ採石現場を移動させていくのが一般であった。そのため、上部の採石現場から採取した石灰石を鉱山外へ搬出するための運搬方法として、採石現場から一旦鉱山内に掘られた坑道を通過させて搬出する方法を取った。

(二) 運搬坑道掘進作業は、その採石運搬坑道の掘進作業である。運搬坑道は、ベルトコンベアを敷設したり、人道として使うための水平坑道と、高度差を利用して上部から下部へ採石を落下させるための縦抗、斜抗とに分れていた。

(三) 水平坑道は、高さが約三メートル、幅が約3.5メートルであった。その削孔作業は、四人で一組を作り、一人一台の削岩機を用いて三人が削岩作業を行い、一人がズリ取りを担当した。

削岩機を使って削孔している時間は、一日に約二時間くらいであった。

削岩機自体は湿式であったが、水は全く使っておらず、全て空繰りであった。

ウォーターパイプラインは設置されておらず、ウォータータンクを使うということもなあった。

(四) ズリ取りは主に小型ブルドーザーで行ったが、その作業中にも大量の粉じんが発生した。

2 宇根鉱山における作業の実態と粉じん

(一) グローリーホール採掘法による採石作業

(1) 宇根鉱山においては、当初グローリーホール採掘法での採石作業が行われた。

右作業は、漏斗状の採掘切羽の下部において、深さ約1.5メートルないし3.5メートルの孔を削岩機で下向きに削孔し、火薬を装填し、発破をするというものであった。右削孔・発破作業は、下部からだんだんと上部に移動し、採掘切羽の最上部まで行い、その後、次の削孔・発破作業の安全を確保するために、逆に上部から下部に向けて切羽斜面にある浮き石や転石の除去作業を行い、再び切羽の下部から上部に向けて削孔・発破作業を行うというサイクルを繰り返すものであった。

発破後の破砕された鉱石は、自然落下して、グローリーホールの底部に集められ、破砕設備を通過し、運搬坑道を経由して、坑外に搬出された。

(2) 右各作業の過程で大量の粉じんが発生した。

(二) 探鉱坑道掘進作業

(1) 採鉱と同時に、鉱脈確認のための深鉱坑道掘進作業が行われた。

探鉱坑道掘進作業は、完全な坑内作業であり、幅約二メートル、高さ約1.8メートル位の水平坑道を掘進していくものである。削孔、エア吹かし、ダイナマイトの装填、待機、発破、ズリ取りという作業の内容は、運搬坑道堀削作業の場合と同様である。

(2) 右作業の過程でも大量の粉じんが発生した。

(三) ベンチカット方式による採石作業

(1) その後、宇根鉱山では、ベンチカット方式の採石作業が採用された。

右作業の概要は、露天堀りで、対象となる鉱床を一定の厚さ(宇根鉱山の場合は約一〇メートル)でスライスしたように、階段状に順次下方へ採掘していくというものであり、「クローラードリル」と呼ばれる削岩機を使用して削孔し、発破をかけた。クローラードリルによる削岩は、クローラードリルの横に立ち、削孔位置を確認しながら、レバーを操作して削孔するというものであるが、クローラードリルの操作位置は、削孔する孔から約一メートル位しか離れていなかった。

(2) そのため、粉じんを大量に浴びることになった。

(四) その他の作業

(1) 採石現場から山の下まで採取した石灰石の原石を運搬するにあたっては、縦坑と水平坑道とを何本か交互に組み合わせて、徐々に下部へ運搬した。

水平坑道では、ベルトコンベアによって採取した石灰石を運搬した。

竪坑では、そこに石を落とし、落ちていく途中で自然に石が小さく砕けていくが、さらに、途中に小割室やクラッシャー室を設け、そこを通過させる過程でも石を細かくした。

(2) 右の各過程においても、大量の粉じんが発生した。

七  石灰石鉱山におけるじん肺罹患の危険性等

1 法制度及び学会による勧告

(一) 法律の規制の存在

石灰石鉱山は、金属鉱山の一つであり、鉱山保安法の規制の対象とされる他、金属鉱山等保安規則の適用を受けており、作業者がじん肺に罹患しないように様々な施策を取るべきことを具体的に義務付けられている。

また、現じん肺法によれば、「じん肺とは、粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病という」(二条一項1号)とされている。ここでいう「粉じん」は、旧じん肺法(昭和五二年六月改正前のもの、以下「旧じん肺法」という。)では鉱物性粉じんに限定されていたが、現じん肺法では「鉱物性」の限定を削除した。また、その解説書では、「鉱物」の例として鉱業法の適用鉱物を挙げており、その中には石灰石が含まれている。したがって、石灰石を掘削するなどの作業は、現じん肺法上の粉じん作業であることは疑問の余地がない。

そして、石灰石鉱山において発生する粉じんがじん肺の原因物質となり得ることは、これらの法規が当然の前提としていることである。

(二) 日本産業衛生学会の勧告

石灰石自体がじん肺の原因物質となり得ることは、日本産業衛生学会が石灰石を第二種粉じんとしてその許容濃度を勧告していることからしても明らかである。

2 被告菱光は、動物実験の結果(丙二〇二、二〇三、二〇四、二一七)により、純粋な石灰石粉じんによるじん肺の危険性はないと主張するが、以下の理由により、右主張は失当である。

第一に、右実験による結論は、純粋な石灰石については、許容濃度について第二種粉じん、すなわち吸入性粉じんで一立方メートル当たり一ミリグラム、総粉じんで三ミリグラムという規制は厳しすぎるとしているに過ぎない。すなわち、右の数値の約二倍である2.3ミリグラムでは異常が生じなかったというに過ぎず、それ以上のことは全く実験されていないのであって、純粋な石灰石粉じんであればじん肺の危険がないとの結論まで出されているわけではない。

第二に、右実験は、平均3.5ミクロン(3.2ないし3.7ミクロン)の粉じんではラットに線維化が生じなかったという結論が出ただけに過ぎない。

第三に、ラットと人間の様々な相違点からすると、この実験によって、人間についてのじん肺の危険性を論じることは到底不可能である。人とラットの寿命の比較から、ラットにとって三か月ないし六か月の期間が人間にとっての一〇年ないし二〇年と同視できるとする前提は成り立たない。馬場証人も認めるように、人間とラットの相違点の多さや、その相違の程度の大きさからすれば、ラットを使用した実験によって得られた仮説を人間に適用して、石灰石粉じんの危険性の有無、程度を判断することはできないし、またそのような発想自体が極めて危険なことである。例えば、人の左肺は三葉、右肺は二葉であるのに体して、ラットは右肺一葉、左肺四葉と基本的な肺の構造自体が異なっている。また、気管支は、人が二三、二四本に分れているのに対し、ラットのそれは不明である。さらに、粉じんの肺内の滞留、人体への影響に深く関係するリンパについては、人は肺門部にあるのに対して、ラットのそれは気管支壁にあるなど、ラットはリンパ装置が顕著である。また、機能的な面でも、ラットの肺活量は人のわずか七〇分の一しかなく、心拍数は人が約七〇回であるのに対して、約一一〇回であるといった顕著な相違点も認められる。

3 被告菱光の作業現場における石灰石の成分等

仮に純粋な石灰石粉じんによっては肺の線維化が発生しないとしても、次のような事情に鑑みれば、亡鈴木が武甲山の各現場において作業に従事していた際に吸入した粉じんの危険性を否定することはできない。

(一) 石灰石鉱山といっても、純粋な石灰石のみが存在し、そこで働く労働者が純粋な石灰石のみにさらされているわけではなく、他の鉱物粉じんも多く混在している。また、石灰石鉱山の地表、表土には様々な成分が含まれており、当然、遊離珪酸分も多く含まれているのが通常である。そして、石灰石採石作業の前段階に表土の除去作業を完全に行ない、表土を一〇〇パーセント除去することは、実際の作業においては考えられない。したがって、仮に石灰石の地層自体には不純物が少ないとしても、表土部分から容易にその下層にある石灰石に浸透していくはずであるから、結果的に、石灰石の地層における採掘作業においても、純粋な石灰石のみを取り扱うことは不可能である。

(二) 当然のことながら、亡鈴木が作業に従事していた当時の「石灰石」その他の鉱物自体は現在存在しない。武甲山全体の形状が大規模な開発、採掘によって変容してきていることからしても、そのことは明らかである。よって、仮に現時点における武甲山のある場所から採取した石灰石が一パーセント以下の遊離珪酸分しか含んでいないとしても、それをもって亡鈴木が作業していたときの石灰石の成分であるとはいえない。

(三) 亡鈴木が就業していた当時の宇遠鉱山は、「岩の種類としては、石灰石も確かにあったが、半分以上は珪石であり、最後の方になって、次第に石灰石の比率が高くなっていった」という状況であった。

(四) 仮に遊離珪酸分の濃度が低かったとしても、作業現場における粉じん濃度が高ければ、じん肺に罹患する可能性は否定しえないことである。これは当然の理であり、馬場証人も認めざるを得なかったことである。したがって、仮に当時の現場において浮遊する粉じんの遊離珪酸分濃度が一パーセント以下であったとしても、大量の粉じんを吸引したことによるじん肺罹患の可能性を否定することはできない。

八  被告らの責任

1 健康保持義務とその性格

労働契約関係にあって、使用者たる企業は、労働者の不注意をも予測した上で不可抗力以外の労災職業病を防止するための万全の措置を講じるべき安全保護義務ないしは健康保持義務を負っている。その義務は、信義則に基づく本質的義務として、絶対的かつ高度な義務である。

2 じん肺被害発生防止のための総合的・体系的対策の必要性

健康保持義務の履行としては、使用者が、労働者のじん肺罹患を防止し、労働者の生命と健康を確保するため、万全の措置を講ずべき義務を負っていることを認識し、じん肺を防止するという強い決意の下に、実践可能な最高の医学的・科学的・技術的水準に基づく総合的・体系的なじん肺防止対策を策定し、その効果を検証しながら、系統的に実施する必要がある。

3 健康保持義務の具体的内容   (一) 作業環境管理に関する義務

(1) 定期的粉じん測定義務とそれに基づく作業環境状態評価義務

作業環境における有害かつ吸入性の粉じんの有無及び濃度(遊離珪酸含有率を含む。)の測定を行い、右測定の結果に基づいて、安全性の観点からの当該作業環境の状態の評価を行うべき義務がある。

(2) 粉じんの発生抑制・防止義務

坑内の全ての削岩機を全面的に湿式とし、これを湿式削岩機として有効に使用するために必要な給水設備等を整備し、作業員に対して、給水して湿式削岩機として使用するように指導・監督すべき義務がある。

噴霧・散水、水タンピング法を採用すべき義務がある。

(3) 粉じんの飛散抑制・除去義務

飛散粉じんへの散水・噴霧を行ったり、堆積粉じんの舞い上がり防止のための散水を行う義務がある。

散水する水の中に湿潤剤を混入させ、水の表面張力を減少させることにより、岩石や鉱物を濡らしやすくして、粉じん抑制効果を高めることも必要である。

発生した粉じんの除去のために、入気坑道と排気坑道とを別系統にし、風管(吹込式、吹出式、併用)を設置・延長し、扇風機を設けるなどの強制通気を行う義務がある。

集じん装置の設置や堆積粉じんの除去・清掃も行うべきである。

(二) 作業条件管理に関する義務

(1) 粉じんの吸入曝露の機会を減少させる措置

粉じん曝露の機会を減少させるため、作業の入替え、労働時間の短縮、休憩時間についての配慮、発破等の作業方法についての配慮、及び刺激的賃金体系の見直しなどを行う義務がある。

(2) 粉じん吸入を阻止する措置

粉じんを吸い込まないように、労働者に対し、有効かつ装置に適した最良の呼吸具(防じんマスク)等の保護具及びその付属品を支給すべき義務がある。

防じんマスクを適切に管理・交換すべき義務がある。

防じんマスクの着用について、労働者に対する教育を徹底して行うべき義務がある。

(三) 健康管理に関する義務

(1) じん肺発生のメカニズム、危険性及び有害性等について、労働者自身が十分に認識できるように、定期的・計画的・系統的なじん肺教育を行うべき義務がある。

(2) 粉じん測定の結果及びそれに対する評価に基づく危険性の程度を労働者に告知すべき義務がある。

(3) じん肺健康診断の徹底した実施により、じん肺患者を早期に発見すべき義務がある。

(4) 早期罹患者対策として、非粉じん職場への配置転換等、重症化への進行阻止のための措置をとるべきである。

4 被告ニッチツの義務懈怠

(一) 作業環境管理義務違反

(1) 定期的粉じん測定とそれに基づく作業環境状態評価の義務の懈怠

被告ニッチツにおいては、真にじん肺対策にとって効果的な粉じん測定は行われていなかった。したがって、当然のことながら、測定結果を前提とする安全性の観点からの当該作業場の作業環境及び有害粉じんの状態の評価も行わなかった。

(2) 発生源粉じんの抑制・防止義務の懈怠

① 湿式削岩機採用の遅れ及び使用の不徹底

被告ニッチツは、昭和二五、六年以降、徐々に湿式削岩機に切り替えていったにすぎず、その採用は遅れた。

また、湿式削岩機を使用していても、その排気が周囲の粉じんを巻き上げるため、あたりがもうもうとした状態になるほどであり、湿式削岩機の効果も十分とはいえなかった。

さらに、湿式削岩機導入以降も、次のとおり、湿式として使用できない場合があり、その点が湿式削岩機導入の意義を大いに削減した。

ア もんもん取り作業においては、水を使用しないで、空繰りする作業員が多かった。被告ニッチツの坑内係員は、右の事実を見て知っていたにもかかわらず、水を使うようにとの指示をしなかった。

イ 大きな玉石が出た場合に、これを更に小さく粉砕する小割発破は、水を使用しないで空繰りで行われるため、空繰り及びそれに続いて行われる発破の際に、大量の粉じんが発生した。小割の場合、貼付発破といって、孔を繰らないで玉石にダイナマイトを貼り付けて発破をかけるという方法があり、その方法ならば、削岩を行わない分だけ発じん量を減らすことができたが、火薬の使用量が増えるため、被告ニッチツでは禁止されていた。また、サブレベルストーピング法における小割発破のために、S四九という削岩機が専用に用意されたが、小割発破の作業現場においては水を使用することが不可能であったため、乾式として使用された。

ウ ウォーターチューブの破損、給水ホースの水漏れなどの事態が発生すると、修繕がなされるまでの間は、水が使用できず、やむを得ず乾式として使用せざるを得なかった。

② 給水義務の懈怠

ウォーターパイプラインの敷設が遅れたり、敷設後も十分な水が供給されないなど、湿式削岩機使用のための給水も十分ではなかった。

すなわち、被告ニッチツにおいてウォーターパイプラインの敷設が開始されたのは、昭和二七、八年ころであったが、原告眞々田が作業していた坑道においては、昭和三五、六年ころまで、ウォーターパイプラインが敷設されなかった。

また、ウォーターパイプラインが敷設された後も、給水は不十分であり、十分な水が供給されないことがしばしばであった。特に、赤岩坑では、沢の水を堰き止め、坑外にダムを設置して取水していたが、沢の水量が少なかったため、冬場の凍結、夏場の渇水等により、一年のうちの約三分の一の期間は、水が供給されない状態であった。その他の鉱区においても、冬場は、坑外にあるウォーターパイプラインが凍結することがあり、そのような場合にはやはり水が使用できなかった。

さらに、被告ニッチツにおいては、右のような水が供給されない事態が発生した場合であっても、作業は中止させなかったから、乾式として使用せざるを得なかった。

加えて、シュリンケージ法においては、坑道よりも高い場所での作業となるため、水が使用できない切羽が多かった。

③ 散水・噴霧義務の懈怠

被告ニッチツにおいては、散水についての指導が全く行われなかったため、その意義、趣旨が作業員に全く徹底していなかった。そのため、削岩における散水は、全くといっていいほど実行されていなかった。

また、運搬における散水は、ズリや鉱石の重量が増し、作業に支障を来すため、全く行われていなかった。

(3) 飛散・浮遊粉じんの除去義務の懈怠

① 散水義務の懈怠

空中に浮遊する粉じんの沈降速度を早めるための散水は、全く行われていなかった。

また、被告ニッチツは、ウォタースプレーの効果を知っていながら、これを現場に普及させなかった。

② 通気改善義務の懈怠

被告ニッチツは、強制通気を行わず、主として気圧差と温度差による自然通気法を採用していた。右通気法は、発生・浮遊粉じん対策として、風量が少ないこと、季節や時間帯によっては通気の流れが更に悪化すること、入気と排気が分離されていないため、粉じん発生源や坑内に滞留し、あるいは浮遊する粉じんを洗った排気が坑内作業現場に流入していることもあることなどの問題があり、全く不十分なものであった。

なお、昭和四二、三年ころになって、ようやく道伸窪坑の坑口に主要扇風機が設置されたが、その一台の主要扇風機によって通気が改善されることはなかった。

局部扇風機についても、鉄砲坑道全てに行き渡るだけの数は用意されておらず、道伸窪坑でも四台程であり、赤岩坑に至ってはわずかに一台であった。しかも、局部扇風機は風管を経て切羽の正面に吹き付け、その風が坑道を通って粉じんを運び出すという仕組みになっていたため、作業員が粉じんを含んだ風に曝露される結果となっていた。また、粉じんを含む排気を運ぶ風管の出口は人道に向けられていたので、結局粉じんが人道に拡散する結果となった。

風門、分流門といった装置も極めて不十分であり、赤岩坑全体でわずか二、三箇所にしか設置されていなかった。

人道押し、人道切り上がり、シュリンケージ採掘などは、行き止まりで全く風が抜けない袋状になった場所における作業である。したがって、自然通気に頼る通気方法では全く空気が動かず、発生した粉じんは、いつまでも排出されないで、その場に滞留し続けた。

③ 集塵装置の不設置等

被告ニッチツは、作業現場に、集塵装置その他の発生・浮遊粉じんを除去するための装置を設置したことがなかった。

(二) 作業条件管理義務違反

(1) 粉じん吸入曝露の機会減少義務の懈怠

① 合理化に伴う労働密度の強化

被告ニッチツは、労働時間の短縮を行わなかったばかりか、逆に労働強化、労働時間延長による生産の増強を図った。

また、現実には残業という形で長時間労働が強いられ、また、昼休みも十分に取れないという状態であった。すなわち、昼休みについては、トラブルが発生すると、所定の休憩時間が取れなかった。また、坑道運搬の作業は、所定の労働時間内に作業が終了しないことが常態であって、昼休みをつぶして働き、昼食は坑内において一五分間程で取るというあり様であった。

② 刺激的賃金体系による労働の強化

被告ニッチツは、作業効率を重視して請負給制を採用し、刺激的賃金体系を改善しなかった。

③ 上がり発破等の作業手順改善義務の懈怠

秩父鉱山においても建前は上がり発破が原則とされていた。しかし、実際には、次のような場合、発破後すぐに上がることができず、現場に戻ることがたびたびあった。

ア 発破後の不発の確認

不発ダイナマイトがありながら、それを放置したままで上がることは大変危険であるため、粉じんが収まる前に発破箇所に戻って、不発の有無を確認せざるを得なかった。

イ 硬い岩盤に当たった場合の二回発破

二回発破は、一〇日に一、二回行った。この場合には、人車の時間に間に合わせるという時間的制約があったため、待機時間を十分に取ることなく、すぐに切羽に戻って作業を行った。

また、仮に上がり発破が厳格に励行されたとしても、それによって発破の際の粉じんから逃れられるのは、一の方だけである。二の方は、一の方の発破が三時四〇分ころに行われた直後に切羽に入るのであり、直に発破による粉じんに曝されることになる。坑道には粉じんが充満しており、切羽までパイプやレールを手や足で探っていくような状態の中で作業させられた。二の方のズリ取り、支柱員が行う切上がりでの足場作りなども、一の方による粉じんが収まりきらない劣悪な環境の中での作業であった。

(2) 粉じん吸入阻止義務の懈怠

① 防じんマスク支給の遅れ

被告ニッチツの削岩員がマスクを支給されたのは昭和二五、六年ことであり、それまでは、年拭いで口や鼻を覆っただけの状態で作業をしていた。運鉱員や支柱員へのマスクの支給は更に遅れた。

② 防じんマスク支給個数の不足

被告ニッチツによる防じんマスク支給個数は、一人一個であり、傷まないと新しいマスクが支給されなかった。

③ 不完全な防じんマスクの支給

防じんマスクは一級と二級に分れていたが、被告ニッチツは、削岩員に対してのみ一級のマスクを支給し、同様に大量の粉じんに曝される運鉱員に対しては二級のマスクを支給していた。

また、被告ニッチツが支給した防じんマスクは、秩父鉱山における坑内作業の内容を考慮して選択されたものではなく、性能、性質、形状ともに坑内における粉じん作業には適さないものであった。すなわち、着用して作業すると、暑苦しく、汗で濾過材が濡れて、すぐに通気抵抗が極度に上がり、あるいは粉じんが濾過材に付着して詰まって息苦しくなり、高温多湿の秩父鉱山で着用を継続することが困難なものであった。

さらに、個々の労働者に防じんマスクを支給する際に、個々人の顔面への接着性が確実であるか否かを検討した上で選択されたものでもなかった。したがって、装着性も悪く、マスクの横等の隙間から粉じんが口や鼻に入るため、粉じん吸入を十分に防止することはできなかった。

④ 防じんマスク着用の不可能な作業の存在

人道切上がりの掘削作業においては、上向きに堀り上がる作業であって、上から湿式削岩機の水が落ちてきて顔面に当たるため、全くマスクを使用できなかった。

また、運鉱員は、ハコミと呼ばれる道具でトロッコにズリを積み込むという作業をしており、それは何百キロの重さの鉄のトロッコを運ぶという重労働であったため、マスクを支給された後も、誰もマスクを使用せずに作業を行わざるを得なかった。

⑤ 防じんマスクの管理義務の懈怠

被告ニッチツは、防じんマスクの濾過材を毎日洗濯して長期間使用していたものであって濾過性能の低下の点には注意を払っていなかった。

⑥ 防じんマスク着用についての説明・指導義務の懈怠

被告ニッチツは、防じんマスクの意義、目的を労働者の理解させるような教育を全くしなかった。

すなわち、「ほこりを吸わないようにマスクを付けろ」という程度の指示があったのみであり、それ以上に、具体的にどの段階でマスクを着用し、どの段階で外すべきかといった点についての細かい使用上の注意や、マスクの手入れ管理方法等についての指導は一切行われなかった。

(三) 健康等管理義務違反

(1) 被告ニッチツは、種々の防じん対策についての十分な認識を一人一人の労働者に持たせるという意味での総合的、体系的なじん肺教育を全く行っていなかった。

被告ニッチツにおいて行われた安全教育は事故防止のためのものだけであり、じん肺に関する教育は全くなおざりにされていた。

(2) じん肺健康診断の結果の不通知等

被告ニッチツは、けい肺及び外傷性せき髄障害の療養等に関する臨時措置法(以下「けい肺等臨時措置法」という。)施行後はじん肺健康診断を行っていたが、その結果を受診者全員に通知することはなかった。

また、社内におけるじん肺の発生状況についても、各労働者に知らされることがなかったため、健康診断が労働者をしてじん肺についての認識、危機感を抱かせる契機となることはなかった。

(3) 非粉じん職場への配置転換等、重症化への進行阻止のための措置の懈怠

管理区分三の者については、一応非粉じん職場への配置転換の勧告が行われたが、配置転換によって収入が減少することとなるため、結果的にはこれに応じる者は少なかった。被告ニッチツは、右配置転換による収入減を十分に補填する措置を講じなかった。

また、被告ニッチツは、管理区分二の者に対しては、配置転換の勧告は行われなかった。

5 被告菱光の義務懈怠

(一) 作業環境管理義務違反

(1) 定期的粉じん測定とそれに基づく作業環境状態評価の義務の懈怠

被告菱光においては、真にじん肺対策にとって効果的な粉じん測定は行われていなかった。したがって、当然のことながら、測定結果を前提とする安全性の観点からの当該作業場の作業環境及び有害粉じんの状態の評価も行わなかった。

(2) 発生源粉じんの抑制・防止義務の懈怠

① 湿式削岩機採用の遅れ及び湿式使用の不徹底

被告菱光においては、湿式削岩機の導入及びその湿式使用が極めて不徹底、不十分であった。

すなわち、宇遠鉱山においては、削岩機自体は湿式であったが、水は全く使っておらず、全て空繰りであり、ウォーターパイプラインは設置されておらず、ウォータータンクを使うこともなかった。斜坑や立坑の掘進も、全て空繰りであった。

また、宇根鉱山の探鉱坑道掘進作業においても、水を使うことは全くなく、削岩機は湿式であったものの、空繰りであった。露天堀りの採石作業においては、昭和四七年までは乾式のジャッキーハンマーを使用していた。昭和四七年八月からはクローラードリルが使用されるようになったが、それも乾式削岩機であり、作業前や作業中に水を使用することはなかった。

② 散水義務の懈怠

被告菱光においては、防じん対策として有効な散水は行われていなかった。

すなわち、散水すると石灰石の重量が増え、石灰石を集中するセンターの作業員が非常に嫌がること、水をかけると、ふるいの目が詰ったり、ベルトコンベアのベルトが濡れて石が付き、ベルトが反転して戻る際に、ベルトコンベアの下に石が落ちて掃除が厄介であること、ベルトは濡れると蛇行しやすくなり、途中で石が落ちやすくなることなどの理由から、散水は行われなかった。

また、グローリーホールの採掘の際は、作業をしやすくするという目的のため、縁切りの場合においてのみ、削岩作業時に水を使った。

さらに、ベンチカットの現場においては、散水車は、下部ベンチと上部ベンチの二か所のうち、一台しか稼働していなかった。しかも、上部ベンチで散水車が稼働し始めたのは、亡鈴木が既に露天堀り作業に従事しなくなった昭和五五年以降のことであった。

(2) 飛散・浮遊粉じんの除去義務の懈怠

① 通気改善義務の懈怠

被告菱光は、発生した粉じんを速やかに希釈、排除するための十分な通気を行わなかった。

宇遠鉱山における坑内作業のうち、削岩中は自然通気のみであり、ブルドーザーでズリ取りをする時だけに、ターボファンによる強制通気が行われたにすぎなかった。しかも、ファンからつないだ風管の先が切羽元まで延びておらず、送り込まれる空気の流れが弱いために、粉じんが外まで吹き出されず、逆に吹き込まれる空気によって引き込まれてしまうあり様であって、その効果は極めて不十分なものであった。

② 集塵装置の不設置

被告菱光は、じん肺対策として効果的な集塵装置の設置を行わなかった。

(二) 作業条件管理義務違反

(1) 粉じん吸入曝露の機会減少義務の懈怠

① 労働時間の延長

被告菱光は、労働時間を短縮して粉じん曝露時間を短縮する措置を採らず、逆に労働強化、労働時間延長により、生産の増強を図った。

すなわち、粉じんが大量に発生する状況にあったにもかかわらず、宇遠鉱山における労働時間は一二時間もの長時間であった。また、宇根鉱山のベルトコンベア坑道においても、毎日残業をしなければならないという状況にあった。

② 刺激的賃金体系による労働の強化

被告菱光においては、給料が出来高払制であったため、労働者は寸暇を惜しんで働くという状況にあった。被告菱光は、右のような刺激的賃金体系によって、労働者を労働強化に追い込んだ。

(2) 粉じん吸入阻止義務の懈怠

① 不完全な防じんマスクの支給

被告菱光は、性能、材質及び形状において、粉じん作業に適した最良の防じんマスクの選定と支給を行わなかった。

実際に支給されたのは、二級合格品のマスクであって、約三〇分間も着用していると、目詰まりして、息苦しくなってしまうようなものであった。

② 防じんマスクの管理・交換義務の懈怠

被告菱光は、適時適切なマスクの管理・交換を怠っていた。

③ 防じんマスク着用の指導・教育義務の懈怠

被告菱光におけるマスク着用に関する指導・教育は極めて不十分であった。

(三) じん肺教育及び健康等管理義務違反

(1) じん肺教育義務の懈怠

被告菱光は、総合的、体系的なじん肺教育を一切行わなかった。

(2) じん肺健康診断実施義務の懈怠

① 被告菱光は、下請作業員に対する定期的なじん肺健康診断を実施しなかった。

② 被告菱光は、じん肺健康診断の結果を告知しなかった。

(3) 被告菱光は、組織的な罹患者対策を実施しなかった。

6 被告ニッチツの帰責事由

(一) 故意責任

昭和二三年以降、被告ニッチツ及びその前身である日窒鉱業開発は、万全なじん肺防止対策を講じなければじん肺が発生することを確実なものとして認識した。それにもかかわらず、被告ニッチツは、生産性向上と利潤追求を第一義のものとし、労働安全衛生、なかんずくじん肺防止対策を劣後のものとして扱い、基本的には何らのじん肺防止対策を講じることなく、漫然と患者原告らを粉じん作業に従事させ、その結果、患者原告らをじん肺に罹患させた。

したがって、被告ニッチツは、じん肺発生を確実なものとして認識しながら、じん肺発生を認容していたというべきである。

また、遅くとも昭和三七年以降、被告ニッチツは、じん肺発生を確実なものとして認識しながら、じん肺発生を認容していた。

(二) 重過失責任

(1) 結果予見可能性及び回避可能性

近代産業が急速に発達した一九世紀以降、じん肺の発生が世界的に報じられるようになり、じん肺発生の原因や病理の究明が進められた。そして、二〇世紀に入ると、南アフリカ連邦や欧米の先進工業国において、じん肺防止と被害者救済のための法制度が完備されていった。それらは、逐次文献として発表され、じん肺及びじん肺防止対策等に関連する情報は膨大なものとなっていった。

右のような諸事情からして、遅くとも第二回国際珪肺会議の報告集の出版された昭和一四年には、普通の鉱山経営者・請負業者の注意力をもってすれば、極めて容易に労働者らのじん肺罹患という結果発生を具体的に認識・予見した上で、これを回避することが可能であった。

したがって、遅くとも昭和一四年には、被告ニッチツ及びその前身である日窒鉱業開発は、じん肺被害の結果発生を予見し、これを回避することができたといえる。

(2) 重過失

被告ニッチツは、昭和一四年以降、一貫してじん肺防止のための健康保持義務を何ら尽くさずにきたため、じん肺被害を発生させた。

したがって、被告ニッチツの過失は重大である。

7 被告菱光の帰責事由

(一) 故意責任

昭和四四年九月当時、被告菱光は、万全なじん肺防止対策を講じなければじん肺が発生することを確実なものとして認識した。それにもかかわらず、被告菱光は、生産性向上と利潤追求を第一義のものとし、労働安全衛生、なかんずくじん肺防止対策を劣後のものとして扱い、基本的には何らのじん肺防止対策を講じることなく、漫然と亡鈴木を粉じん作業に従事させ、その結果、亡鈴木をじん肺に罹患させた。

したがって、被告菱光は、じん肺発生を確実なものとして認識しながら、じん肺発生を認容していたというべきである。

(二) 重過失責任

(1) 結果予見可能性及び結果回避可能性

右6(二)(1)記載の諸事情、及び亡鈴木が就労した昭和四四年九月当時には、じん肺法が制定されてから九年以上が経過していたことなどからして、右の当時、被告菱光は、じん肺被害の結果発生を予見し、これを回避することができた。

(2) 重過失

被告菱光は、昭和四四年九月以降、一貫してじん肺防止のための健康保持義務を何ら尽くさずにきたため、じん肺被害を発生させた。

したがって、被告菱光の過失は重大である。

8 被告らの損害賠償責任(連帯責任)の発生

(一) 債務不履行の成立

被告らはじん肺の発生を防止すべき万全の措置を講じるべき義務(健康保持義務、安全配慮義務)を怠ったから、債務不履行(民法四一五条)が成立する。

(二) 不法行為の成立

右(一)と同じ理由から、不法行為(民法七〇九条)が成立する。

(三) 被告らの連帯責任

亡鈴木のじん肺罹患につき、被告らは連帯責任を負う(民法七一九条後段の類推適用)。

九  請負企業の従業員に対する被告らの責任

1 一般論

そもそも健康保持義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として、一般的に認められるべきものである。

したがって、当事者間に直接の雇用契約がなくとも、当事者の一方又は双方が相手方の安全を確保すべき義務を信義則上認めるのが相当な「法律関係」にあると見られる場合には、健康保持義務が認められることになる。多くの裁判例も、請負契約において、注文者(元請人)と請負人(下請人)の被用者との間に「使用従属関係」が認められる場合には、注文者(元請人)に対して健康保持義務を認めている。

そして、右「使用従属関係」が認められるか否かを判断するにあたっては、就労場所の提供関係、設備・器具等の提供関係、指揮・監督関係、被用者を使用者の企業秩序の下に組み入れて、使用者の目的・意図に従った成果を享受している関係、提供された労務の性質・内容、報酬の支払方法、安全衛生管理及び労務管理に関する指揮・監督関係等の様々な要素を総合的に考慮すべきである。

2 使用従属関係の存在

(一) 就労場所の提供

原告土屋、原告小山内、亡鈴木及び亡北平(以下「組従業員原告ら」という。)は被告ニッチツの請負企業の下で、亡鈴木は、被告菱光の下請企業の下で、それぞれ削岩作業を初めとする粉じん作業に従事していたが、その就労場所である切羽はすべて被告ニッチツ又は被告菱光が指定していた。特に、組従業員原告らが就労させられた場所は、他の場所に比べて、通気が悪く、水圧の関係で水も十分に出ず、粉じん発生量も多いといった本工員が作業を嫌うような場所がほとんどであった。

しかも、組従業員原告らが就労した場所は、鉱山という巨大な施設の一部をなすものであるから、組従業員原告らは、被告ニッチツ又は被告菱光の所有・管理する施設内で作業に従事していた。

(二) 被告ら提供の設備及び器具等の使用

組従業員原告らが使用する削岩機やロッド・ビットは、被告ニッチツ又は被告菱光が選定し、組従業員原告らの分も含めて一括購入し、請負企業に払い下げたものであった。また、火薬は、全て被告ニッチツ又は被告菱光が選定、購入、管理を行なっていた。その他、あんこや矢木、丸太、保安ロープ等の坑内作業に必要な資材・道具も、被告ニッチツ又は被告菱光が無償で組従業員原告らに提供していた。

組従業員原告らは、削岩作業等の坑内作業を遂行するにあたり、長孔用の削岩機や、削岩機を動かすための動力設備(圧気設備)、通気設備(風管や扇風機を含む)、水管等の給水設備、排水設備、ズリ・鉱石を排出するためのローダー、スクレーパー、トロッコ、ベルトコンベアー等の運搬設備等、被告ニッチツ又は被告菱光が所有・管理する坑内のあらゆる設備を無償で使用して作業に従事していた。

(三) 粉じん測定の実施

秩父鉱山においては、粉じん測定はほとんど行われていなかったが、時々行なわれる粉じん測定は、被告ニッチツの係員が同社が所有する粉じん測定器を使用して行っていた。

(四) 防塵マスクの指定、支給

防塵マスクについても、被告ニッチツ又は被告菱光が指定・決定したものを組従業員原告らにも支給し、その代金を請負企業を通じて組従業員原告らから徴収していた。

(五) 坑内巡回

秩父鉱山では、一日一、二回の坑内巡回が行われていたが、これは被告ニッチツの係員が全て行ない、作業の進捗に関する指示や保安に関する指示も、被告ニッチツの係員が組従業員原告らに対して直接に行っていた。被告菱光の経営する宇根鉱山においても同様であった。

(六) 安全衛生の管理体制

(1) 本件は、坑内作業員をじん肺に罹患させないための健康保持義務の不履行が争われている事案であるから、被告ニッチツ又は被告菱光が組従業員原告らに対して右義務を負っていたか否かを判断するに際しては、安全衛生の管理体制がどのようになっていたかということが、最も重要な要素のひとつとして検討されなければならない。

(2) じん肺を防止するためには、まず、①定期的に粉じんを測定して作業環境を適切に評価し、次に、②発生源において粉じんを抑制・防止し、さらに、③発生源で粉じんが抑制しにくい場合には、粉じんの飛散を防止するとともに、速やかに除去する対策を取る必要がある。また、作業員に対しては、粉じん曝露時間を短縮するなどの措置を取るとともに、粉じんの吸入を阻止する対策を取らなければならず、さらに、これらの措置を実行あらしめるために、作業員に対するじん肺教育を徹底しなければならない。これらのじん肺防止対策は、有機的に関連しており、その一つが欠けても十分ではない。そして、これらのじん肺防止対策を総合的・体系的になし得るのは、鉱山を所有・管理している鉱業権者のみであって、請負業者が、担当作業区域を切り離して、そこだけで一元的に防塵対策を採ることなどできない。かかる鉱山の特質に鑑み、鉱山保安法は鉱業権者に対し、「鉱山労働者に対する『危害』の防止」義務を課している(同法一条)

(3) 実際、被告ニッチツ又は被告菱光は、右に述べたような権限に基づいて、保安制度を設け、組従業員原告らをもその保安体制の中に組み入れ、指揮・管理していた。

3 まとめ

以上のとおり、組従業員原告らは、被告ニッチツ又は被告菱光の指示に基づき、被告らが所有・管理する作業施設内において就業し、また、被告らが所有・管理する設備・器具等を使用して、長年にわたって削岩作業等の粉じん作業に従事してきた。しかも、被告ニッチツ又は被告菱光は、組従業員原告らを企業秩序の下に組み入れ、被告らの出鉱計画に基づいて作業を行わせ、それに従った成果を享受しており、さらに、被告らの一元的な安全衛生管理体制の中に組従業員原告らを組み入れ、組従業員原告らを直接指揮・監督し得る関係を有していた。

したがって、組従業員原告らと被告ニッチツ又は被告菱光との間には、事実上雇傭契約に類似する使用従属の関係が認められるというべきである。

よって、被告ニッチツ又は被告菱光は、組従業員原告らに対し、じん肺に罹患させないための健康保持義務を負っていたというべきである。

一〇  被告ニッチツによる損害賠償債務の承継

1 日窒鉱業開発における安全配慮義務違反

日窒鉱業開発に安全配慮義務違反があったことは、被告ニッチツの場合と同様である。

2 被告ニッチツの設立と日窒鉱業開発の権利義務の承継

そもそも企業においては労働者は企業施設と結合して一つの組織体を形成しているのであって、営業譲渡により法人格としての企業主(使用者)の変更があったとしても、労働契約関係は包括的に営業譲受人に移転するものである。そして、営業譲渡により使用者としての地位も当然に譲渡、承継される以上、旧会社の労働契約上の責任や右責任に影響を与え得る事実関係なども当然新会社に承継されることになる。

被告ニッチツは日窒鉱業開発が有していた営業全ての現物出資を受けることにより設立された。したがって、日窒鉱業開発の有していた資産(土地、建物、生産設備、鉱業権等)は言うに及ばず、権利義務関係もすべて被告ニッチツに引き継がれた。実際、日窒鉱業開発の労働者については、ほぼ全員につき、被告ニッチツとの間で雇用関係が結ばれ、被告ニッチツ設立の前後によってその労働形態、労働内容等の変更は全くなかった。

なお、被告ニッチツ自身も、日窒鉱業開発と被告ニッチツとを全く同一のものと解していた。すなわち、被告ニッチツ作成の秩父鉱山の概要を示すパンフレットの「沿革」の項には、「当社(旧日窒鉱業KK)は、之を昭和一二年七月に買収し」などと、被告ニッチツと日窒鉱業開発とをあたかも同一、一体のものと捉えた記述があるし、有価証券報告書中には、「会社の沿革」として、被告ニッチツ設立以前の昭和四年九月からの事柄が記載されている。

3 まとめ

したがって、患者原告らと日窒鉱業開発との雇用関係において生じた安全配慮義務違反の事実、及びそれによって発生する法律関係も、全て被告ニッチツに引き継がれており、被告ニッチツは会社設立の昭和二五年八月以前の日窒鉱業開発による安全配慮義務違反の責任を承継しているといえる。

4 共同不法行為

仮に日窒鉱業開発の責任を被告ニッチツが承継しないとしても、被告ニッチツと日窒鉱業開発とは、患者原告らの全損害につき、共同不法行為者として、連帯責任を負う(民法七一九条後段の類推適用)。

一一  患者原告らの損害

1 患者原告らの被害実態

(一) じん肺被害の総体的把握の必要性

(1) 全身被害・生活破壊・精神的苦痛の総体的把握の必要性

じん肺は、生命維持の基本器官たる肺に生ずる疾患であり、かつ全身性疾患でもあり、それだけでも被害の重大性は明らかである。

じん肺の症状は、直接的には、咳、痰、呼吸困難、息切れ、心悸亢進、倦怠感、脱力感、全身衰弱、風邪等として現われる。これらはその一つ一つを取り上げても患者にとって耐え難い苦痛であるが、これらが重畳的に襲い、さらに重症化する。

また、これらの症状の結果、労働能力を喪失して経済的損失を受けるのはもちろん、日常生活は大きな制約を受け、人間としての基本的な要求すら満たされない深刻な生活破壊がもたらされる。そして、予後への絶望感、労働不能による社会的疎外感、家族らへの負い目、精神的荒廃、周囲からの病気への白眼視等は、精神的にも重大な被害を与えるものである。

このように、全身疾患としてのじん肺による種々の被害は、個別的・孤立的なものではなく、互いに密接不可分な総体的なものとして、複合して患者原告らを苦しませるものであり、これを総体として把握することが肝要である。

(2) 進行性、不可逆性の被害としての把握の必要性

じん肺罹患による損害を把握する上で、じん肺の病理として最も考慮しなければならない点は、じん肺は進行性の疾患であり、進行の程度、速度は多様ではあるが、進行する場合は日を追って症状が悪化して、心肺機能障害は乏酸素血症を招き、その結果全身萎縮を来し、あるいは心不全により肺性心を招き、また肺感染症を合併して死に至るという点である。さらに、じん肺による病変は不可逆的であり、現代の医学をもってしても治療が不可能であるという点、したがって、じん肺患者は、じん肺死に至らない場合であっても、死ぬまでじん肺の苦しみから逃れることはできないことである。すなわち、じん肺は、ひとたび罹患すると、肺内の蓄積粉じん量に応じて進行し、死に至るまで、長年月にわたり、肉体的、精神的にじん肺患者を苦しめ続ける。

したがって、じん肺被害は、ある時期を特定して、その時点だけの損害総体を捉えるという方法だけでは到底不十分である。発病から死に至るまでの患者の悲惨な闘病生活を時間軸に従った「長期的な継続的被害としてみる」という方法もまた必要であって、その長期間にわたる継続的損害の広がりを総体として捉えることが必要である。

(3) 家族を巻き込む家族破壊の損害の把握の必要性

じん肺は、患者自身だけではなくその家族の経済的、精神的、社会的生活を根底から破壊するものであり、その被害事実は枚挙にいとまがない。

家族は、最愛の夫や父が最も生き甲斐としていた労働ができなくなり、療養生活を余儀なくされ、そして、目の前で、胸をかきむしりながら、咳や痰でもがき苦しむ様を見るという筆舌に尽くしがたい悲しみ、絶望感の襲われる。妻にあっては、日夜の看病に心身とも疲れ果て、あるいは患者に代わって生活を支えなければならないという重圧がのしかかるなど、様々な家庭破壊をもたらす。この家族を巻き込む損害についても、単に一つの時点で捉えるべきではなく、患者自身のじん肺罹患後の継続的損害と同様に、罹患から死に至るまでの闘病生活を支える家族一人一人にとっての長期間にわたる損害であることを見落してはならない。

(4) 悲惨なじん肺死

じん肺患者が行き着くところは死であり、しかも、その死は、天寿を全うする平穏な死とは程遠く、悲惨なものである。すなわち、じん肺患者については、呼吸困難で苦しみもがき、胸をかきむしりながら死亡したり、家族の誰からも看取られずに、突然死亡したりという例が見られる。また、遺族にとっては、人生最良の伴侶、肉親を失うことである。さらに、生存患者は、他のじん肺患者が呼吸困難や発作に襲われて死んでいくのを見るときに、将来の自分の姿をそこに重ね合わせるものであり、その不安と恐怖には強烈なものがある。同時に、じん肺患者は、自分の死後に残される家族が生活していけるかどうか、自分の死が現在の労災行政においてじん肺死と認定され、労災補償が出るかどうかという不安も抱いている。

(二) 加害行為との関連での把握

(1) 損害賠償制度を支配する理念である公平の理念は、被害者と加害者との公平をはかるものである以上、加害者側の事情が損害の金銭評価に当たって重視されなければならないことは当然である。

(2) じん肺被害の特徴は、被告らの企業活動によってその支配下にある従業員である患者原告らに生じ(被害の一方性、非代替性)、かつ、被告らは患者原告らの犠牲において長期間にわたって莫大な利益を上げてきたものである(加害者の利得性)。しかも、被告らは、被害発生を事前に認識しながら、じん肺被害が発生した後も、その被害発生の防止対策を取らず、漫然と加害行為を継続したのである(加害行為の犯罪性)。

すなわち、第一に、被告らと患者原告らは、使用者・従業員の関係になり、その地位は固定されたものであり、じん肺被害は従業員として労働力の提供者であった患者原告らにのみ発生している。使用者としての安全配慮義務は被告らが負担しており、その義務履行の対象は患者原告ら鉱山労働者であり、両者の経済的力量・法的位置付けは全く隔絶している。被告らは、自己の支配下にある従業員が職業病たるじん肺に罹患する危険性を認識し、これを防止できる立場にあり、他方従業員たる患者原告らが自ら防止することは極めて困難である。かかる関係にあって、容易に取り得る回避措置を取らず、じん肺を発生させた被告らの加害性は重大である。

第二に、じん肺被害は被告らの鉱山事業(採鉱、選鉱など)そのものから生じ、被害者たる患者原告らに損害を与えた生産活動(粉じん作業)そのものによって被告らは莫大な利益を得たのであるから、その利得を維持したままでは余りに当事者間の公平の理念に反する。患者原告らの犠牲により得られた莫大な利潤は、公平の理念に照らして、本来すべて吐き出されるべき性質のものである。

第三に、被告らは、じん肺被害を事前に認識しながら、あるいは容易に認識し得るにかかわらず、その被害防止対策を取らず、漫然と加害行為を継続したものである。このような、被告らの重過失責任及び故意責任が損害の金銭的評価、特に慰謝料の内容に重大な影響を与えることも、公平の理念からみて当然である。

(3) 現在、患者原告らは「じん肺地獄」であえぎ苦しんでいる。重症者は、文字通り、息絶え絶えの毎日を送っている。そして、被告らは、患者原告らのこのような犠牲の上に立って、今日の繁栄を築き上げてきた。

被告らがこうして蓄積してきた「富」は全て患者原告らの身体の破壊、犠牲の上に成り立った不法、不当な利得であり、そもそも被告らによる保有が許されるべき性格のものではないのである。

2 損害額

じん肺に罹患したことによる患者原告らの慰謝料額は、各自金三〇〇〇万円を大きく上回る。

3 弁護士費用

原告らは、それぞれ、本件訴訟を原告ら代理人らに委任し、弁護士報酬規定に基づき、請求金額の一割に相当する金額を報酬として原告ら代理人らに支払う旨合意した。

一二  相続及び訴訟承継

1 亡鈴木の死去、並びに原告久保らによる相続及び訴訟承継

平成六年一一月二六日、亡鈴木はじん肺症による死亡した。

同日、原告久保らは、法定相続分に応じて(原告久保美幸、原告渡邉礼子及び原告鈴木裕幸が各三分の一)、亡鈴木の権利義務を相続するとともに、本件訴訟を承継した。

2 亡井戸の死去及び原告松本らによる相続

平成三年五月四日本、亡井戸はじん肺症により死亡した。

原告松本らは、最終的に、法定相続分に応じて(原告松本三津江、原告井戸範久及び原告高橋悟が各三分の一)、亡井戸の権利義務を相続した。

3 亡北平の死去及び原告の北平らによる相続

昭和六〇年三月一日、亡北平はじん肺症により死亡した。

同日、原告北平らは、法定相続分に応じて(原告北平スミが二分の一、原告渡邊順子及び原告堀田睦子が各四分の一)、亡北平の権利義務を相続した。

一三  結語

よって、原告らは、被告らに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、前記第一章記載のとおり、原告ら一人当たり(ただし、遺族原告らについては、被相続人一人当たり)、金三三〇〇万円(慰謝料三〇〇〇万円、弁護士費用三〇〇万円)及び内金三〇〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日である平成五年四月三日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二の一 請求原因に対する被告ニッチツの認否

一  請求原因一(当事者)について

1 同1(被告ら)について

同(一)(被告ニッチツ)のうち、(1)は不知。(2)は否認する。(3)は認める。

日窒鉱業は、昭和二五年八月の設立にあたって、鉱業権・土地・建物を日窒鉱業開発から現物出資されたにすぎない。したがって、被告ニッチツは昭和二五年八月以前には存在しない。

2 同2(原告ら)について

(一) 同(一)(患者原告らの鉱山における職歴等)について

(1) 原告黒沢が昭和二五年八月一日から昭和四二年一〇月二一日まで被告ニッチツに在職したことは認める。

その間に従事した職種は削岩員であった。

(2) 原告田村が昭和二八年から昭和三八年九月二五日まで被告ニッチツに在職したことは認める。

その間に従事した職種は削岩員であった。

(3) 原告土屋が被告ニッチツの請負企業である金森組との間で昭和二五年一〇月から昭和三五年二月まで雇用契約を締結していたことは認める。

被告ニッチツが昭和二五年八月以前には存在しないことは前記のとおりである。

(4) 原告眞々田が昭和二五年八月一日から昭和四九年四月一〇日まで在職したことは認める。

その間に従事した職種は、昭和三六年三月まで削岩員、同年四月一日より助手、昭和四二年二月一日より職長、昭和四八年四月一日より係長であった。

(5) 原告小森が昭和二五年八月一日から昭和五六年三月二五日まで被告ニッチツに在職したことは認める。

その間に従事した職種は、昭和四六年一〇月まで削岩員、同年一一月三日から昭和四七年三月二六日まで休職、同年五月一日よつ退職時まで坑外運転監視員であった。

(6) 原告小山内が昭和四四年一二月に被告ニッチツの請負企業である高原組に入社したことは認めるが、同社における稼働状況は不知、昭和五五年に同社を退社したことは否認する。

(7) 亡鈴木については不知。

(8) 亡井戸が昭和三〇年四月二八日から昭和四八年三月三一日まで被告ニッチツに在職したことは認める。

その間に従事した職種は、昭和三〇年七月から昭和三三年四月まで支柱員助手、その後支柱員を経て昭和四二年七月から退職まで運転員をしていた。

(9) 亡北平が昭和三四年に被告ニッチツの請負企業である高原組に入社したことは認めるが、同社における稼働状況は不知。

(二) 同(二)(最終じん肺管理区分認定及び最終合併症認定)は認める。

(三) 同(三)(遺族原告ら)は不知。

二  請求原因二(各鉱山の概要)について

1 請求原因1(秩父鉱山)について

(一) 同(一)及び(二)は認める。

(二) 同(三)のうち、(1)は否認する。(2)は不知。(3)は認める。

三  請求原因三(じん肺の定義、病理及び特徴等)について

1 同1(じん肺の定義)は認める。

2 同4(じん肺の特徴)は争う。

その積極的主張は、後記第三(請求原因に対するニッチツの反論)の六1(じん肺の特徴)記載のとおりである。

四  請求原因四(じん肺の管理区分及び合併症)について

1 同1(管理区分)は認める。

2 同2(合併症)のうち、(一)は認める。

五  請求原因五(被告ニッチツにおける労働実態と粉じん)について

1 同1(採掘作業の概要)について

(一) 同(一)(採鉱作業の工程)は認める。

(二) 同(二)(採掘方法)は認める。

2 同2(各作業における粉じんの発生とその曝露)は否認する。

六  請求原因八(被告らの責任)について

1 同1(健康保持義務とその性格)は争う。

2 同2(じん肺被害発生防止のための総合的・体系的対策の必要性)は争う。

3 同3(健康保持義務の具体的内容)は争う。

健康保持義務はその内容が明確でない。

4 同4(被告ニッチツの義務懈怠)は争う。

その積極的主張は、後記第三(請求原因に対するニッチツの反論)の一ないし三記載のとおりである。

5 同6(被告ニッチツの帰責事由)は争う。

6 同8(被告らの損害賠償責任の発生)は争う。

七  請求原因九(請負企業の従業員に対する被告らの責任)は争う。

その積極的主張は、後記第三(請求原因に対するニッチツの反論)の四(請負企業の従業員に対する被告ニッチツの安全配慮義務)記載のとおりである。

八  請求原因一〇(被告ニッチツによる損害賠償債務の承継)は争う。

その積極的主張は、第三(請求原因に対するニッチツの反論)の五(被告ニッチツの設立以前の損害賠償責任について)記載のとおりである。

九  請求原因一一(患者原因らの損害)は争う。

その積極的主張は、後記第三(請求原因に対するニッチツの反論)の六(原因らの損害について)記載のとおりである。

一〇  請求原因一二(相続及び訴訟承継)は不知。

ただし、亡鈴木、亡井戸及び亡北平が「じん肺症」により死亡したことは争う。

第二の二 請求原因に対する被告菱光の認否

一  請求原因一(当事者)について

1 同1(被告ら)のうち、(二)(被告菱光)は認める。

2 同2(原因ら)の(一)(患者原因らの鉱山における職歴等)のうち、(7)(亡鈴木)は否認する。

亡鈴木は、被告菱光の請負企業である三菱建設の下請である金森組との間で雇用契約を締結し、左記のとおり、一貫して宇根鉱山で働いていた。

昭和四四年五月から昭和四七年四月まで 宇根鉱山 グローリーホール工法による石灰石の採掘作業(坑外)

昭和四七年五月から同年一一月まで 宇根鉱山 スパイラル坑道掘削工事

昭和四七年一二月から昭和五五年一月まで 宇根鉱山 ベンチ工法による石灰石の採掘作業(坑外)

昭和五五年二月から昭和五八年六月まで 宇根鉱山 コンベア運転工

昭和五八年七月から同年一一月まで 宇根鉱山 緑化作業等坑外雑作業

昭和五八年一二月から昭和六一年七月まで 宇根鉱山 第二グローリー運転工

昭和六一年八月から昭和六三年一一月まで 宇根鉱山 緑化作業等坑外雑作業

二  請求原因二(各鉱山の概要)について

1 同2(宇遠鉱山)について

宇遠鉱山での採掘法について、グローリーホール方式での採掘の開始は昭和三四年であるが、石灰石の採掘自体は昭和一五年ころから行っていた。

宇遠鉱山における請負・下請関係は時期によって様々であるが、亡鈴木はいかなる時期においても宇遠鉱山で働いていたことはない(下請・孫請を含めて)。

2 同3(宇根鉱山)は認める。

ただし、三菱建設の下請企業は金森組一社ではなかったし、下請内容もその時期ごとに様々であった。

三  請求原因三(じん肺の定義、病理及び特徴等)について

1 同1(じん肺の定義)は認める。

2 同4(じん肺の特徴)は争う。

その積極的主張は、被告ニッチツの主張〔後記第三(請求原因に対するニッチツの反論)の六1(じん肺の特徴)記載のとおりである。〕と同じである。

四  請求原因四(じん肺の管理区分及び合併症)について

1 同1(管理区分)は認める。

2 同2(合併症)のうち、(一)は認める。

五  請求原因六(被告菱光における労働実態と粉じん)について

1 同1(宇遠鉱山における運搬坑道掘進作業の実態と粉じん)について

(一) 同(一)及び(二)は認める。

(二) 同(三)のうち、水平坑道の幅が約3.5メートルであったことは認め、その余は争う。

(三) 同(四)は争う。

2 同2(宇根鉱山における作業の実態と粉じん)について

(一) 同(一)(グローリーホール採掘法での採石作業)のうち、(1)は、グローリーホール採掘の一般論としてであれば認める。宇根鉱山のグローリーホール採掘ということであれば、下向き削孔の深さは約3.6メートルの規格であり、「1.5メートルないし3.5メートル」ということではない。

(2)は否認する。

(二) 同(二)(探鉱坑道掘進作業)の(1)のうち、探鉱坑道掘進が坑内作業であり、幅約二メートルの水平坑道を掘進するものであることは認め、その余を争う。宇根鉱山の探鉱坑道掘進においては、ズリ取りはローダーによる機械積みが行われた。

(2)は否認する。

(三) 同(三)(ベンチカット方式での採石作業)のうち、(1)は認め、(2)は否認する。

(四) 同(四)(その他の作業)のうち、(1)は認め、(2)は否認する。

六  請求原因七(石灰石鉱山におけるじん肺罹患の危険性等)についての認否及び積極的主張は、後記第四(請求原因に対する被告菱光の反論)記載のとおりである。

七  請求原因八(被告らの責任)について

1 同1(健康保持義務とその性格)を争う。

2 同2(じん肺被害発生防止のための総合的・体系的対策の必要性)を争う。

3 同3(健康保持義務の具体的内容)を争う。

健康保持義務はその内容が明確でない。

4 同5(被告菱光の義務懈怠)を争う。

その積極的主張は、後記第四(請求原因に対する被告菱光の反論)の二(宇根鉱山におけるじん肺罹患の危険性の低さ)記載のとおりである。

5 同7(被告菱光の帰責事由)は争う。

6 同8(被告らの損害賠償責任の発生)は争う。

八  請求原因九(請負企業の従業員に対する被告らの責任)は争う。

雇用契約上の安全配慮義務は、高度の人的・継続的関係に伴う誠実・配慮の要請から導かれる義務であって、単に事業主体が鉱業権者であるために各種公法上の保安責任を負わされていることをもって、安全配慮義務の存在を肯定してはならない。

本件では、一般的に従属性の強い元請企業と下請企業の間の問題とは異なり、請負契約の発注者とその対等な当事者である請負会社の従業員との間の問題であり、請負会社の従業員の使用する設備や工具類も、ほとんど請負会社が独自に調達、管理している。すなわち、被告菱光から坑道掘進や採鉱等の各種業務を請け負った三菱建設(旧社名は新菱建設、本件の亡鈴木が所属したとされる金森組は同社の下請企業の関係にある。)は、東京証券取引所の上場企業であるゼネコンであり、被告菱光以外の他の多数の企業からも多くの工事を請け負っている十分な能力を有する独立企業であって、丙一三、一四、二五号証からも窺われるように、各種請負業務にあたっては、発注者である被告菱光と請負会社となる三菱建設との間では、工事仕様や請負代金(この中には、当然、資材・器材等の購入費・損料や人件費、保安衛生費等が含まれていることになる。)などについての十分な検討や交渉がなされ、その結果として請負契約が締結されている。宇根鉱山における三菱建設の請負業務を見ても、例えば、圧気管等の圧気動力設備や給水管等の給水設備、ベルトコンベアなどの送鉱設備等、被告菱光が所有する恒久的な鉱山設備が既に存在する場合に、あらかじめこれを利用することを前提にして請負契約を結び、これを使用することはあるが、掘削に用いる削岩機やロッド、ビット、矢木、丸太等の消耗品、ローダー、トロッコなどの積込運搬器材、臨時に敷設する圧気動力、給水、通気等の設備、またベンチ採掘で使用するクローラードリルやブルドーザー、大型ダンプなどの大型器材等、さらには防じんマスクなどの保安用具まで、請負業務で使う資機材は、基本的に請負会社(三菱建設及びその下請会社)がその責任で手配し、管理しているのである。原告らは、鉱山で使用する全ての資機材を被告菱光が所有・管理して下請企業の従業員に提供していると主張しているが、全く事実に反している。

また、被告菱光は、宇根鉱山において、鉱業権者として、鉱山保安法等を遵守し、保安規定や保安委員会等所定の保安体制を整備していたが、被告菱光は、請負企業(三菱建設ないしその下請会社)の従業員に対する指揮監督権を有してはおらず、実際にも、請負企業の従業員に対し、作業場所、作業内容等を指示するなどの指揮監督を行っていない。被告菱光から一括して請け負っていた三菱建設の責任係員が請負業務範囲全体を統括するほか、金森組らその下請企業からも現場係員が出るなどして、作業についての指揮監督を行い、業務を遂行していたというのが実態である。

以上によれば、被告菱光と亡鈴木との間に雇用契約に類似する使用従属関係があったとする原因らの主張は失当である。

九  請求原因一一(患者原因らの損害)は争う。

一〇  請求原因一二(相続及び訴訟承継)は不知。

第三  請求原因に対するニッチツの反論

一  作業環境管理義務違反の主張について

1 粉じんの抑制・防止義務について

(一) 削岩機の湿式化等

(1) 被告ニッチツが秩父鉱山において使用した削岩機は、昭和二五年八月一日の操業開始当初から、全て湿式削岩機であった。

(2) 湿式削岩機への給水方法としては、当初ウォータータンク(容量七〇リットル)に給水し、鉱車あるいは台車に積み込んで削岩現場まで運搬し、湿式削岩機に給水した。湿式削岩作業において使用する給水量は、坑道掘進の場合、一の方につき、削岩員一人当たり平均してウォータータンク二本前後であった。

給水の水については、秩父鉱山の坑内水が他の地域に比較して多いことから、坑内における湧き水や浸透水その他の坑内水を利用したが、湿式削岩機用の給水は、いつでもどこでも容易に確保できる状況にあった。そこで、ウォータータンクへの給水は、各削岩作業箇所の最寄りの坑道の側溝を拡幅して貯水池を作って集水し、削岩員の人力によるバケツ(八リットル容量の小型)給水を行った。その所要時間は二〇〜三〇分程度であった。

湿式削岩作業中にウォータータンクの水がなくなった場合は、いったん削岩作業を中止し、最寄りの貯水池にてウォータータンクに水を補給し、再び削岩現場に戻って、湿式削岩作業を継続した。

なお、たまたま湿式削岩作業中にウォーターホースやエアーホースが落石その他で破損し、水漏れや漏風を起こすことがあるが、その場合には、湿式削岩作業自体ができなくなるので、削岩作業を一時中止し、現場にて応急修理を施して、削岩作業を再開した。

(二) 給水設備の設置及び給水状況

(1) 秩父鉱山においては、昭和二七年から大黒坑のウォーターパイプラインの敷設が開始され、昭和二九年度末には、秩父鉱山の大方において、右敷設が完了した。しかし、秩父鉱山は操業区域が広範であり、一部未完成の部分が残ったため、東京鉱山保安監督部長の適用猶予許可を受け、そして、昭和三一年五月末、秩父鉱山の全てのウォーターパイプラインの配管敷設を完了した。

(2) 秩父鉱山の坑内水は他の地域に比較して多いため、大黒坑と道伸窪坑の湿式削岩用給水及び撒水用水は総て坑内に設置した貯水池(一部ポンプ座の水バック)の坑内水を使用した。唯一坑外に貯水池を設置したのは赤岩坑だけである。秩父鉱山は各坑口とも水が多く、湿式削岩用の給水はもちろん、コンプレッサー等の鉱山機械の冷却水にも、充分すぎるほどの豊富な水量があった。したがって、ウォーターパイプラインが敷設されても給水が不十分であるとか、充分な水が供給されないことがしばしばあったということは、全く存しない。

なお、唯一、赤岩坑における冬期の厳寒期に、保温したショーレックスパイプが夜間に凍結して給水できないということが一年に二、三回あった。そのような事態が起きると、コンプレッサー三台(一〇〇馬力二台、七五馬力一台)の冷却水の給水ができなくなるため、コンプレッサーは運転不能になり、削岩作業自体が全面ストップとなるから、空繰りすることもできなかったはずである。

(3) 原告らは、「シュリンケージ法では坑道よりも高い場所での作業となるため、水が使用できない切羽が多かった」と主張しているが、ウォーターパイプラインでも、ウォータータンクでも、水には水圧がかかっているから、水圧が弱くて水が上がらないか、水は上がるがホースが破れて漏水していて水が途中でなくなったか、ウォータータンクが故障したか、あるいは水を押し上げるエアーホースが破損した場合以外には考えられない。しかし、ウォータータンクの場合、庄縮空気の圧力で水を押し上げる構造になっており、一キログラム/平方センチメートルの圧力は理論上水を一〇m押し上げる。削岩機で使用する圧縮空気は通常五キログラム/平方センチメートルの圧力があるため、水は四〇m以上上がるはずである。また、その他の理由については、修理すればよいだけである。

(三) 散水について

(1) 秩父鉱山の坑内における出水滴水および湧水は、他の鉱山に比較して多い。したがって、秩父鉱山の坑内は、これらの水が坑道の天盤、側壁、床からしみ出したり、流れ出ている切羽が多いので、これら湿った切羽から採掘される鉱石や岩石は既に多くの水分を含んでいる。その上、湿式削岩作業で流れ出る相当量の削岩用水を含んで十分に湿った状態となっているので、積込み時に大量の粉じんが発生することはない。

坑道掘進の削岩を開始する場合には、事前の掘進先の周辺の岩盤に十分に散水を行い、浮遊粉じんの発生防止と発破によって岩盤に付着した粉じんが削岩機の振動や排気で再び浮遊粉じんになるのを防止した。散水の方法は特別に難しいことではなく、普通に水ホースの先端を手で絞って霧状に散水すればよいのである。

もちろん出水や滴水及び湧水の状況は切羽によって様々であり、散水範囲を一律に規制して指示することはできないので、必ず撒水は行うこととしつつも、その量(十分に切羽の周囲岩盤が湿るまで散水する。)については各作業員の判断に任せていた。

(2) 原告らは、「運搬における散水も、ズリや鉱石の重量が増し、作業に支障をきたすため、全く行われなかった」と主張するが、これは誤りである。

前述のとおり、秩父鉱山は坑内水が多いため、散水するまでもなく、坑内は湿潤であった。したがって、湿潤な作業環境の中での削岩作業や積込作業は珍しいことではないから、散水をしたからといって、特に作業に支障をきたすことはない。

また、作業効率についても、坑内水の多い切羽における作業は乾燥した切羽における作業と比較して若干能率が低下することがあるかもしれないが、格別作業に支障を来すほどのものではなく、むしろ機械化を早めた利点があった。すなわち、昭和三一年四月から五月にスクレーパーやローダーが導入され、続いてバッテリーロコ及びEL(電気機関車)が採用されて、運搬作業は次々に機械化されたので、散水による影響はおろか、坑内水による作業能率の低下も、たちまち解消し、むしろ大幅な機械化による能率アップとなった。

2 発生粉じんの除去義務について

(一) 通気対策について

原告らは、金属鉱山における通気対策の最大の問題点は、入気経路と排気経路が区別されていないことであり、したがって、切羽を通って粉じんで汚染された空気が他の作業箇所を通るため、かえって粉じんに曝露される結果を招来すると主張する。

しかし、金属鉱山は石炭鉱山と比較すると最も危険な可燃性ガスや炭塵がなく、これらによる爆発の危険性がない。さらに、鉱石の産出量は石炭鉱山と比較してきわめて少なく、切羽は鉱体の賦存状態や生産体制から小規模で各所に点在しており、集約化や機械化もなかなか難しい上に、就業人員は、小規模で各所に点在している切羽に、単独かせいぜい数人の作業員が分散就業している程度である。

また、入気経路と排気経路が区別されていないというのも誤りである。すなわち、空気はその密度差によって通気力が起こるものであり、高さが異なる二つの坑口がある場合には、温度差と高低差によって両坑口間に空気密度の差を生じ(通気力)、空気の流れが起きる。これが自然通気力である。つまり、同じ経路であろうとも、入気の場合と排気の場合の両方があり、それが同一に起きることはない。その意味では入気経路と排気経路は区別されているのであり、それだからこそ、空気が流れ、呼吸が可能になるのである。炭坑の場合には、入排気坑口の高低差がほとんどない場合が多く、夏季と冬季の通気の方向が反対になったり、春秋のように自然通気量が減少すると、可燃性ガスや炭塵爆発災害防止上重大な支障となるから、通気は機械力による強制通気方式が要求され、常時一定の通気量を一定方向に通気を流さなければならないし、その通気方向と通気量に対応して設置した通気施設の維持・管理もまた、常に一定の状態に維持しなければならない。このように、金属鉱山と石炭鉱山ではそもそも通気の由来や目的が異なるのである。

(二) 扇風機について

(1) 昭和四二年三月、道伸窪坑一、〇二四m坑口付近に主要扇風機を設置し、大幅な通気改善となった。赤岩坑は、昭和四二年三月以降昭和四七年九月の終堀まで、自然通気ではない。局部扇風機の所有台数は、年次により、坑別により、移動するものであって、固定しているものではない。また、通気施設も、坑道掘進の状況や採掘切羽の変化に応じて設置したり取り外したりするため、度々通気施設の種類(風門や分流門その他)や設置箇所及び個数もまた変化するのが当然である。まして、赤岩坑全体で二、三箇所にしか設置されていなかったからと云って、そのときの坑道掘進や採掘切羽の状況や通気状況も分らずに、単純に個数だけできわめて不十分であると断定できるものではない。

(2) 原告らは、「自然通気に頼る通気方法では、全く空気が動かず、発生した粉じんはいつまでも排出されないで、その場に滞留し続ける。」と主張する。

しかし、およそ新しい鉱体を発見し、そこに新規に採掘切羽を開設するまでは、通気方式が、強制通気であれ、自然通気であれ、各坑道は行き止まりで袋状になり、空気は動かなくなるから、局部扇風機かエアージェットで空気を送らなければならないことになる。局部扇風機による通気方式は、風管を通して新しい空気を小型の局部扇風機で切羽の先端まで送りつけるというものである。エアージェット方式は、圧縮空気をエアーホースで切羽の先端に吹き付ける方法である。これらの空気によって、坑道一杯の容量の清浄かつ新鮮な空気が吹き込まれうることになる。

したがって、原告らの右主張は誤りである。

二  作業条件管理義務違反の主張について

1 粉じん吸入・曝露の機会減少義務について

秩父鉱山では、作業員を発破による粉じん曝露から隔離する方法によって粉じん曝露を極力減少することが有効適切な防じん対策と考え、発破後は直ちに発破の現場を離れて坑外に上がるいわゆる「上がり発破」方式を採用した。この場合、発破による粉じん曝露はない。このことは原告らも認めるところであるが、一方、原告らは、現実には発破後すぐ上がることができずに現場に戻ることが度々あり、そのような場合には作業員は粉じんに曝露されたと主張している。しかし、それらも誤りである。

(一) その一つの原因は、発破後の不発の確認のためであると原告らはいう。しかし、不発箇所には、前日就業した同じ作業員が翌日一の方に就業して不発の処理をすることになっており、上がり発破の場合に、削岩員が発破後まだ発破による粉じんや煙が収まる前に、発破箇所に戻って、不発の有無を確認したり、不発の火薬類を確認することはない。

(二) 突然かつて経験したことがない極度の硬岩に遭遇し、標準削孔配置図では処理できないことがあったが、この場合には、新たに試験発破を行って、その極度に硬い岩盤の発破規格を立案せねばならないことになる。この試験発破の方法は、最初に中心部の芯抜き発破をした後の状況を観察し、次に、周辺部の削孔配置を考えながら削孔し、周辺部の払い発破をかけるいわゆる二回発破を行うもので、どのように削孔を配置して、それぞれの孔に装填する爆薬の種類と量をどのように使うのが最も有効かを決定する試験研究であるから、規定の時間や作業量にとらわらず(二日でも三日でもかけて良い)、慎重に実験研究を行って、「削孔配置」を決めるわけである。したがって、二回発破は、この試験研究の期間だけであり、しかも、2.3回程度試験発破を行い、その経験を生かして、一回で発破ができる削孔配置を決めるわけであるから、二回発破の頻度はそれほど多くはない。二回発破が必要なケースが一〇日に一、二回もあるはずはないし、人車時間に合わせるために、発破後の待避時間を充分に取ることなく、すぐに切羽に戻って作業を行う必要もない。

(三) 原告らは、「上がり発破が厳格に実行されたとしても、それによって発破の粉じんから逃れられるのは一の方だけであって、一の方の発破が行われた一時間後に運鉱員が二の方として積込作業に従事した場合、抗道には粉じんが充満している。」旨主張する。

しかし、秩父鉱山では、採掘切羽は常時一の方(午前八時〜午後四時)であるから、二の方が同じ場所に入ることはない。また、坑道掘道や切上がり坑道についても、原則一の方であるから、二の方が同じ場所(切羽)に入ることはない。一の方の作業が互いに邪魔し合うようなときは、二の方に配番されたが、切上がり掘進のように、発破の後に足場作りのための掘進作業を行うときは、切上がり掘進作業は二の方、支柱作業は翌日の一の方で実施するようにして、作業員が粉じんに曝露しないように番割りした。したがって、二の方が一の方の発破後(一時間後)に同じ場所に入るようなことはないから、一の方の発破による粉じんに曝されるという原告らの主張は誤りである。

2 粉じん吸入防止義務について

(一) 防じんマスク

(1) 防じんマスクの選定・支給

秩父鉱山では、事業の遂行に当たり、生産・保安はもちろん、他の全ての部門においても、常時技術の研究開発と操業の合理化に努め、安全性と生産性の追求により、更なる事業の発展に努力してきた。そして、その上で、特に粉じん防止に関しては、絶えず実践可能な現存する最高の医学的科学的技術的水準に基づいたじん肺防止対策を実施し、防じんマスクについても、その当時としては最高の品質のマスクをいち早く採用した。

しかし、除じん効率が高いことと、吸気抵抗が小さくマスクを着用しても無理なく楽に作業できることとは相反する面もあるから、作業の実体に合わせて粉じん曝露の多い作業に従事する職種には除じん効率の高いマスクを、他方比較的粉じん曝露の少ない作業に従事する職種には吸気抵抗の小さいマスクを使用させる等、幾種類かのマスクを選定し、作業の実態に合わせて使用させた。

その選定には、除じん効率を満足させる一方、着用して作業に無理が生じないマスクにするため、実際に現場で作業員に試着させて、その意見を総合的に検討し、保安委員会で最終的に決定した。

昭和二五年一二月、防じんマスクの国家検定制度が確立され、国家検定試験に合格したマスクしか市販できなくなっていたから、この国家検定合格品のマスクの中から、各作業職種の実態に合わせて、最も適当なマスクを選定し、坑内作業員及び坑外の粉じん職場の作業員に無償で支給した。したがって、昭和二五年の被告ニッチツ設立当初から、全て国家検定に合格した防じんマスクが無償で支給された。

(2) 防じんマスクの管理・交換

① 防じんマスクの管理は、当初使用者各人にその管理を委ねていたが、各人の使用後の清掃や修理、その他寿命のきたマスク及びフィルター等の部品の適切な交換等が各人マチマチであって、使用状況が良く把握できなかった。そのため、昭和四二年ころには、坑口及び工場の鉱員休憩所内に消毒・乾燥・浄化のための設備を設け、女子従業員を各職場に配置してマスクを洗濯させるなどの集団管理方式を採用した。

② 原告らは、「労働者に支給した防じんマスクについては、濾過材あるいは防じんマスク本体の寿命がきていないか、除じん効率が検定合格基準以下に低下していないかを適切に点検し、低下したものについては即時に無償で交換する体制を取るべきである。」と主張するが、そのような判定は各人が行うべきであり、かつ、何時でも交換できたのであるから、自分の管理不足を認めたことに他ならない。

もちろん、故障あるいは破損その他の不良品等、マスク本体及び部品に不具合が発生したときは、何時でも即時に無償で交換する制度とし、実際にも交換していた。

マスク本体はもちろん、特にフィルターの寿命は、フィルターの材質(種類)、環境中の粉じん量、使用期間、作業環境、使用方法、手入れ方法等によって大きく影響され、作業員によってマチマチであるから、一律にフィルターの交換の基準を決めることはできない。濾過材は時々手入れをして清潔に保つとともに、保管には高温多湿の場所を避け、三、四ケ月に一回は取り替えるようにすることとしている。濾過材の取替え基準については、濾過材が粉じんを捕集するにつれて線維間に粉じんが吸着され、いわゆる目詰現象が起きるため、吸気抵抗が上昇し、だんだん息苦しくなってくるのであるから、各自が交換の時期を判断できるのである。

したがって、秩父鉱山では、濾過材の交換時期の判断基準については、作業員がマスクを装着して作業するときに息苦しくなったと感じたときをもって濾過材交換の時期と判断し、作業員の直接申告による交換制度とした。

(3) 削岩作業員以外の作業と防じんマスク

① 昭和三〇年ころまでの掘進作業の人員構成は削岩員二名と運鉱員一名の計三名編成であったが、昭和三一年頃からTY一二四LD型削岩機(東洋削岩機レッグドリル)が実用化され、続いてローダー(積込機)が採用されて、掘進作業は大幅に合理化された。そのため、人員構成は削岩員二名だけの編成となり、運鉱員一名は減員となった。したがって、削岩員と同様に粉じんに曝される運鉱員は掘進作業から姿を消した。

また、採掘作業それ自体、昭和四〇年代に入って、シュリンケージ採掘法からサブレベル採掘法に移行したため、運搬方式も、人力による漏斗からの鉱車への積込・手押し運搬方式から、ローダー・スクレーパー積込、ビンゲート積込、グランビー鉱車(自動反転式鉱車)及び電車の組合せによる電車運搬方式の遠隔自動積込方式へと大幅な転換を行った。当然のことながら、運鉱員の作業内容も、直接人力による積込運搬方式から機械力による遠隔操作方式へと様変わりしたため、従来よりも粉じん曝露の量は大幅に減少した。

当然のことながら、使用する防じんマスクは、過去の職種によるのではなく、作業時現在の作業実態に対応した防じんマスクを使用するのであり、「削岩員と同様に多くの粉じんに曝される運鉱員には二級マスクが支給された」との原告らの主張は、時代の流れと技術の進展による作業実態の変化を全く認識しないものである。

② 支柱員については、シュリンケージ採掘法の場合には、作業の大部分は漏斗作りであったが、サブレベル採掘法に移行して、漏斗がなくなり、若干の枠入れ作業その他の支柱作業が残るのみとなったため、一部を残し、削岩員に職種変更した。

(4) 防じんマスクの装着性

原告らは、「個々の労働者に防じんマスクを支給する際に、個々人の顔面への装着性が確実であるか否かを検討した上で選択しなかった」と主張する。

しかしながら、防じんマスクは各人のオーダーによるものではないため、個々の作業員の顔に完全に合うマスクを要求することは、それ自体無理がある。

防じんマスクには、ML・M・MSの三種類のサイズがあるが、この三種類のマスクの中から、各人が最も自分の顔に合ったサイズを選択したが、それでも当然装着度において不具合は発生する。そこで、装着性を検査するために試着をさせ、メリヤスカバーで微調整を行い、各人の顔にあったマスクを整えた。

(5) 作業内容と防じんマスクの着用

① 原告らは、「人道切上がりの掘削作業は、上向きに掘り上がる作業であって、湿式削岩機の水が落ちてきて顔面に当たるため、マスクを使用できなかった。」と主張するが、原告黒沢自身、人道切上がり作業のときにも、削岩員はマスクをしていたと供述している。

② 原告らは、「重量何百キロという鉄のトロッコを人力で運ぶという重労働であったため、マスクを支給された後も、マスクを着用せずに作業を行わざるを得なかった」と主張するが、誤りである。

「空車押し」は決して重労働とはいえない。鉱山保安教本によると、鉱車の手押法で毎日手押作業に従事する場合、人力は一〇〜一五㎏程度であり、ほぼゴルフバッグ程度である。時間も、運搬距離によるが、三〇〇mで約五分前後、しかも断続的な作業である。

また、秩父鉱山の鋼製鉱車(四〇〇㎏)とベアリングおよび軌条の勾配(一/五〇前後)等の条件で、上り下りの負荷重量(総抵抗値)を計算すると、F値(鉱石を一、二〇〇㎏積んで下る場合の負荷重量)はマイナス一二㎏となり、下り勾配で自走するから、ブレーキをかけないと危険な状況である。

秩父鉱山においては、昭和二五年頃からマスクが配られ、マスクの着用も総体的に良く実施されており、実際に運鉱員もよくマスクを着用していた。

(6) マスク着用の指導と管理

秩父鉱山においては、毎月開催される「保安委員会」や「職場安全委員会」の他、各職場において、機会あるごとに厳しくマスクを着用するように指導してきた。

また、労働組合の中に「保安協議会」という組織があり、この保安協議会が中心となって、労働組合独自に保安に関する宣伝活動を行い、「防じんマスク着用の徹底運動」を展開する等、労使が一丸となってマスク着用の指導に努力してきた。

具体的な防じんマスクの着用範囲については、保安規程(乙第四〇号証)の第四三条、第八五条、第八六条、第二一五条に具体的に規制し、再三教育してきたので、粉じん作業に従事する作業員にとって周知の事実となっていた。

例えば、入気側の坑道や休憩所では防じんマスクを着用しないでも良いことにしてあるが、削孔作業中や積込作業中、濾斗抜き作業中等、特定した作業と作業箇所では必ず防じんマスクを着用するように厳しく指導した。担当係員はもちろん、その他の管理者や監督者が保安巡視のときに防じんマスクを着用しないで作業をしている作業員を眼にしたときは、直ちに注意すると同時に、作業を中止させて防じんマスクを着用させ、その着用を確認した後に作業を続行させるように指導した。

さらに、防じんマスクの管理方法については、担当係員が作業員にマスクを支給するときに、マスクと一緒に説明書が入っており、誰にでも分るように平易に書いてあるため、それを読めば分るし、大体各作業員は充分使い慣れて熟知しているから、その都度特に係員が説明することはしなかった。

三  健康等管理義務違反の主張について

1 じん肺健康診断

(一) 秩父鉱山においては、昭和三四年一〇月以降、埼玉労働基準局の小沼医師の直接指導を受けた内科医清水医師が、被告ニッチツの診療所において、年一回、最新型(カツラ号三〇〇型)レントゲン撮影機(島津製)による直接撮影方式によるレントゲン撮影を行い、じん肺健康診断を行った。

昭和四八年三月、右診療所は閉鎖のやむなきに至ったが、閉鎖後のじん肺健康診断は、県立循環器センター(旧県立小原療養所)にて、毎年定期的に実施した。

(二) じん肺健康診断の結果については、埼玉労働基準局長名の「じん肺管理区分決定通知書」によってじん肺管理区分が決定される。無所見者である管理区分一の該当者には特別の通知はしない(労働組合と会社の間の了解事項)。有所見者である管理区分二以上の該当者には、昭和五二年七月以前は口頭で、それ以後は書面にて、直接本人に通知した。また、労働組合及び所属長には、会社担当者より口頭で連絡した。したがって、有所見者については、本人、所属長及び労働組合が知っていることになる。

2 就業上及び医療上の措置

じん肺管理区分二以上の該当者には、毎年一回定期じん肺健康診断を受診させ、ケアを継続しながら、その結果を秩父労働基準監督署に報告した。

また、じん肺管理区分二以上の該当者であった者が、じん肺管理区分三のイの症状に進展し、現に常時粉じん作業に従事しているときは、その者を粉じん作業以外の作業に常時従事させるべく、職場の転換を行った。しかし、会社側の職場転換の勧奨に納得しない者もいた(手当の減額が大きな理由であった。)ので、その場合には、秩父鉱山労働組合を立会人とし、当該作業員と会社側の三者協議で説得し、最終的に職場転換させた。その場合にも、事後において、秩父労働基準監督署に職場転換したことを報告した。

さらに、管理区分四と決定された者及び合併症にかかっていると認められる者については、医師の指導により療養させた。

3 労使協定に基づく金銭の支給

職場転換に応じた者に対し、配置転換手当を支給した。休業補償については、労働者災害補償保険法による給付と合わせて、平均賃金の百分の百になるように支給した。

4 保安教育と保安管理体制

被告ニッチツは、採用時及び在職時において、それぞれ保安教育を実施した。在職時の保安教育は、作業に伴う教育(職場安全委員会の開催、医師による講演会の開催、スライドテキストによる教育)、有資格者及び指定鉱山労働者教育、保安委員教育、労働組合の教宣活動、無災害報告運動、労使と鉱山医による巡回点検等があった。

四  請負企業の従業員に対する被告ニッチツの安全配慮義務

1 一般論

(一) 安全配慮義務は、あくまでも雇用契約の中心たる要素としての使用者の業務命令権・労務指揮権に付随する使用者の義務であるから、その前提としては、被用者が使用者の指揮監督の下に労務に服する法律関係、あるいは使用者が当該被用者の労務を直接に管理・支配する法律関係が存在することが必要である。

したがって、最高裁判例にいう「ある法律関係」とは、直接の雇用契約に必ずしも限定されるものではないとしても、少なくとも、これと同視できる程度に、信義則上当事者の一方が相手方の安全を確保する義務を負うことが相当な社会的接触の関係に入ったと認められる法律関係の存在が必要とされる。

特に、本件のように、組従業員原告らと直接の雇用契約を締結した請負人(これがその被用者に対して雇用契約に基づき安全配慮義務を負うことに争いはない。)が存在するにもかかわらず、当該労働者に対して直接雇用契約関係がない第三者(被告ニッチツ)が請負人と並んで安全配慮義務を負うとすることは、極めて例外なのであって、その要件は慎重に吟味しなければならない。したがって、本件において、直接の雇用契約が存在しない被告ニッチツに対して信義則上の安全配慮義務を負わせることが相当であるというためには、安全配慮義務の前提である業務命令・労務指揮が発生する根拠、具体的には雇用関係と同視できるだけの労働関係の存在が必要不可欠である。

右にいう雇用関係と同視できる労働関係が成立するためには、被告ニッチツがその指揮命令の下で請負人の被用者から直接労務提供を受けるとか、請負人の従業員に対して被告ニッチツが直接業務命令を行なうとか、請負人の被用者の労務(作業)の内容や手順及び同人への賃金の支払に被告ニッチツが関与するとか、請負人の被用者が使用する各種機材やその材料を被告ニッチツが供給するとか、被告ニッチツが請負人の安全衛生管理に直接関与する等のさまざまな具体的要因を全て満たしていなければならない。

判例において、直接の雇用関係のない場合に安全配慮義務があるとしたケースを例に述べれば、労働者が会社の管理する設備、工具等を用いていたことと、その作業内容も会社の従業員であるいわゆる本工と同じという二つの要素だけで、元請会社と下請会社の被用者との間に特別な社会的接触の関係に入ったと認定しているのではなく、最も重要な要素である元請会社の業務命令の存在、同社の指揮監督を受けて稼働していた事実の存在(右判例でいう「事実上上告人の指揮監督を受けて稼働したこと」)が認められたからである。

(二) そして、右の指揮監督は、注文主(元請会社)から請負人(下請会社)の個々の被用者に対して直接になされる場合に限られるというべきである。なぜならば、注文主が請負人の従業員に対して直接に業務命令(指揮監督)を行っていない場合にも、注文主に安全配慮義務が生じるということになると、「注文者は請負人が其仕事に付き第三者に加えたる損害を賠償する責に任ぜず」(民法七一六条)と定められた注文者免責の原則に反することになるし、単なる注文主である被告ニッチツに対して請負人の従業員への安全配慮義務のみを認めることになって、極めて不当な結果となるからである。

2 直接の指揮監督関係の不存在

(一) 就労場所の提供について

注文主が請負人に対して請負作業の場所を指示または指定することは、一般の請負作業においても通常見られるところである。もとより請負作業場所を請負人に委ねる場合もあるが、請負作業の性質上どこで作業するかが重要な場合には、請負作業場所を注文主が指示することは当然である。このように、請負作業場所を指定するか、請負人に委ねるかは、請負作業の内容によって決定されることであって、安全配慮義務の問題とは全く関係がない。

本件では、坑内における採掘作業等を請負企業に請け負わせるわけであるから、坑内のどの場所を採掘してもらうかを指定することは請負作業の性質上当然のことである。

なお、被告ニッチツは、請負企業に対してどの場所で請負作業をやってもらうかは指定したが、請負企業の個々の従業員の作業場所を指定した事実はない。

(二) 施設・機械設備・機材・作業服等について

(1) 坑内における採掘作業等の性質上、削岩機等へ水を供給するためのウォーターパイプライン、ウォータータンク等の給水施設、作業現場での通気施設(自然通気のための坑道、通気調節の風門、局部通気のための扇風機や風管等)、人及び資材運搬用の設備(人車、鉱車、ローダー等)、機材動力設備(エアーコンプレッサー)、排水設備(ポンプ)は、坑内における坑道掘進及び採掘作業等において当然に使用するものである。これら坑内における設備は、使用する者が本工だからとか、請負工だからということで、分離して使用することはできないし、分離して使用させる意義もないため、被告ニッチツが請負企業に対して無償で供与していたにすぎない。これらは、鉱山における坑道掘進作業の性質からそのようになされていたにすぎず、請負企業の従業員らと被告ニッチツとの間の使用従属関係の問題とは無関係である。

(2) 他方、坑内の設備ではなく、請負企業の個々の従業員らの坑道掘進作業・採掘作業そのものに必要な削岩機(及びトッドやビット)・防じんマスク・作業服・保安靴・保安帽・ホース等は、請負企業がその費用で準備して、各従業員らに供与していた。

被告ニッチツは同一の機種を請負企業の分まで一括して購入していたが、請負企業の従業員に必要な分は有償で売却していたのであるから、請負企業がそれら機材をどこから買ったのかという問題にすぎない。したがって、これもまた使用従属関係の根拠とならないことは明らかである。念のために言えば、これら機材を請負企業の従業員に直接に支給し、その代金を被告ニッチツが請負企業を通じて各従業員らから徴収していた事実はない。

削岩機(及びロッド・ビット)・防じんマスク・保安帽・保安靴・ホース等の種類・機種についていえば、請負契約である以上、作業に必要な機材は請負企業が用意しなければならないのであるから、その機種等については、請負企業がその責任と判断で選定できるのが原則である。しかし、右各機材は、坑内作業で使用する以上、当該鉱山の岩盤、岩質、坑道の大きさ、広さや作業環境等に適することが要求されるし、機種の交換や補修についての便宜等の観点から、被告ニッチツが使用するのと同じ機種を請負企業がその判断で購入し、各従業員に使用させていた。そうであるからといって(請負工がたまたま本工と同一の機種を使用したからといって)、請負工に機材を貸与する者が請負企業である以上、被告ニッチツとの使用従属関係の根拠にならないことは明らかである。もとより、請負企業の従業員らから被告ニッチツがその代金を徴収した事実はないから、この点でも使用従属関係は否定される。

(3) 防じんマスクの選定については、被告ニッチツの保安委員会において、労働者の試験装着の結果を参考に検討して決定していたが、右委員会には、請負企業の代表者もオブザーバーとして出席し、マスクの選定について意見を述べていた。保安靴・保安帽の選定についても、防じんマスクの選定と同様なやり方で保安委員会で決定していた。

したがって、たまたま本工と請負工が同一の種類のマスクや保安靴等を使用する結果になったが、請負企業の分は、被告ニッチツではなく、請負企業が支給していた以上、使用従属関係の根拠となるものではない。

なお、使用従属関係が存在しなかったという証拠は作業服である。作業服については、本工と請負工とが一時的に同一の服を使用した時期もあったが、その後は、請負人が選んだ服と被告ニッチツが選んだ服とは異なる種類のものであった。このことは、これら機材類の問題が使用従属関係と無関係であることを示している。

(三) 採用・配置等の労働条件の決定

使用従属関係があるというためには、何よりも、請負企業における従業員(請負工)の採用、賃金等の労働条件の決定権が被告ニッチツになければならない。

しかしながら、請負工の労災保険・健康保険等の各種社会保険の加入はもとより、請負工の誰をどの現場に配置するか、誰をいかなる作業につけるか、担当者に対する具体的作業の番割り等については、すべて請負企業自身の責任で決定され、各請負工について実施されていたのであるから、被告ニッチツと使用従属関係があったということはできない。

被告ニッチツには、請負契約に基づいて、労働者名簿(誰を入社させ、退職したかが記載されたもの)のみが請負企業から通知されたに過ぎず、各人の賃金等の労働条件はもとより、各人の配置や作業についての通知もなかった。被告ニッチツがこれらに関与することはなかったし、できなかったのである。

(四) 請負企業の従業員に対する被告ニッチツの指揮・監督

(1) 請負作業(具体的には請負契約で定められた坑道掘進・採掘作業)については、請負契約に基づいて、請負作業場所及び作業内容を合意するにとどまり、被告ニッチツが個々の請負工に対し、直接作業の指示を行うことはなく、指揮・監督・命令を行うことはなかった。

請負企業の判断により、各請負工毎の担当現場が決定されるが、請負工の作業内容、その準備や段取り等の作業指示は、一切請負企業が担当し、被告ニッチツの係員が請負企業の従業員に対して直接に指示を行なうことななかった。

(2) 被告ニッチツと請負企業との間において、月に一回程度協議が行なわれることはあったが、それは被告ニッチツが発注した請負内容の達成がなされているかどうかという作業の進捗状況の確認のための打合せにすぎず、請負作業自体は、請負企業の判断と責任において行なわれていた。

(3) 被告ニッチツの係員の坑内の現場巡回(金属鉱山等保安規則二二条に基づくもの)は、同規則で定められたとおり、一の方につき一回(ないし二回)程度であり、一つの切羽を巡回する時間は約五分間であった。

右巡回時における係員の主要な職務は、現場における保安面(落ばん、火災、爆発等の危険発生のおそれがないか否か)をチェックすることにあった。被告ニッチツの係員の右巡回の際に、作業の工程や手順について同係員が請負企業の従業員に対して直接に指示をするようなことはなく、作業に関わる具体的指示は全て請負企業の担当者によって直接に行なわれていた。たまたま係員の巡回時において、作業者にじん肺防止措置としての防じんマスクの着用・散水・削岩機の水使用等について違反があれば、本工・請負工を問わず、係員は注意を行なっていたが、あくまで巡回の目的は保安面でのチェックであって、じん肺防止対策を遵守しているかどうかをチェックするのが目的であったわけではない。

いずれにしろ、請負企業の担当者と重なって被告ニッチツの係員が巡回しチェックしていたからといって、被告ニッチツとの間に使用従属関係が発生するわけではない。

(五) 保安教育(安全教育)

保安教育(安全教育)は請負契約に基づいて請負企業が実施していた。

なお、被告ニッチツが請負企業の従業員に対しても保安教育を実施した場合があるが、これは金属鉱山等保安規則に基づく措置である。すなわち、被告ニッチツの鉱山で初めて就業する者に対する保安教育(新入社員教育と称されていたが、正確な意味で言えば新入社員ではなく新規就業者教育である。)が新規就業者が発生した時に行なわれていた。その際には、本工と一緒の場合もあれば、請負工だけの場合もあったが、その教育において、規則・規定の説明、災害(特に発破や落盤・浮石におけるもの)の状況と防止対策の他、健康診断やじん肺防止対策についても、湿式削岩機の水使用・散水・防じんマスクの着用を中心に行なっていた。

また、坑内や坑外における特別な技術を要する、あるいは特に注意しなければならない危険な作業を行なうに必要な保安教育(具体的には、そのような作業に従事するための有資格者や指定鉱山労働者の資格を得るに必要な教育)についても、本工のみならず、請負企業の従業員に対しても、被告ニッチツが直接に行なったことがあったが、これもまた、金属鉱山等保安規則三三条、同三四条に基づくものであった。

このように、請負企業の従業員に対し保安教育を施したのは、鉱山保安法・金属鉱山等保安規則によって、請負企業の従業員に対しても保安のための教育を行なうべきことが鉱業権者である被告ニッチツに義務付けられているため、その限りにおいて行なっていたものであり、法令上の義務に基づくものであるから、そこから使用従属関係が発生するわけではない。

(六) 保安衛生行事・無災害報告運動

全国規模で行なわれる国が指導する保安週間(七月)・衛生週間(一〇月)の際、秩父鉱山においては、被告ニッチツ・労働組合・請負企業の三者が共催して行事を開催したが、保安衛生意識の啓蒙や坑内坑外職場全体の作業環境、社宅等の生活環境の改善が主目的であった。三者共催であるから、本工・請負工はもちろんのこと、その家族や地元住民の協力を得て、ポスター等の指示、医師による講習会、家族も参加しての行事の開催、被告ニッチツ・労働組合・請負人三者の代表者による巡視等が行なわれた。

また、無災害報告運動も、右同様三者の共催であり、災害事故発生の防止を目的として、日常作業中に気づいたことを報告し合う運動である。

いすれも、原告らが主張するような被告ニッチツの単独主催ではなく、請負人・労働組合も入れた三者共催で行なわれたものであるから、請負工が主催者の一つである請負企業の従業員としてこれら行事や運動に参加するのは当然である。

したがって、これら行事に請負工が参加したことをもって、被告ニッチツが請負企業の従業員に対して何らかの指示命令を直接に行なっていたとか、使用従属関係があったとかいえないことは明らかである。

(七) 健康診断

(1) 請負企業の従業員に対する一般健康診断、じん肺健康診断については、請負企業がその責任と費用で実施していた。その証拠に、じん肺検診によるじん肺健康管理区分決定通知書は各請負企業に対してなされていた。したがって、右検診を本工・請負工を含めて被告ニッチツが実施していたとする原告らの主張は誤りである。

請負企業の従業員については、請負企業がその責任で健康診断を実施していたのであるから、使用従属関係の根拠にならないことは明らかである。

(2) 請負企業の従業員の健康診断の際に、被告ニッチツが所有する鉱山診療所を利用したこともあったが、それは、単なる施設提供であった。そもそも同診療所が秩父鉱山地域の医療全般を担当していたことからして、本工・請負工にとどまらず、その家族・周辺者住民も含めて、そこを利用することが当然のことであったからであり、被告ニッチツの鉱山診療所を利用したことが使用従属関係の根拠となるならば、秩父鉱山周辺の住民は全て被告ニッチツと使用従属関係があるという珍妙な結論になってしまう。この診療所利用に関し、被告ニッチツが便宜を供与するについては、請負契約上「出来るだけの便宜を供与する」とされていたが、これは、右のとおり、同診療所が地域医療の拠点であったからにすぎない。検診に限らず、治療等についても、同地域の人々は同診療所を利用していたが、請負工の場合も、一般の人が病院を利用する場合と全く同様である。その後、同診療所が閉鎖して以降は、各請負企業が巡回検診車を利用して被用者に検診をさせたり、病院に行かせて検診を受けさせたりしていることからしても、単なる施設提供(便宜供与)に過ぎないことは明らかである。

したがって、請負企業の従業員が単なる施設の供与にすぎない被告ニッチツの鉱山診療所で検診を受けたからといって、被告ニッチツが請負企業の安全衛生の管理に関与したとか、安全衛生を分担したとかいうべきでないこと、すなわち使用従属関係の根拠にならないことは明らかである。

(八) その他

原告らは、被告ニッチツが自らの出鉱計画に基づいて、請負企業の従業員に作業をさせ、それに従った成果を享受しているということを使用従属関係の根拠に挙げているが、請負契約である以上、注文主が一定の計画に基づいて作業を請け負わせること、及びその請負結果(成果)を注文主が受領することは当然のことであって、何ら使用従属関係とは関係がない。もしこれが使用従属関係の根拠となるのであれば、請負契約関係は全て使用従属関係にあるというおかしな結論になってしまう。

3 まとめ

以上によれば、被告ニッチツと組従業員原告らとの関係は、どの点からみても、直接の雇用関係と同視しうる関係にはなく(原告らのいう使用従属関係にない)、被告ニッチツが組従業員原告らとの間で安全配慮義務発生の前提である社会的接触関係に入っていたとは認められない。

五  被告ニッチツの設立以前の損害賠償責任について

1 被告ニッチツの設立

被告ニッチツは、昭和二五年八月一日、日窒鉱業株式会社の名称で設立された会社である。

2 日窒鉱業開発からの営業譲渡とその範囲

被告ニッチツが昭和二五年八月一日に設立されるにあたり、日窒鉱業開発はその所有していた鉱業権・土地・建物を出資の目的たる財産として、被告ニッチツに現物出資を行なった。出資価格は評価額五七〇万円であり、日窒鉱業開発は右現物出資の対価として被告ニッチツの株式一一万四〇〇〇株(総株式数六〇万株中)を取得した。したがって、日窒鉱業開発の外にも被告ニッチツの株式を引き受けて株主となった者が存在した。そして、日窒鉱業開発は被告ニッチツの設立後も存続した。

念のために言えば、日窒鉱業開発で稼働していた従業員の中には、一部被告ニッチツに入社した者もいるが、日窒鉱業開発から退職した(退職金も受領した)後に、被告ニッチツに入社したにすぎない。もちろん、日窒鉱業開発から退職したまま、被告ニッチツに入社しなかった者も当然存在し、逆に、被告ニッチツに入社した者で、日窒鉱業開発で働いたことのない者も当然存在した。

現物出資は株式の発行を受ける対価として金銭以外の資産を出資するものであり、資本充実のための法的な規制が有るほかは金銭の出資となんら変わるものではない。したがって、日窒鉱業開発は金銭にかわる現物出資の対価として株式を取得したにすぎず、一方、被告ニッチツはその対価たる株式を日窒鉱業開発に供与した以上、日窒鉱業開発株式会社と被告ニッチツ間での債権債務の処理は完了し、日窒鉱業開発の債務(及び債権)を被告ニッチツが引き継ぐことなど法律上あり得ない。

3 被告ニッチツが日窒鉱業開発と共同不法行為の責任を負うとの主張を争う。

六  患者原告らの損害について

1 じん肺の特徴

(一) 進行性について

現じん肺法〔けい肺等特別保護法(以下「けい特法」という。)や旧じん肺法も同様〕は管理区分二、三の粉じん作業者を非粉じん作業へ転換すること等により、より重いじん肺(管理区分四)になることが防止できるという医学上の見解に基づいて法律上の規定を行なっているものであって、粉じん曝露から離れれば、じん肺所見を有する者でも、それ以上の進行がないという医学的見解を前提としている。粉じん曝露から隔離した場合にはじん肺が進行しないとされているから、非粉じん職場への配置転換などが予定されているのである。それゆえに管理区分に応じた健康管理が重要とされている。

(二) 不可逆性について

粉じんの吸入により肺に生じた線維増殖性変化のような器質的病変そのものは不可逆性であったとしても、単にじん肺に伴って生じた合併症のような疾患は適切な治療により治癒するのであり、じん肺イコール不可逆疾患とするのは誤りである。

(三) 全身疾患性について

じん肺はその病変の発症部位が呼吸器に限られ、呼吸器以外には粉じん吸入による病変はないとするのが医学上の定説である。それゆえに、現じん肺法はじん肺の定義として「肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病」としているのである。

(四) 以上によれば、原告らの主張する「一旦じん肺に罹患すれば患者は全身疾患としての特質に基づく症状が進行し、最終的にはじん肺罹患により死に至る」という見解は誤りであり、それを前提とする損害論は失当ということになる。

2 現じん肺法の健康管理区分と損害の関係

(一) 現じん肺法は、X線写真と肺機能障害のレベルの組み合わせにより、管理区分を決定して粉じん作業者の健康管理を行なうこととしている(同法四条)。

したがって、現じん肺法は粉じん作業従事者の健康管理を目的としているから、管理区分の決定もこの健康管理という観点からなされているのであって、管理区分の決定は労災認定とも無縁であり、ましてや本人の損害の程度という損害賠償上の区分でもない。

すなわち、同じ管理区分の決定通知を受けたから、同一の損害があるとか、同一の症状であるとか言えないことは、法律上明らかである。

例えば、最重度の管理四となった者は「療養を要する」が、休業をしなければならない訳でもなく、通常人と同様の日常生活を送れる者から介護を必要とする者まで様々な態様の者が存在する(管理四となった場合でも、粉じん作業に従事できなくなるが、その他の作業を行なうことは医師の判断があれば可能であることも、これを裏付けている)。

管理二の場合、粉じん曝露への度合の低減に努めるべき義務はあるものの、一般通常作業はもとより、粉じん作業に従事させることについても支障がない。

管理三イロの場合も、常時粉じん作業以外の作業に従事させるよう努めるべき義務はあるが、他の一般作業には支障がないとされている。

(二) このように、管理区分は健康管理に関する行政上の基準区分に過ぎず、労働者の労働能力喪失や同能力低下の程度とは無関係であり、民事上の損害賠償算定の基準たりえないところである。

例えば、肺機能障害の障害等級においても、その認定にあたって同様にX線写真と肺機能障害のレベルを要件としているが、同一に対応しているわけではない。例えば、最重度の管理四決定を受けた場合であっても、日常生活に支障のない者から介護を必要とする者まで種々の場合があり得るが、障害等級による労働能力喪失率一〇〇パーセントである障害等級三級以上は、介護を必要とし、日常生活に著しい支障をきたした場合に該当するものであるから、両者は対応していない。

よって、「管理区分四の決定を受けたからそれ以降その労働能力を完全に喪失した」などと認定することは明らかに誤りである。

また、管理区分二の決定を受けたにとどまる場合は、前述したように、現行法上一般通常作業に従事できることはもとより、粉じん作業に従事させることすら支障がない。このことは、とりも直さず、労働能力喪失や低下があり得ないことを意味しており、労働能力喪失がない以上、逸失利益等の損害が発生しないことを意味している。したがって、慰謝料も発生しないといわなければならない。ちなみに、合併症を伴わない単純管理区分二あるいは同三であれば、労災保険法上の補償対象にならないことからも、このことは明らかである。即ち、管理区分の決定を唯一の基準として損害額を画一的に認定することは、個別的な事情(まさに個人個人の損害の程度やその内訳が問題になることは、通常の損害賠償請求事件にあって明らかであろう。)を無視して損害額を決定するものに他ならず、各人毎に個別の主張・立証によって初めて損害額が決定できるという損害賠償論理に反するものである。

第四  請求原因に対する被告菱光の反論

一  石灰石鉱山におけるじん肺罹患の危険性の低さ

1 原告らは、石灰石鉱山においてじん肺罹患の危険性があると主張し、その理由をいくつか挙げているが、いずれも失当である。

(一) 原告らは、「石灰石鉱山は金属鉱山等保安規則の適用を受けており、じん肺罹患防止の施策をとるべきことを義務づけられていること、旧じん肺法上の「鉱物」の例として、旧じん肺法の解説書(甲三〇六号証)は、鉱業法の適用鉱物を挙げており、その中に石灰石を入れていることから、石灰石鉱山において発生する粉じんが、じん肺の原因物質であることを、これらの法規が当然の前提としている」と主張している。

しかしながら、石灰石の採掘に関しては、昭和二五年までは鉱業とはみなされず、旧「鉱業法」適用外であり、したがって、鉱業実施上の保安に関し、厳格な粉じん防止策を規定した旧「鉱業警察規則」、及び昭和二四年に制定された金属鉱山等保安規則の適用はなかった。石灰石の採掘が鉱業とみなされ、金属鉱山等保安規則が適用されるようになったのは、「鉱物資源を合理的に開発することによって公共の福祉の増進に寄与するため」(現鉱業法一条)に現「鉱業法」が制定され、これに石灰石の採掘が追加されることとなった昭和二六年二月のことであった。いうなれば、たまたま石灰石の採掘が右の趣旨に従って鉱業とみなされ、自動的に金属鉱山等保安規則が適用されるになったに過ぎない。

なお、石灰石の採掘に関しては、昭和二八年以降、金属鉱山等保安規則二二〇条の二第三項によって、「石灰石、ドロマイト等を掘採する坑内作業場であって、遊離けい酸含有量または粉じんの飛散量が極めて少く、かつ、けい肺症の発生のおそれがな(く)」、「鉱山保安監督部長の許可を受けたときは」同条の粉じん防止規定が免除されるとされていて、国も早くから石灰石のじん肺無害性を認めているところである。

また、原告らの引用するじん肺法の解説書は、「参考」で鉱業法の適用鉱物として、石灰石以外に、リン鉱、硫黄、明ばん石等も掲げているが、今までにこれらの鉱物がじん肺の原因物質として取り上げられたことは全くなく、さらに、鉱業法の適用鉱物としては、じん肺とは全く関係のない石油、アスファルト、可燃性天然ガス等(同法第三条)も含まれているのであるから、原告らの右主張は的外れである。右解説書は旧じん肺法上の「鉱物」という概念を説明するために、鉱業法の適用鉱物のうち粉じん化する鉱物を文字通り「参考」として掲げたに過ぎない。

(二) 原告らは、「石灰石自体がじん肺の原因物質であることは日本産業衛生学会が石灰石を第二種粉塵としてその許容濃度を勧告していることから明らかであると言うべきである。」と主張している。

確かに、同学会は、昭和四〇年に初めて粉じんの許容濃度の勧告を行い、石灰石は「第三種粉塵」として、その許容濃度は一〇mg/m3(総粉じん、吸入性粉じんの区別については考慮されていない)とされた。当時の我が国には許容濃度の決定に資する十分な資料がなかったので、アメリカのACGIHのTLVその他の値を参考としたわけであるが、不思議なことに、後述のアメリカや西欧諸国の多くが支持し、採用している「不快粉じん」「不活性粉じん」(外に非線維原性粉じん、線維原性効果外の粉じんともいう)というカテゴリーを設けなかった。

その後、昭和五五年に全面的改訂が行われたが、依然として「不快粉じん」のカテゴリーは、設けられず、石灰石(外に大理石、ポートランドセメント等も)については「第二種粉塵」に格上げし、その許容濃度を吸入性粉じんでは一mg/m3、総粉じんでは四mg/m3として勧告された。しかし、右勧告にあたっては、「セメント工場じん肺」、「人造大理石製造工場じん肺」、「セメント肺」の剖検所見が参考にされたと思われるが、石灰石採掘に従事した労働者のじん肺剖検例について述べられたものは一つも見当たらないので、許容濃度勧告値改訂の際の石灰石粉じんの種別分けにおいては、右のセメント工場のじん肺や人造大理石工場じん肺の剖検所見から類推された可能性が高い。そして、この資料を検討すれば、右の症例がセメント粉じんあるいは真正大理石粉じんのみの影響によるものではないことが明らかである。したがって、粉じんの許容濃度勧告値改訂の際、仮に右の症例を根拠として「ポートランドセメント」、「大理石」、さらには、「石灰石」が第二種粉じんに種別分けされたとするならば(その可能性は高い)、その勧告は誤りであるといわざるを得ない。

(三) 原告らは、「日本産業衛生学会による石灰石粉じんの許容濃度勧告値は、アメリカなどの研究を十分に踏まえた上で決定されているので、妥当なものである。」と主張しているが、この主張も誤りである。

許容濃度に関しては、アメリカのACGIHによる勧告値が最も信頼性が高く、そのため、アメリカの法的規制は勿論のこと、我が国をはじめ西欧諸国の多くが、その決定に際して右勧告値を参考にしたり、一部そのまま採用している。ACGIHの許容濃度については、一九六四年(昭和三九年)に初めて勧告がなされたが、日本産業衛生学会のそれとは当時から一点の著しい差異があった。それはACGIHでは石英の含有が一%未満の石灰石(炭酸カルシウム、大理石等も含まれる)を「不快粉じん」(「不活性粉じん」等とも呼ばれる)というカテゴリーに区分し、その許容濃度を総粉じんで一〇mg/m3と勧告していることである(多数の西欧諸国もこの概念を採用している)。ACGIHの「不快粉じん」に対する見解は年々少しずつ変容しているものの、「肺の線維化あるいは肺組織への影響を何ら及ぼさない」、すなわち、じん肺の原因物質とはならないという見解は現在に至るまで固持しているし、「石灰石、チョーク、大理石は天然の炭酸カルシウムである」が、「炭酸カルシウムを取り扱う労働者に関する文献中には、今まで健康上の悪影響を報じたものはない」とまで明言しているのである。以上のことはWHO(国連世界保健機関)、ILO(国際労働機関)等の共同事業である国際化学物質安全性計画(IPCS)が作成している国際化学物質安全性カード(ICSC)でも採用されている。

これに対し、日本産業衛生学会の石灰石粉じんに対する許容濃度の勧告値は、ACGIHや西欧諸国のそれとは全く趣を異にし、「不快粉じん」という概念を当初より排除している。これに関しては、早くから我が国のじん肺病理学の主導者であった佐野辰雄の個人的見解が大きく影響したことは否定できない。佐野はじん肺病理学の分野で多大の功績を残した医学者であったが、佐野の論文のどれを見ても、石灰石等のいわゆる「不快粉じん」について調査、研究が行われた形跡が全くないにもかかわらず、「不快粉じん」という概念を否定していることには首を傾げざるを得ない。欧米諸国においては、長期に亘り、石灰石等の粉じんの影響に関し、調査、研究した結果辿り着いた結論が、じん肺の原因物質とは認められない「不快粉じん」のカテゴリーに区分することであり、実際上も何ら問題なく支持されてきたのである。

(四) 最新の実験結果について

(1) 動物実験その一(吸入曝露実験)

産業医科大学産業生態科学研究所を中心とする実験チームは、平成七年から八年にかけて、ラットに石灰石粉じんを吸入させて、肺内組織の変化を観察する実験を行った。試料は石灰石鉱業協会の提供した埼玉県地方の石灰石粉じんである。埼玉県地方の石灰石鉱山の代表格といえば、本件で問題になっている武甲山であることは、改めていうまでもない。採取は油圧クローラドリルを用いているので、ドリルの長さに当たる約七〜八メートルの深さまでの全ての不純物を含めた石灰石粉じんが試料となっていることになる。吸入曝露条件は、曝露濃度として平均2.3mg/m3、曝露時間一日六時間、一週五日間とした。これは、実験の採掘現場の状況を勘案して、通常この種の動物実験で設定する条件であり、特に曝露濃度については、事前に宇根鉱山、武甲鉱山、三輪鉱山において個人曝露濃度及び環境濃度を測定し、その約二倍強に設定した。右実験において、非曝露群のラットと三ヶ月曝露および六ヶ月曝露の各ラットを解剖して肺臓の病理組織学的検討を加えたところ、いずれにおいても曝露群と非曝露群との間に何らの差異も認められなかった。また、肺間質の線維化及び腫瘍の発生は認められなかった。

(2) 動物実験その二(肺内滞留性実験)

右の吸入曝露実験を行った実験チームは、引き続いて、石灰石粉末の肺内滞留性について実験を行った。すなわち、吸入曝露させた結果として生体に影響がないことが明らかとなったが、なぜ何らの影響も出ないかについては、アメリカACGIHのTLVドキュメント(根拠集)にも示されているように、石灰石粉末が肺内で溶解し、肺内に長く滞留しないことによるものとの推測があるものの、その肺内滞留性について定量的な測定値は明らかではなかったため、これを実験によって定量しようというものである。その結果の概要は、二五匹のラットの肺内に石灰石粉末を懸濁させた生理食塩水を注入した後、一、二、四、七、一〇日目に各五匹ずつ解剖して、その肺臓に石灰石粉末がどの程度残留しているかを測定した結果、「肺内に残留している石灰石粉末は、急激に減少することが認められ、注入七日後においては、すでにその注入量のほとんどが消失していることが分かった」のであり、計算によって、「半減期はほぼ一日である」という結果が得られた。

(3) 病理実験その一(イン・ヴィトロでの細胞障害性の実験)

北里大学医学部衛生学・公衆衛生学教室を中心とする実験チームは、平成七年、東京電機大学工学部電子工学科の協力を得て、最新の電子工学技術を駆使して、イン・ヴィトロ(生体外)における細胞障害性の実験を行った。じん肺発生機序に関する最近の有力説に共通するものとしていわれていることは、じん肺発症に至る基本的要因ないし過程として、細気管支ないし肺胞レベルまで到達した微細粉じんが、肺胞マクロファージに異物として捕食されるに際し、肺胞マクロファージを破壊ないし障害することが肺内の線維化と大きな関連性を有するということである。したがって、ある物質がじん肺の原因物質になるか否かを検証するためには、その物質の肺胞マクロファージに対する細胞障害性を病理学的に確認することが重要な意味をもっているのである。実験の試料として用いられたのは、被告菱光の採掘する武甲山から採取した吸入性石灰石粉じん(肺の深部に到達しうる微細粒径の石灰石粉じん)である。

実験の結論は次のとおり要約されている。

「以上の(実験の)所見から、「in vitro」における三面からの検討により、石灰石粉末の細胞障害性は否定された。これは石灰石粉じんが基本的に無害とする報告と合致する。石灰石粉じんの有害性を示唆する実験研究報告や臨床的研究報告も僅かに認められるが、石灰石粉末中に含まれるシリカの濃度が前者では2.68%、後者では一〇%以上であり、有害性はシリカの混入によるものと考えられる。本実験に使用された石灰石粉末中シリカは0.29%であり、この程度の混入では、細胞障害性を示さないものと思われる。」

(4) 病理実験その二(イン・ヴィボにおける細胞障害性の実験)

北里大学医学部を中心とする実験チームは、前記のイン・ヴィトロの実験に引き続いて、イン・ヴィボ(生体内)における実験を行った。この実験は、試料として前記のイン・ヴィトロにおける細胞障害性の実験の場合と同じ埼玉県産の石灰石粉末を用い、これをリン酸緩衝液に混和させて、家兎の気管内にカテーテルで注入し、生体のまま、肺磁界測定による緩和曲線を求めるものである。また、この肺磁界測定終了後の二八日目に右家兎を病理解剖し、形態学的観察も併せて行っている。

肺磁界測定の結論は、「緩和曲線を曝露後、繰り返し作成することにより、肺内滞留磁性粒子量の推移を観察しうるが、本研究では石灰石粉末曝露による影響を観察しえなかった。」となっている。

また、形態学的観察結果についても、右と同様であって、「石灰石粉末投与群及び対照群のいずれにも、病的な組織学的変化は認められなかった。さらに、透過型電子顕微鏡によって、石灰石粉末添加群及び対照群における肺胞上皮細胞及び肺胞マクロファージの形態学的変化を調べた、石灰石粉末添加群及び対照群においては、肺胞学的変化は認められなかった。したがって、これらの所見は肺磁界測定の結果を支持するものである。」とされた。

そして、「以上のことから、石灰石粉末の気管内注入による家兎肺に及ぼす影響は、本実験において無視できるものといえる。」と結論づけられた。

2 原告らは、石灰石鉱山で働く労働者が純粋な石灰石のみにさらされているわけではなく、他の鉱物粉じんも多く混在することを理由として挙げている。

そして、その根拠として、亡鈴木の供述内容を取り上げているが、同人の陳述書の記載、検証における証言内容には、不正確・誤りの部分が多く、到底信用できるものではない。

また、原告らは、房村信雄の論文(甲三〇九号証)を取り上げ、「石灰石鉱山の坑内外に堆積する粉塵中の遊離珪酸は、石灰石…そのものの中に平均的に存在する遊離珪酸よりも多い」、「……A鉱山が全面的に露天掘による採掘を行い、山頂および岩盤の割目内に侵入している表土が、採掘破砕された石灰石中に大量に混入するためであろう」との記載をその根拠とする。

しかしながら、A鉱山のデータから、石灰石以外の表土等が堆積粉じんの中にどのくらい混入しているかを計算してみると、4.4ないし12.8%という途方もない高率になってしまうのであって、その堆積粉じんが坑外で採取されたことからみると、外気中に浮遊する砂塵ないし土塵が堆積したものとみる外はない。このような粉じんによりじん肺の危険があるものとすれば、農夫はいうに及ばず、屋外で働く全ての人はじん肺罹患の可能性があることになるのであって、かかる論議は意味をなさないことが明らかである。また、石灰石は古い地質時代に生成されたため、非常に緻密であり、4.4%とか12.8%の異物が入り込む余地はない。さらに、石灰石原石に異物がランダムに4.4%とか、12.8%混入していては、工業原料として全く利用価値のないことは、製造業に従事している技術者ならば誰でも分かることである。

二  宇根鉱山におけるじん肺罹患の危険性の低さ

1 宇根鉱山の概要

(一) 武甲山の石灰石鉱床は、一つの大きな緻密な塊として賦存し、他の夾雑物の極めて少ない安定した鉱床であるということができる。武甲山の石灰石の特徴として、熱変成を受けていない良質な隠微晶質の石灰石であるという点があげられる。宇根鉱山(及び宇遠鉱山)より産出する石灰石の品質は、炭酸カルシウム(CaCO3)がほぼ九八%以上と高純度で日本でも有数の良質な石灰石であり、じん肺に悪影響を与えるとされる珪酸分は極めて僅少である。

(二) 宇根鉱山の坑内における石灰石の破砕送鉱設備には、散水装置の外、最初から集塵機を設置し、石灰石の運搬は全てベルトコンベアによる自動運転を採用する等、発塵防止及び省力化を積極的に採用した鉱山ということができる。

2 宇根鉱山における各種作業と粉じん対策

(一) グローリーホール採掘

削孔作業中に発生する粉じんについては、広い空間での作業であったため、そもそもそうした粉じんが作業員の周囲に充満するようなことはなく、さらには山の斜面に沿った風によって速やかに希釈・除去されるため、基本的に作業員が粉じんに曝露することはなかった。また、発破の粉じんについても、発破時は全員発破箇所から最低一〇〇メートル以上離れた退避所(現場控所)に退避しており、退避(休憩)中にすっかり希釈・除去されるため、発破による粉じんに作業員が曝露することも基本的にはあり得なかった。しかも、作業者には防じんマスクを支給しており、その点からも粉じん曝露の防止に問題はなかった。

グローリーホールで起砕された石灰石はグローリ斜坑、堅坑を経て抜出・破砕設備に送られ、クラッシャーで製品化され、ベルトコンベアによって坑外へ運搬される。機械の運転は操作室内で行われ、クラッシャーには集塵機が設置されていたほか、各所に散水装置が設けられるなどの防じん対策が採られていた。また、作業者には防じんマスクの支給もなされており、粉じん曝露の防止に問題はなかった。

(二) ベンチカット採掘

(1) 削孔・発破

削孔用の機械としては、当初はクローラドリルを使用した。孔径が六五〜七五ミリメートル、深さ一二メートルの孔を約七〇度の下向きで削孔する。クローラドリル一台で一日当たり五本程度削孔する。削孔された孔に爆薬としてANFO(硝安油剤爆薬)、起爆剤としてダイナマイトを装填し、一二時(後に一二時一〇分)に発破する。作業員は一一時半には作業を終了して、昼食兼発破退避のためにスパイラル坑道の目抜(坑道と坑道との貫通連絡部)に設けられた現場控所に行き、一三時まで休憩する。

削孔作業時の粉塵については、発生しても、広い空間での作業であるため、速やかに希釈・除去される。当初のクローラドリルの場合でも、運転作業位置と削孔箇所は二〜三メートル離れており、作業員は、運転中は更に機械から離れた位置でドリルの削孔状況を監視するのが常であるから、粉じんに曝露することはほとんどない。その上、作業員には念のために粉じんマスクを支給しており、その点でも粉じん曝露の防止に問題はなかった。集塵機による発じん防止にも被告菱光は積極的に取り組んでおり、当初はサイクロン式の集塵機を、後にはクローラドリルと一体の集塵機を使用するなどしてきている。また、その後導入された大型ロータリードリルには大型集塵機が標準装備され、削孔中は運転室内で作業ができ、作業員の粉じん曝露の可能性は更に減少した。

(2) 積込・運搬

発破により起砕された石灰石は、大型ホイルローダーで直接、あるいは大型ダンプトラックに積み込み、斜坑まで運搬するが、この作業は一般の土木現場での土砂の運搬作業と何ら変わりがない。ベンチカット切羽で使用している大型機械の運転室は、飛行機と同様に与圧密閉構造でエアコンも装備されているので、粉じん曝露はなく、作業環境は一般の土木作業で使用する建設機械よりも優れている。なお、起砕された石灰石の積込・運搬時の発じん抑制には、散水車による散水を実施した。

(3) 破砕送鉱作業

① ベンチカット切羽の投入口から投入された石灰石は、斜坑底(海抜一〇三〇メートル)にある小割室のグリズリバーを通過し、グリズリバーを通過しないものについては機械式油圧ブレーカで小割りされ、ロスチェンフィーダ、ロールフィーダを経て、前述の大塊ベルトコンベアへ運ばれる。

この工程では、投石された大きなサイズの石灰石をそのまま下部斜坑まで運搬するが、抜き出し速度は小割室付近で0.5メートル毎分程度、ロールフィーダ付近で一六メートル毎分程度と非常に緩やかであり、これらからの発じんは少ない。また、大塊ベルトコンベアの運転速度も徒歩の速度の二分の一程度(三五メートル毎分)と極めて遅く、粉じんを巻き上げるようなことはなかった。

また、ベンチカット切羽の投入口には屋根などなく、雨水が斜坑にそのまま流れ込む構造となっているため、斜坑底から抜出される石灰石は元々相当湿っている。その上、小割室、ロスチェンフィーダには散水設備を設けて散水を実施し、ロールフィーダには鉄板の覆いや集塵機を設置するなどしていたので、発じんは十分に抑えられていた。

運転操作は密閉度の高い構造の操作室で行っており、作業員の粉じん曝露の可能性はその点からも非常に少なかった。

なお、作業員には念のために防じんマスクの支給もなされており、操作室外に出て作業をする際などには、必要に応じて適宜着用していた。

② 大塊ベルトコンベアから下部斜坑に投入された石灰石は、斜坑底(海抜五八〇メートル)にある小割室を経てロスチェンフィーダ、エプロンフィーダで抜出され、ジョークラッシャに給鉱されて、一二五ミリメートル以下に破砕される。破砕された石灰石は、坑内第三ベルトコンベア(機長二二四メートル)、坑内第二ベルトコンベア(機長二七六メートル)を経由して、坑外にある坑口貯鉱場及び第一ポケットに運ばれる。

この工程では、斜坑に投入された石灰石は斜坑底までの間に自然破砕されるので、小割作業の必要はなく、クラッシャで破砕される割合も数パーセント程度とごく僅かである。

また、大塊ベルトコンベアからの落とし口には散水がなされ、斜坑が果たす集水機能もあって、斜坑底から抜き出される石灰石は湿潤となっている。その上、エプロンフィーダには散水設備を設けて散水を実施し、クラッシャーには集塵機を設置するなどしており、発じんの抑制は十分になされていた。

坑内第三、第二ベルトコンベアによる運搬についても、積替部には散水設備が設けられ、坑外の坑口貯鉱場及び第一ポケットへの落とし口にも散水設備があって、それぞれ発じん防止に努めていた。

運転操作が密閉構造の操作室で行われていたことや防じんマスクの支給など、粉じん曝露防止に遺漏なきを期していたことは、右①の場合と同様である。

③ 坑口第一ポケット並びに坑口貯鉱場に貯められた鉱石は、振動フィーダで抜出されて、坑外第一・第二ベルトコンベア、坑外第二ポケットを経由後、坑外第三ベルトコンベアによって三菱マテリアル横瀬工場へ納入される。

それぞれのベルトコンベアの落とし口には散水設備を設置し、発じんの防止に努めていた。

(三) 探鉱坑道掘進

探鉱坑道掘進工事の目的は、一般に、石灰石の賦存状態を確認し、埋蔵量を算定するために行われるが、その他石灰石の品質や強度等の物理的性質、亀裂等の構造を調査する目的でも行われる。

宇根鉱山の場合は、品質的には全く問題がないので、専ら採掘範囲を決定するため、石灰石の下盤である輝緑凝灰石との境界を確認する事を主目的として施行した。

探鉱坑道の掘進は探鉱が目的であり、掘進延長を極力短縮させるため、地表から最も深部にある既存の基幹坑道から掘進を開始する。輝緑凝灰岩に逢着した際は、その確認を得るため、地質技師の判断に従い、立入及び沿層方向へ若干の追加掘進を行うが、輝緑凝灰岩は風化し易いため、必要以上の掘進は行わない。

宇根鉱山での探鉱坑道の掘削では、これら掘削された探鉱坑道はいずれも通気条件の良い、用水確保の容易な基幹坑道に連結しており、しかも、坑道の側壁、天盤、切羽面はもともと湿潤状態にあったうえ、湿式削岩機の使用、散水の実施、局所扇風機の使用による通気や防じんマスクの支給によって十分な防じん対策が採られており、作業員の粉じん曝露防止には遺漏なかった。

(四) 粉じん測定

宇根鉱山では、従前より学研式粉じん計による粉じん測定を実施していたが、その後、昭和五一年にはデジタル粉じん計を購入して、これによる粉じん測定を始めた。さらに、その後には、鉱業労働災害防止協会が各鉱山における粉じん測定精度向上を目的に実施したローボリュームサンプラ使用講習を受け、計器をローボリュームサンプラに切替え、現在に至っている。

(五) 保安教育

宇根鉱山における作業員の保安教育については、入社時教育から過年度再教育等それぞれの技術・経験レベルに合わせた保安教育を実施し、その中で、粉じん問題についての注意喚起、防じんマスク等の着用励行の指示がなされ、その徹底が図られた。

第五  抗弁(被告ニッチツの主張)

一  過失相殺

1 使用者に課せられた安全配慮義務を履行するにあたっては、使用者のみの努力で行えるとは限らず、労働者の協力が必要不可欠であることが多い。

これは、安全配慮義務が労働契約等の一定の社会的関係に入った「当事者間の信義則」から発生することに由来するものであり、使用者に安全配慮義務があるのと同様、労働者にも業務遂行過程において自らの生命身体の危険を防止すべく務めなければならないとする自己保健義務がある。

例えば、労働安全衛生法は「労働者は労働災害を防止するため必要な事項を守るほか、事業者その他の関係者が実施する労働災害の防止に関する措置に協力するように務めなければならない」(四条)と定めているが、右の労働者の自己保健義務を規定したものである。

また、鉱山保安法は、「鉱山労働者は鉱山においては保安のため必要な事項を守らなければならない」(五条)。「鉱山労働者は保安統括者、保安技術管理者、副保安技術管理者、および係員がこの法律に基づく省令の規定の実施を確保するためにする指示に従わなければならない」(一七条)と定めており、鉱山労働者の守るべき義務を規定している。

それを受けて、金属鉱山等保安規則において、労働者の防じんマスク使用義務(二二〇条の四)や労働者の湿式削岩機使用時における注水義務(二二〇条の四)等を定めているが、これは後述するような坑内作業の特殊性に鑑み、労働者がじん肺に罹患しないために自らが守るべき義務を定めたものである。

2 特に、本件のような坑内作業にあっては、工場における製造現場と異なり、削岩員等は個別の切羽毎の作業となるから、自らが使用者の講ずる安全配慮措置に従い、協力するということがない限り、使用者の安全配慮措置は画に書いた餅となる。

したがって、前述した湿式削岩機の本来の使用方法に従った使用、散水の実施、防じんマスクの供与(当然のことながら現実に装着することを含む)、健康診断及びその結果に基づく健康管理といった安全配慮措置を労働者自らが励行しなければ、じん肺防止効果を期待することはできない。これを具体的にしたものが右1で述べた労働者の義務にほかならない。

3 労働者に使用者の右安全配慮措置に対する協力義務違反がある場合はもとより、自己保健義務違反(疾病の憎悪を防止するなど、自らの生命身体の危険を防ぐ)がある場合は、使用者の責任が減殺され、過失相殺が適用される。

患者原告らには次の義務違反・過失が存するから、被告ニッチツの責任や損害賠償額の算定にあたっては十分に斟酌されなければならない。

(一) 湿式削岩機を使用するにあたっては、常に水を使用するように指導・教育してきたところであるが、患者原告らのうち眞々田を除く者については、穿孔開始時(口切り時)に水を使用しなかったなど、じん肺防止にあたって重要な湿式削岩機(これは水を使用するからじん肺防止の効果がある)において水の使用を怠った過失がある。

(二) 削岩作業や積み込み作業等にあたっては、作業前に散水を励行するよう指導教育してきたが、ズリが重くなり、作業効果が悪くなるなどの独自の理由で散水を行わなかった。これは散水実施義務違反であり、患者原告らの過失である。

(三) 防じんマスクについては、説明書付きで無償で供与し、濾過材についてはいくらでも申し出れば無償で交換させており、そのことは指導教育上全ての削岩員等坑内の粉じん作業に従事する者については徹底していた。

それにもかかわらず、マスクを着用すると息苦しいなどの理由でマスクを外したり、十分な交換をしなかったりしたのは、防じんマスク着用義務違反であり、患者原告らの過失である。

(四) 患者原告らの中には喫煙を継続している者がいるが、喫煙は健常者にとっても有害とされており、ましてや肺機能に影響を有するじん肺患者には有害であるばかりか、症状憎悪を招くことは明らかである。

それにもかかわらず、喫煙を継続しているのであるから(治療にあたった医師が患者である患者原告らに対して喫煙が有害であることを指摘していることは顕著な事実である)、自己保健義務違反であり、患者原告らの過失である。

二  労災保険給付等の受給

1 慰謝料斟酌事由としての控除

労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく労災保険給付等は、国の行なう事業であるから、それが不払になるという事態はあり得ない。すなわち、被害者は、将来にわたって補償が確実に行なわれるから、生活の不安、療養上の金銭負担等の不安などはなく、ひいては、精神的な安心感も与えられる。労災保険給付等が被害者の逸失利益の補填をしてなお充分であると考えられる本件のようなケースにあっては、狭義の逸失利益以外の部分の損害の回復に寄与する金銭給付に該当しているのである。したがって、このような事情が存するときは、狭義の慰謝料請求権が発生しないか、仮に発生したとしてもその額を大幅に減少させるものというべきである。このように解さなければ、原告らは、一方で労災保険給付等によって慰謝料にも見合う金額の満足を受けながら、他方で被告らから慰謝料名下の支払をうけるという二重利得をするという不合理が生じ、公平を旨とする損害賠償の法理に反するからである。

労災保険給付等が当該労働災害について行なわれる場合には、精神的苦痛である狭義の慰謝料の算定において斟酌されるべき事情となることも当然である。特に、将来受給する労災保険給付金等が民事賠償との調整対象とはならないとの立場(最高裁昭和五二年一〇月二五日判決)に立った場合には、被害者が民事賠償を加害者から受けるほかに、将来にわたって多額の労災保険給付を受け得るという不合理な状況(結果的に不当利得となる)が発生する。

よって、原告らが受給した労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病保障年金、並びに厚生年金法に基づく障害年金については、慰謝料額の算定にあたって斟酌すべきである。

2 損益相殺

右1と同様の理由により、原告らが受給した労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病保障年金、並びに厚生年金法に基づく障害年金については、少なくとも損益相殺として控除すべきである。

三  寄与度の割合による減殺

患者原告らの中には、被告ニッチツの退職後(組従業員原告らについては、被告ニッチツの管理する秩父鉱山から離れた後)に、じん肺に罹患したとして、管理区分二以上の認定を受けた者が多い。そして、そのような患者原告らにあっては、被告ニッチツのみに就労し、それ以外に粉じん職場に就労したことがないわけではなく、様々な粉じん職場において就労しており、かつ、その期間も様々である。すなわち、被告ニッチツ以外の粉じん職場での就労歴があるということは、じん肺罹患の原因が複数の企業での就労(複数の原因)にあり、責任原因が競合するということであるから、被告ニッチツのみがじん肺発生の責任を全面的に負うとするのは背理である。

したがって、割合的因果関係論及び割合的損害論により、被告ニッチツの責任は寄与度に応じた割合的責任にとどまるはずである。同割合的認定は損害論における信義公平の原則の適用というべきであるから、同原則に基づき、裁判所の心証により被告ニッチツの寄与度を算出した上で、その限度において損害賠償額を決定すべきである。

四  消滅時効

1 消滅時効の起算点について

(一) じん肺患者の損害賠償請求において、消滅時効の起算点をどの時点とみるかについては種々の考え方があったところであるが、平成六年二月二二日最高裁第三小法廷判決によって起算点についての考え方が整理された。したがって、現在においては右最高裁の定立した考え方によるほかはなく、最終の行政認定時から消滅時効が進行するというほかはない。

(二) 原告らは「じん肺被害に関しては、被害者の死亡時が消滅時効の起算点である」との主張をしているが、これは、右最高裁判決に反するばかりか、じん肺被害は、管理区分二、三、四のどれであろうが、不可逆的に被害が進行し、かつ、一律の被害であるという原告らの立場に反する主張と言わなければならない。すなわち、被害が発生し、損害賠償請求が可能であっても、被害者が死亡しない限り、消滅時効に関してのみスタートしないという矛盾した結論となり、到底時効制度とは相容れない。

2 消滅時効の援用

(一) 亡井戸は、昭和五二年一月一六日に管理四の行政上の認定を受け、亡北平は、昭和五七年四月二三日に管理四の行政上の決定を受けた。

(二) したがって、右両名(その相続人である原告ら)については、本訴提起の日である平成四年一〇月一二日までに、じん肺被害を原因とする損害賠償請求権は時効により消滅している。

(三) 被告ニッチツは、本件訴訟の第一〇回口頭弁論期日に陳述した準備書面において、右消滅時効を援用した。

第六  抗弁に対する認否・反論

一  抗弁一(過失相殺)について

被告ニッチツが患者原告らに対して湿式削岩機の使用の際に常に水の使用を指導したこと、削岩作業や積み込み作業の前に散水を指導したこと、防じんマスクの使用について指導教育をしたことをいずれも否認し、喫煙がじん肺にとって有害であるばかりか、その症状増悪を招くことが明らかであるとの主張を争う。

二  抗弁二(労災保険給付等の受給)について

原告らが本訴で請求しているのは慰謝料であるから、被告ニッチツが主張する年金等の保険給付は損益相殺の対象とはならない。

また、慰藉料額算定にあたっても斟酌されるべきでない。

三  抗弁三(寄与度の割合による減殺)について

争う。

被告ニッチツは、その債務不履行と原告らの損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを立証しない限り、その責任を免れないところ、被告ニッチツはその立証をしていない。

四  抗弁四(消滅時効)について

争う。

じん肺罹患者の損害賠償請求権についての消滅時効の起算点は、その患者の死亡時とすべきである。

第七  再抗弁(消滅時効援用の権利濫用性)

亡井戸及び亡北平がその損害を認識できず、かつ、損害賠償の権利を行使できなかったのは、主に被告ニッチツのじん肺教育義務の不履行によるものであること、右両名の被った被害は、悲惨かつ深刻であり、その救済の必要性が高いこと、被告ニッチツの義務違反は、故意責任であり、悪質であること、及び被告ニッチツは、じん肺被害の対策費をコスト計算の上で織り込み済みであり、原告らの被害の上に莫大な利益を獲得していることなどの諸事情を考慮すれば、被告ニッチツが消滅時効を援用することは著しく信義に反し、社会通念上許容されないから、権利の濫用として許されない。

第八  再抗弁(消滅時効援用の権利濫用性)に対する認否と反論(被告ニッチツの主張)

権利濫用についての考え方は色々あり得るとしても、少なくとも権利者(原告ら)の権利行使を債務者(被告ニッチツ)が故意に妨げたことが必要である。原告らの主張は、じん肺被害の深刻さ、特殊性を述べるなどによって、被告ニッチツの安全配慮義務違反を構成する事実そのものについて主張したり、被告ニッチツの債務不履行の態様や責任の度合いの重大性を指摘するに過ぎない。これらは時効の起算点の問題であって、時効が進行し、完成したことを前提とする消滅時効援用に関する権利濫用の要素や基準となるはずはなく、両者を意図的に混同したものであって、到底採り得ない。

被告ニッチツが亡井戸・亡北平らの被害認識を妨げたとか、あるいはその家族の被害認識を妨げたとか、損害賠償請求権の行使を妨げたなどという事実は全く存在しないし、そのような立証もなされていない。

原告らの中でも、いわゆる本工(被告ニッチツと直接労働契約を締結した者)はほとんど秩父鉱山地域における被告ニッチツの社宅に居住していたものであり、他の原告らは消滅時効完成前に請求権を行使しているにもかかわらず、同様な立場にあった亡井戸・亡北平に関してのみ権利濫用の根拠となることはあり得ない。

したがって、消滅時効の援用が権利濫用であるとの原告らの主張は採りえない。

第三章  当裁判所の判断

第一  当事者

一  被告ら

1 請求原因一1(一)(被告ニッチツ)について

(一) 証拠〔甲六一〕及び弁論の全趣旨によれば、請求原因一1(一)(1)記載の各事実が認められる。

(二) 証拠〔甲六一、乙六七、八三、八四〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和二五年八月一日に日窒鉱業が新規に設立されたこと、及びその際、日窒鉱業は、日窒鉱業開発から秩父鉱山等の鉱業権、土地及び建物を現物出資され、それらを承継取得したことが認められる。

これに対し、原告らは日窒鉱業は日窒鉱業開発が改組されたものである旨主張しているが、それを裏付けるに足りる証拠はないから、原告らの右主張を採用することはできない。

(三) 請求原因一1(一)(3)記載の各事実は当事者間に争いがない。

2 請求原因一1(二)(被告菱光)記載の事実は当事者間に争いがない。

二  原告ら

1 鉱山における職歴

証拠〔甲三〇、三二、三四、六〇、六二ないし六五、七七、七八、八〇、八八、九〇ないし九五、一七〇、乙八〇、八一、丙五、七、一一、二一、証人杉田、証人中村、原告黒沢本人、原告田村本人、原告眞々田本人、原告小山内本人、亡鈴木原告本人、原告井戸本人、原告北平本人〕及び弁論の全趣旨によれば、別紙一(認定職歴一覧表)記載の各事実が認められる(ただし、当事者間に争いのない事実を含む。)。

2 請求原因一2(二)(管理区分認定等)記載の各事実は、当事者間で争いがない。

第二  各鉱山の概要

一  秩父鉱山

(一) 請求原因二1(一)、(二)及び(三)(3)(秩父鉱山)記載の各事実は、当事者間で争いがない。

(二) 秩父鉱山の歴史

証拠〔甲二五、乙四五、六一、八一、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1) 秩父鉱山の発見は江戸時代の慶長年間と伝えられ、明治末年には鉄鉱の開発が行われたが、第一次世界大戦後は休山した。

(2) 昭和一二年七月、朝鮮鉱業は、秩父鉱山を買収し、金・銀・銅・亜鉛・硫化鉄鉱の採掘を目的として、採鉱・選鉱・輸送等の建設に着手し、昭和一五年九月、処理能力四〇〇〇トン/月の湿式選鉱工場の完成を待って、本格操業に入った。それ以降、終戦までの間、重要鉱山として、大黒坑を主体に稼行すると共に、鉄鉱増産の要請に応えて、中津坑を新規開発した。終戦後は、日窒鉱業開発が在外会社として事業活動の制約を受けたため、秩父鉱山も一時停滞を余儀なくされた。

(3) 昭和二五年八月、日窒鉱業が鉱業権を取得したが、昭和二七年の大黒坑における優良な亜鉛抗体の発見を機に、湿式選鉱設備を増強し、同年一〇月には、処理能力が八〇〇〇トン/月に倍加した。その後も、処理能力は、昭和三三年九月には一万トン/月、昭和三六年八月には一万二〇〇〇トン/月と累増していった。一方、昭和三四年八月には、大黒地区に能力二〇トン/時の乾式磁力選鉱工場を新設し、鉄硫化鉱の採収を開始した。

(4) 昭和三〇年から、赤岩坑の西通洞坑の崩壊した坑口から下部の大捷坑に向けて試錐探査を実施したところ、亜鉛鉱床が発見されたため、昭和三一年から赤岩坑の本格開発が始まった。

(5) 昭和三四年三月、道伸窪地域に磁力探鉱を実施したことを契機に、試錐及び坑道探鉱を二年有余にわたり実施した結果、大規模な鉄鉱床を発見した。そして、昭和三六年度からその新規開発工事に着手した結果、昭和三九年三月、一万トン/月の出鉱設備が完成し、更に昭和四〇年三月には、二万トン/月の出鉱体制を完了した。

(6) 昭和四〇年四月以降の秩父鉱山の月間出鉱量は、大黒・赤岩・中津の三坑の出鉱合計二万トン/月と合わせて、総出鉱量四万トン/月となり、湿式選鉱能力は三万二〇〇〇トン/月に増大した。

(7) 一方、昭和四四年五月から、珪石の採掘と珪砂の生産・販売、昭和四五年四月から、石灰石の生産販売を開始した。

(8) そのころから、非鉄金属の国際市況における価格低迷と鉱量・品質の劣化、鉄鉱石の製鉄段階における亜硫酸ガス発生による大気汚染等の新たな問題が発生し、輸入鉱石との価格競争に耐えられなくなったことから、昭和四八年三月、道伸窪坑の採掘を中止した。

(9) その後は、石灰石と珪石中心の非金属鉱山に転換し、現在に至っている。

(三) 秩父鉱山の各坑の概要

証拠〔甲二五、二六、四九、乙四五、六一、八一、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(一) 秩父鉱山の鉱床は、鉱区内の南から北に向かって、中津・大黒・和那波・六助・赤岩・道伸窪の六つの金属鉱床と狩倉・両神の二つの非金属鉱床が分布しているが、主要鉱床は、大黒・赤岩・道伸窪の三鉱床であった。

(二) 大黒坑

(1) 採掘期間

被告ニッチツが昭和二五年八月に秩父鉱山の開発に着手した最初の坑口であり、昭和五三年三月に、金属鉱物の採掘を終了するまでの約二八年間、秩父鉱山の中心的存在の坑口であった。

(2) 採掘した金属の種類

有価金属は、金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄・磁鉄・マンガン等多種にわたっていた。

(3) 坑内の構造

通洞坑(基幹となる坑道)の上下に、上は七本、下は五本の水平坑道が概ね三〇メートルの一定間隔で開設されており、通洞坑の上側は、上から「上一番坑」「上二番坑」と、通洞坑の下側は、上から「下一番坑」「下二番坑」と順次呼ばれていた。

中央部には、垂直に「竪坑」が設置されていた。この縦坑には動力式の巻上運搬装置が設置されており、これは、通洞坑の下部で作業する従業員の入昇坑のためのエレベーターとしての役割を果たすと同時に、坑内で採鉱した鉱石やズリを坑外に搬出するための道具としての役割も果たしていた。

水平坑道の大きさは、昭和二〇年代には、通常、巾1.6メートル×高さ1.8メートルであったが、昭和三〇年代になると、巾1.8メートル×高さ2.0メートルと一周り大きくなった。また、採掘準備のための中段坑道は、巾1.6メートル×高さ1.8メートルであった。

(三) 赤岩坑

(1) 採掘期間

被告ニッチツが開発した期間は、昭和三二年下期から昭和四七年六月に採掘を中止するまでの約一五年間であった。赤岩坑自体は被告ニッチツが鉱業権を取得する以前から採掘されていたが、昭和二五年八月から昭和三〇年までの間は、操業の実績がほとんどなく、休眠状態であった。

(2) 採掘した金属の種類

採掘した有価金属は、鉛・亜鉛であった。

(3) 坑内の構造等

大捷坑(基幹坑道)を基準にして、上部は、西通洞坑までの高低差八〇メートルの間に、二〇メートル間隔の四つの水平坑道があり、西通洞坑の更に上部には、概ね三〇メートルの一定間隔で「西三番坑」「東五番坑」「東三番坑」が開設されていた。また、大捷坑の下部については、半長孔サブレベル採掘法が採用され、そのサブレベル間隔は一〇メートルであった。

なお、昭和三六年一〇月末に、道伸窪坑の一〇二四メートル通洞坑が赤岩坑下部まで延長されたため、集中シュートと人道・通気竪坑が貫通・連結された。

水平坑道の大きさは、大黒坑の場合と同じであった。

(四) 道伸窪坑

(1) 採掘期間

採掘期間は、被告ニッチツが開発した期間は、昭和三六年から昭和四八年三月に採掘を中止するまでの約一五年間であった。

(2) 採掘した金属の種類

採掘した金属は、鉄鉱石であった。

(3) 坑内の構造等

一〇二四メートル通洞坑を基幹とする上部五〇メートル間隔の上部鉱体、九〇〇メートル通洞坑を基幹とする一〇二四メートル通洞坑の中部鉱体(上下間隔一二四メートル)、更に、九〇〇メートル通洞坑の下部一〇〇メートルの下部鉱体の三ブロックに分割されていた。

上部鉱体の採掘切羽の構造は、一〇メートル間隔のサブレベルが三段になっていた。サブレベルで採掘した鉱石は、切羽の最下部に設けられたドローホール(円形状の漏斗)を経て、スクレーバー坑道に導かれ、スクレーバーで運搬坑道のグランビー鉱車(自動反転装置付鉱車)に積み込んだ後、電車(バッテリーロコ)で搬出された。

中部鉱体の採掘切羽の構造は、ほぼ上部鉱体と同様であるが、それをスケールアップした構造になっていた。サブレベルの間隔は一七メートルであり、サブレベルの段階は五段であった。

運搬の系統は、第一段階では、一〇二四メートル通洞坑口に設置した索道で上部鉱体の鉱石を選鉱場へ輸送した。その後、九〇〇メートル通洞坑が完成し、一〇二四メートル通洞坑と貫通した後は、九〇〇メートル通洞坑と一〇二四メートル通洞坑の間の集中シュート(鉱石専用の貯鉱槽)を経て、九〇〇メートル通洞坑に集約し、中部鉱体との集中運搬方式とした。

九〇〇メートル通洞坑の坑道の大きさは、巾2.7メートル×高さ2.6メートルであり、一〇二四メートル通洞坑の坑道の大きさは、巾2.6メートル×高さ2.2メートルであった。また、採掘準備のための中段坑道(サブレベル坑道)は、巾1.8メートル×高さ2.0メートルであった。

(五) 狩倉坑

(1) 採掘の対象物は、珪石であった。

(2) 採石の方法は、露天掘り(坑外)が主であった。

二  三ヶ所鉱山

証拠〔甲七七、乙八一〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 三ヶ所鉱山は、宮崎県に所在し、被告ニッチツが鉱業権を有していた鉱山である。

2 三ヶ所鉱山は、文政年間(一八一八年ころ)に発見され、その後幾多の変遷を経て、昭和二五年、経営権が被告ニッチツの手に移った。その後、昭和二八年四月に閉山となった。

3 三ヶ所鉱山においては、銅・硫化鉄鉱が採掘された。

4 三ヶ所鉱山の鉱体の大部分は、比較的小さなレンズ状の雁行連続集合状をなしていた。

5 三ヶ所鉱山における生産量は、月一〇〇〇トンから一五〇〇トン程度であった。

6 三ヶ所鉱山において採用されていた採掘法は下向充填採掘法であり、下向きに鉱石を採掘した空間を充填しながら採掘を進めるものであった。

三  土倉鉱山

証拠〔甲八八、原告井戸本人〕及び弁論の全趣旨によれば、土倉鉱山は、滋賀県に所在し、被告ニッチツが鉱業権を有していた鉱業であったことが認められる。

四  佐井鉱山

証拠〔原告井戸本人〕及び弁論の全趣旨によれば、佐井鉱山は、青森県に所在し、被告ニッチツが鉱業権を有していた鉱山であったことが認められる。

五  宇根鉱山

証拠〔丙五、七ないし九、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる(ただし、争いのない事実を含む。)。

1 宇根鉱山は、埼玉県秩父群横瀬町に在り、武甲山の北斜面中央に位置し、被告菱光が鉱業権を有する鉱山である。

2 武甲山石灰石鉱床を中心とする地域は、下位より古生代二畳紀の上影森層、中生代三畳紀の武甲山層等とこれらを覆う第三紀の堆積物が分布しており、武甲山石灰石鉱床は三畳紀の武甲山層に胚胎している。その石灰石鉱床の下盤に輝緑凝灰岩、上盤にチャート、砂岩等がある。

武甲山石灰石鉱床を形成する武甲山層は、一般的にほぼ東西走向で北に急傾斜している。

武甲山の石灰石は、熱変成を受けていない良質な石灰石という特徴がある。

3 宇根鉱山の開発は、およそ次のような経過をたどった。

昭和四二年九月 宇根鉱山の開発に着手した

昭和四四年六月 第一グローリホール完成

昭和四五年三月 第二グローリホール完成

昭和四七年五月 ベンチカット開発に着手

昭和四八年一〇月 ベンチカット切羽での生産を開始

昭和五三年二月 山頂のベンチカット切羽開発に着手

昭和五四年六月 山頂のベンチカット切羽での生産を開始し現在に至る。

第三  じん肺の病像及び特徴等

一  じん肺の定義

請求原因三1(じん肺の定義)記載の事実は、当事者間に争いがない。

二  じん肺の病理

証拠〔甲五、三八、一五六、乙四、八、一六〕及び弁論の全趣旨によれば、請求原因三2記載の各事実が認められる。

三  じん肺罹患・憎悪のメカニズム等

証拠〔甲一ないし五、九、一四の2、一五、一八、一九、三六、三八、一〇八、一一五、一二六、一二八、一五六、乙四、八、証人高橋〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 肺の機能

肺は、生命にとって重要な呼吸及びガス交換を行う臓器である。

鼻から吸い込まれた空気は、鼻腔―喉頭―気管―気管支―細気管支―呼吸細気管支を通って肺胞に運ばれる。他方、全身から集められた炭酸ガスを含んだ血液は、心臓を通って肺へ送られる。そして、肺胞において、吸入された空気中の新鮮な酸素と血液中の炭素ガスとを入れ替える「ガス交換」が行われる。ガス交換によって炭酸ガスを含んだ空気は、右と逆の経路を経て、体外に吐き出される。

この機能が円滑に働くためには、①肺の中の空気を呼吸によって十分に入れ替えること(換気機能)、②肺の中へ入った空気を肺のすみずみにまで均等かつ迅速に行き渡らせること(拡散機能)、③空気と血液との間で、酸素と炭酸ガスをスムーズに入れ替えること(ガス交換機能)の三つの段階が正常でなければならない。

2 粉じんの沈着等

肺は、体外の空気と直接に交通しているため、常に空気中の粉じんやガス等の有害物に曝されている。

粉じんが含まれている空気を吸い込んだ場合、その粉じんは、気道(鼻腔から気管支までの空気の通路)の壁又は肺胞の壁に接触し、その部位に沈着する。粉じんの沈着する部位は、粉じんの粒径に左右される。粒径の大きい粉じんは、大部分が鼻腔に沈着し、肺の中までは到達しない。鼻腔に沈着しなかったもののうち、粒径が五ミクロン以上の大きな粉じんについては、相当数が気道(気管及び気管支等)に沈着する。肺組織内への沈着率は、粒径が一ミクロン前後から増加し、二ミクロン前後でピークに達し、それ以上では減少に転じる。

3 粉じんに対する身体の反応

(一) 吸入された粉じんのうち、血液等の体液に溶けやすい成分のものは、気道や肺胞に沈着しても、血液等の体液に溶け込んで、身体の各部に運ばれる。そのため、「じん肺の原因物質とはなりにくい」との指摘がなされている。

(二) 他方、血液等の体液に溶けやすい成分を含んでいない粉じんが気道や肺胞の壁に沈着した場合には、身体が持っている次の二種類の除去システムによって除去される。

(1) 粘液繊毛輸送系による除去

気道の表面には「繊毛」と呼ばれる細かい毛が無数に生えており、気道から出された粘液に付着した異物を外(喉頭)に向かって輸送するシステムが確立されている(粘液繊毛輸送系)。そして、異物が気管よりも上のところまで運ばれてくると、そのうちの一部は咳によって痰という形で排出され、その他の大部分は食道を経て消化管に入る。

正常な人では、一日に約一〇〇ミリリットルの粘液が分泌されており、吸入された粉じんが気道の壁に付着すると、この粘液の層に捕まえられて、そのうちの八〇ないし九〇パーセントが二時間以内に繊毛運動によって除去される。

(2) 肺胞における除去

その詳細は必ずしも明らかではないが、およそ次のようなものであることが指摘されている。

① 細気管支へ行き、無繊毛細胞に取り込まれるか、粘液繊毛輸送系によって経気道的に排出される。

② 肺胞内には異物や病原体等を無条件に取り込んで食べてしまうマクロファージ(大食細胞)という細胞が存在するが、マクロファージが、粉じんを取り込んだ後、アメーバー状運動により、自ら終末細気管支まで移動し、粘液繊毛輸送系によって排出される。

③ 肺胞Ⅱ型細胞に取り込まれる。

④ 肺胞Ⅰ型細胞に取り込まれる。

肺胞内に入った粉じんのうち、マクロファージによって貪食されないで残ったものや、粉じんの毒性によってマクロファージが破壊されて外へ出たものの一部は、肺間質に入るが、その粉じんは、

⑤ 毛細血管内皮細胞に取り込まれ、一部は血液中に排出される。

⑥ リンパ管内皮細胞膜隙を通って、リンパ管内へ移動し、一部は内皮細胞に取り込まれる。

⑦ 肺間質中のマクロファージに取り込まれ、リンパ管を通って排出される。

4 じん肺罹患・憎悪のメカニズム等

(一) 右2記載のようないくつかの過程を経て、吸入され、沈着した粉じんは除去されていくが、その処理能力を越えて粉じんが肺内に吸い込まれた揚合には、除去されなかった粉じんが呼吸細気管支や肺胞に貯留し、それが原因となって、様々な疾病が発生してくる。じん肺は、その最たるものである。

(二) じん肺を起こす粉じんは、主として、肺胞や呼吸細気管支に到達する五ミクロ以下の粒径の粉じんである(石綿じん肺の場合を除く。)。

(三) 石綿じん肺以外のじん肺の基本的病変は、肺胞及びその周辺の線維増殖性変化である。

じん肺の線維増殖性変化の機序の詳細は必ずしも明らかではないが、およそ次のようなものであることが指摘されている。

(1) 粉じんは外からきた異物であるため、粉じんが肺胞やリンパ節に沈着すると、これを身体に害のない形にしようとする防御反応が起きてくる。防御反応の過程においては、様々な細胞が集まったり、壊れたり、死んだりするが、その際には、線維を作る基になる線維芽細胞も集まってくる。そして、マクロファージの死滅等をきっかけとして、コラゲナーゼ等の酵素が過剰に放出され、これが線維芽細胞に作用して、コラーゲン線維の過剰増殖を引き起こす。このようにして、防御反応が一段落するころには、肺組織は粉じんを取り込んだ線維状の組織で固められてしまう(線維増殖性変化)。

(2) 通常、線維増殖性変化は、リンパ節や肺間質で起きる。そして、リンパ節や肺間質における変化が進行するにつれて、その後に吸入した粉じんが肺胞内に備蓄されるようになり、肺胞内でも線維増殖性変化が起きてくる(リンパ型、けい肺等)。

(3) 粉じんの中には、珪酸鉱物のように毒性(細胞に障害を及ぼす性質)の強いものがあるが(特に、無水けい酸は毒性が強い。)、マクロファージがそのような粉じんを取り込んだ場合には、マクロファージは、寿命が来る前であっても、破壊されて死滅する。その場合、線維増殖性変化が比較的大規模かつ急速に起きるため、過剰に増殖したコラーゲン線維は、時を経て線維束になり、タマネギ状の結節(しこりのようなもの)を作る。結節は一〜三ミリメートル程度のものが多いが、時には五から七ミリにも達する。肺の中に無数に散在する結節は、じん肺の進行につれて、大きくなりながら、互いに融合して、大きな塊状の病巣(塊状巣、胸部X線写真において「大陰影」と呼ばれるもの)を作る。

(4) 粉じんの種類によっては、粉じんがリンパ節や肺間質等には入らず、肺胞内において、比較的弱い線維化(1〜1.5ミリメートル程度の小結節のみの形成)を呈することがある(肺胞型、炭素肺等)。

肺胞型では、多くの場合には、小結節が密在した状態のままで、局所肺気腫が広汎に起こり、気道の炎症性変化も加わる。ただし、肺胞型においても、吸入粉じん量が著しく増加した場合には、塊状巣にまでなる例もある。

(四) 線維増殖性変化が次第に進むと、肺は、そのために弾力性を失ってくる。肺胞の壁が線維で埋め立てられるため、壁の中にある血管を押しつぶしたり、空気が入る空間と肺の壁の中にある血管との間を線維で固めてしまったりする。

(五) 細気管支レベルの病変に伴って、気管支や細気管支が細菌の感染を受けやすくなり、気道の炎症性変化(慢性気管支炎や気管支拡張症等)も発生しやすくなる。

(六) じん肺では、呼吸道が荒らされるため、呼吸をする能力や、肺内の空気を換気する能力が低下したり、空気が通過する速さや量に影響を与える(換気機能の低下)。

また、肺の組織や構造がゆがめられることにより、空気を肺のすみずみにまで拡散する能力も落ちてくる(拡散機能の低下)。

さらに、肺胞や肺胞の壁が固められるため、ガス交換をスムーズに行うことも困難になってくる(ガス交換機能の低下)。

したがって、肺の中へ空気が入っても、肺胞から身体の中へ酸素が入ることが妨げられるため、次第に身体が酸素不足の状態になってくる。

(七) 線維増殖性変化は、肺胞壁やリンパ節に限って起こるものではなく、肺胞道(肺胞の入り口)や、その上方にある非常に細い気管支の壁にも起きてくる。

そうすると、肺胞の中に空気が入っても、その入り口が狭くなっているために、外に吐き出しにくくなる。次第に肺胞の中に空気が溜まってくるため、空気が何とか外に出ようとして、周囲の肺胞の壁を押すようになる。ところが、押された肺胞の壁にも線維性変化が起きており、一度押されて伸びると元に戻りにくくなっている。こうして、肺胞は過膨張になり、風船のようになって、「肺気腫」と呼ばれる状態ができあがりやすい。

(八) 肺と心臓はつながっているため、炭酸ガスを運んできた血液を心臓が肺へ送り出すときに、線維化を起こしている肺の方に大きな抵抗が生じる。

他方、酸素を身体へ運ぶために肺から心臓へ戻ろうとする血液は、線維化を起こしている肺の力が弱いため、心臓へうまく戻れなくなる。これを何とかうまくやろうとすると、心臓に負担がかかり、ついには、心臓自身も正常な働きができなくなってくる。

このようなことが長く続くと、容態は次第に悪化し、ついには「肺性心」と呼ばれる心不全を起こすことも少なくない。

四  じん肺の症状等

証拠〔甲一、四、九、一二八、一五六、乙四、五の3、八、一六〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 じん肺による自覚症状は、大きく分けて、三つの原因によって起きる。

(一) 気管支系がじん肺性変化で荒らされて、そこへ外部から様々な刺激が加わるために起こる症状であり、咳、痰、息苦しさ、胸が重苦しい、胸がぜいぜいするなどである。

(二) 肺の機能が低下して、呼吸がしにくくなったり、身体の中に外からの新鮮な空気が取り込みにくくなったりするために起こる症状であり、呼吸困難、息切れ、胸痛などである。

(三) 心臓に負担がかかることによって起きる肺・心臓を中心にした全身的な症状であり、不眠、食欲不振、めまい、動悸、息切れなどである。

2 気管支や肺の組織が傷んでいるため、風邪をひいたときに、じん肺でない人と比べて、よりひどい症状を呈することが少なくなく、肺炎等の感染症にも罹患しやすい。

3 じん肺に罹患したからといって、右のような各種の症状がすぐに現われるというわけではなく、場合によっては、症状が現われたときには、じん肺の病状がある程度進行していたということもあり得る。

五  じん肺の特徴等

証拠〔甲一ないし五、九、一八、一九、三八、一二六、一二八、乙四、五の2、八、一七、二三〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 進行性

一旦じん肺に罹患した場合、その病状(線維増殖性変化、気腫性変化、気道の炎症性変化)は、吸入した粉じんの量に応じて進行し続け、粉じん職場を離脱した後も、その進行を食い止めることはできない。

これに対し、被告ニッチツは、前記第二章第三の六1(一)記載のとおり、「現じん肺法は作業転換を義務付けているが、これは粉じん職場を離脱すればじん肺は進行しないという医学上の見解に基づいたものである。」旨主張している。しかしながら、同法が作業転換を義務づけている趣旨は、それ以上の粉じん吸入を防止して、少しでもじん肺が進行するのを食い止めようというところにあるというべきであって、既に吸入してしまった粉じんの量に応じて、粉じん職場離脱後にじん肺の症状が進行することを否定する趣旨でないことは、右各証拠に照らしても明らかである。

2 不可逆性

一旦肺に線維増殖性変化が起こると、その後粉じん作業を止めて粉じんの吸入を避けたとしても、病状は不可逆的に進行するものであって、現代医学をもってしては、その線維増殖性変化自体を治療することは不可能である。

なお、前記第二章第三の六1(二)において被告ニッチツも主張するように、じん肺に伴って発生する合併症自体は、適切な治療を施すことによって治癒することもある(なお、その合併症自体も、極めて治りにくく、かつ、一旦治っても再び発生しやすいものである。)が、そのことは、じん肺自体が不可逆性の疾患であることと何ら矛盾するものではない。

3 全身疾患性

肺は、空気中の酸素を体内に取り入れ、二酸化炭素を体外に放出するという働きを行う臓器であって、人間の生命と活動にとって極めて重要な中枢的器官である。そして、人間の各器官は有機的に密接に関連しているため、肺が十分に機能できない場合には、他の部分にも様々な疾患を発生させやすくなる。そうした意味において、じん肺は全身性疾患であるとの評価が可能である。

これに対し、被告ニッチツは、前記第二章第三の六1(三)記載のとおり、「じん肺は、病変の発症部位が呼吸器に限られ、呼吸器以外には粉じん吸入による病変はないというのが医学上の定説である。」旨指摘し、じん肺が全身疾患であるという理解が誤っているかのごとき主張をしている。しかしながら、病変の発生部位自体がどの範囲にあるかということと、その影響が通常どの範囲に及ぶかということとは、全く別個の問題であるというべきであるから、被告ニッチツが指摘する右の点は、じん肺が全身疾患であるという理解を何ら否定するものではないというべきである。

4 法定合併症以外の合併症

法定合併症以外のものでじん肺との関連が深い合併症として、肺癌が挙げられている。

従来から、石綿作業従事者の肺癌については、一部業務上の疾病として扱われてきたが、石綿じん肺以外の一般のじん肺においても、肺癌が合併する頻度が一般人に比べて高いとの指摘がなされている。

第四  じん肺の歴史、社会的知見及び法制度

一  わが国におけるじん肺の歴史

証拠〔甲一、三、六、九、一九、三八、五〇、五五、一〇四、一〇七、一〇九、一一九ないし一二一、一二六、一二八、一五六、乙八、二三〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる(ただし、当事者間に争いのない事実を含む。)。

1 戦前

(一) 粉じんは「古くから知られた危険」であり、じん肺は「古くから知られた職業病」である。特に、鉱山におけるじん肺は、「ヨロケ」「山弱り」「掘りだおれ」などと呼ばれ、鉱夫が異常な若さで死亡する原因となる悲惨な病気として、古くから知られ、鉱夫たちの間で恐れられていた。

(二) 江戸時代には、幕府が大いに鉱業を奨励し、相当大規模に鉱業が営まれたため、少なくともそのころから、鉱夫も「ヨロケ」(じん肺)が多数発生しており、その悲惨な状況が伝えられている。

(三) 明治時代になって、全国的に鉱山の採掘と鉱物の売買が許可され、鉱山における火薬の使用が急増したことにより、じん肺の被害も増加した。

(四) 大正時代から昭和初期にかけて、鉱山で削岩機が普及すると、より一層じん肺の被害は増大し、深刻な社会問題となった。

(五) そのような状況下において、昭和四年一二月改正の「鉱業警察規則」において、わが国最初のじん肺防止規定が設けられた。また、昭和五年六月三日付け「鉱夫珪及眼球震盪症ノ扶助ニ関スル件」により、けい肺患者に対して、鉱夫労役扶助規則が適用され、補償が行われるようになった。

2 戦後

(一) 昭和二一年六月、栃木県足尾町の鉱山復興町民大会において、「ヨロケ撲滅宣言」が採択され、これを契機にして、全国各地でけい肺根絶の要求が広がった。

(二) 昭和三〇年七月にはけい特法、昭和三三年四月にはけい肺等臨時措置法、昭和三五年三月三一日には旧じん肺法がそれぞれ制定された。そして、昭和五二年六月には、旧じん肺法が改正されて現じん肺法となり(施行は昭和五三年三月)、現在に至っている。

(三) しかし、旧じん肺法制定以降も、要療養のじん肺患者は相当数発生し続けている。

二  じん肺及びその防止措置に対する社会的知見

証拠〔甲六、一〇二ないし一〇四、一〇九、一一三、一一四、一一九、一二〇、一二五〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる

1 戦前

(一) 大正一四年、全日本鉱夫総連合会と産業労働調査所が共著で発行した文献「ヨロケ=鉱夫の早死はヨロケ病=」は、ヨロケ(じん肺)の原因が肺の組織中に入った塵埃であるとし、更にヨロケを職業病であると明確に位置づけた上、企業と政府に対し、その予防及び保護に関する要求をしていた。

そのうち、企業に対する予防対策としては、次の各事項を要求していた。

(1) 栄養不良を防止するための賃金値上げ

(2) 坑内衛生状態の改善

(3) 坑内滞留時間の短縮

(4) 乾式削岩機使用の廃止

(5) 良好な防じんマスクの給付

(6) 防じん器具の使用

(7) 鉱夫の定期健康診断の実施及び軽症ヨロケ患者の完全な療養の実施

(8) 坑内作業者を一定年限毎に坑外作業に従事させること

また、企業に対するヨロケ保護に関する要求としては、次の各事項が掲げられていた。

(1) ヨロケ患者の療養手当、療養日当の完全な支給

(2) ヨロケ肺疾者の生活の安定の完全な保護、年金の支給

(3) ヨロケ病死亡者遺族への扶助料の十分な支給

さらに、政府に対しては、次の各事項を要求していた。

(1) 業務上の疾病(職業病)としての認定及びこれに対する療養、保護の鉱業権者への強制

(2) 最高労働時間の決定

(3) 最低賃金の決定

(4) 衛生監督官の設置

(二) 大正一五年一一月発行の横手社会衛生叢書「鉱山衛生」において、内務省社会局技師である南俊治は、鉱肺・炭肺の予防について、次の書店を指摘していた。

(1) 通気をよくすること。

(2) 削岩機の湿式化

(3) マスクの使用。特に、マスクを好まない坑夫への着用指導が重要である。

(三) 日本鉱山協会は、昭和九年度事業として、商工省鉱山局及び内務省社会局の後援を得て、札幌、仙台、東京、大阪及び福岡において、鉱山衛生講習会を開催し、昭和一〇年、その内容が文献「鉱山衛生講習会講演集」として発行された。その中において、講演者の一人であった原田彦輔は、次の諸点を指摘していた。

(1) 粉じんの吸入がじん肺の原因であることは周知の事実であり、その予防対策が十分実施されていないこと。

(2) 一〇ないし0.1ミクロンの粉じんが最も肺胞に沈積しやすく、また、作業場に長時間浮遊するため、じん肺罹患の危険が高いこと。入気坑道以外は、粉じんが著しいものとして、防じん具の使用をすべきこと。

(3) 鉱業警察規則は、鉱山事業の経営に随伴して生ずる危険性に対して、従業員の被ることのある災害の発生及び衛生上の欠陥を防止するために必要な施設の最小限度を規定したものであること。

(四) 右講演者の一人であった西島龍は、鉱山の粉じん発生状況に関する調査の結果として、金属鉱山で空気一‰中に二億粒以上の粉じんが発生・浮遊している場所が全坑道に及んでいること、及び湿式削岩機を使用しても、浮遊塵数に著しい減少を見ないことを述べた上で、粉じん防止及びじん肺予防のための対策として、次の諸点を指摘していた。

そのうちの粉じん防止対策は次のとおりであった。

(1) 粉じんの発生防止として、①水洗式の削岩機の使用、集塵装置の使用等、②発破作業前の十分な清掃、散水、上がり発破等

(2) 粉じん飛散防止として、①散水、②換気等

(3) 粉じん吸入防止として、①防じんマスクの着用、②最も塵埃度の低い場所への休憩所、交替所の設置、③労働時間の短縮

また、じん肺防止対策は次のとおりであった。

(1) 坑内の一般衛生設備の改善

(2) 定期の健康診断によるじん肺の早期発見

(3) 職務の転換

(四) 健康増進法

(五) 昭和一三年発行の日本鉱山協会「坑内浮遊粉塵調査報告書(其の一)」は、じん肺防止対策として、次の諸点を指摘していた。

(1) 坑内の通気を良好にすること。但し、乾燥している坑道においては、風速を余り大きくすると、かえって岩粉を飛揚させる結果となること。

(2) 坑道掘進はもとより、採掘切羽においても、作業の前後に努めて周壁に散水し、岩粉の飛散を防ぐ。

(3) ストーパー及びジャックハンマーも、湿式として用いることができるように改良すべきこと。

(4) 発破後はもちろん、運搬作業時等は岩粉の飛揚が著しいから、このような乾燥している坑道では散水すること。

(5) 鉱石及び岩石の運搬の際にも散水が必要であること。

(6) 削岩夫はもちろん、運搬夫にもマスクを使用させること。

(7) 防じんマスクの濾過体としては、ガーゼ一二枚又は海綿にガーゼ八枚が添付されているもの、あるいはそれ以上のものが望ましいこと。

(8) 根本的に岩粉の発生を防ぐべく、適当な散水設備又は集塵装置を施すとともに、改良に努めること。

(9) 労働者に対し、じん肺及び岩粉に対する知識を得させ、岩粉の発生及び吸入防止を徹底させること。

(六) 昭和一三年発行の日本鉱山協会「坑内浮遊粉塵調査報告書(其の二)」は、次の諸点を指摘していた。

(1) マスクの材料として、普通に用いられる手拭等はほとんど効果がないから、脱脂綿、ガーゼ等を十分に使用し、かつ、これを十分濡らして使用すること。

(2) 坑内作業者は、職種を問わず、莫大な量の粉じんを吸入し、じん肺の危険に直面していること。

(3) 坑内通気を良好にすることが基本的粉じん予防対策であるが、通気の完壁は至難であるので、実際問題としては、散水によるべく、坑道掘進切羽、採掘切羽、乾燥している主要通行坑道その他全てに散水すること。

(4) 湿式ストーパー、湿式ジャックハンマーを使用すること。

(5) ウォーターラインを完成すること。

2 戦後

(一) 昭和二五年発行の労働省労働基準局労働衛生課「昭和二三年度珪肺検診報告」は、次のとおり報告していた。

(1) 坑内の全職種において多くのけい肺患者が出ていること。

(2) 職種別のけい肺発生率は、坑内支柱夫(70.8%)、坑内職員(70.0%)、毎日一回以上坑内に入る職員(68.0%)、坑内削岩夫(65.9%)の順で高く、一番発生率の低い坑内運搬夫でも45.5%の発生率を示していること。

(二) 昭和三〇年八月発行の鉱山保安局「けい肺対策の原状および今後の展望」は、けい肺防止対策として、次の諸点を指摘していた。

(1) けい肺の予防方法は、けい肺の原因となる有害粉じんを吸入しないことであり、そのためには、①粉じん発生防止、②発生粉じんの捕捉抑制、③労働者の粉じん吸入防止の三段階の対策を立てる必要がある。

(2) 金属鉱山においては、昭和二九年に労働省珪肺対策審議会粉じん恕限度部会が発表した「粉塵の恕限度」を満たす箇所がほとんどないから、どれだけ粉じん防止対策を行っても行いすぎることはない。

(3) けい肺防止には、散水が重要であるが、その際には、十分多量の水を使用するか、作業中数次にわたって散水するか、スプレー施設を付けて連続的に散水するかして、散水の効果が十分上がるようにする必要がある。

(4) 通気に関しては、全山の機械化は行わないにしても、局部扇風機等による局部通気の改善を早急に行う必要がある。

(三) 昭和三三年発行の山田穣編「鉱山保安ハンドブック」は、坑内の発じんについて、次のとおり指摘している。

(1) 削岩機の湿式化により、発じん数は約二〇ないし一〇%に落ちているが、それによってもなお多くの粉じんが発生していること。

(2) 発破作業においては、瞬間的に莫大な量の微細粉じんが生じ、また、先に行われた作業による発生粉じんが作業場に堆積していると、発破による爆風と振動によって空気中に再び舞い上がることになり、その危険性が増大すること。

(3) 発破により破砕された鉱石などを坑外へ搬出するための積込み又は積替え作業の際には、相当の発じんが見られる上、作業の能率化を図る機械化が進められているため、採掘鉱物の移動が激しく、次第に浮遊粉じん量が空気中に増大していること。

(4) 運搬作業においては、運搬中に坑道内において鉱石がこぼれ落ちることによって発じん量が増大する。そのため、運搬に従事している多数の労働者がじん肺に罹っていること。

(5) 金属鉱山におけるサブレベルストーピング、シュリンケージ等においては、通気が困難なことが多いため、空気中の粉じん量が著しく増大することがあること。

(6) 一度空気中に浮遊した微粒粉じんは、長時間を経てもなかなか沈降せず、特に坑内作業において発生した粉じんは、作業中もその付近に長く浮遊し、一旦堆積した粉じんでも再び舞い上がって浮遊しやすいこと。

三  じん肺に関する従前の法制度

証拠〔甲一、三、六、九、二一、一〇一、一〇四、一〇七、一〇九、一二二、一二三、一五七、乙三六〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 昭和四年一二月一六日、商工省令第二一号をもって鉱業警察規則が改正され、法令上初めてじん肺防止に関する規定が設けられた。その内容は次のとおりであった。

(一) 第六三条

「著シク粉塵ヲ飛散スル坑内作業ヲ為ス場合ニ於テハ注水其ノ他粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ但巳ムヲ得ザル場合ニ於テ適当ナル防塵具ヲ備へ鉱夫ヲシテ之ヲ使用セシムルトキハ此ノ限リニ在ラズ」

(二) 第六六条一項

「選鉱場、焼鉱場、製錬場其ノ他ノ坑外作業場ニシテ著しく粉塵ヲ飛散スル場所ニ於テハ左ノ各号ノ規定ニ依ルベシ

1号 粉塵ノ飛散ヲ防止スル為撒水、粉塵ノ排出、機械又ハ装置ノ密閉其ノ他適当(旧字)ナル方法ヲ講ズルコト

2号 飲料水ヲ備置キ且粉塵ノ混入ヲ防グ施設ヲ為スコト

3号 洗面所及食事所ヲ設クルコト但シ作業場所内ニ之ヲ設クル場合ニ於テハ粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ」

2 昭和五年六月三日付内務省労働部長発労第一五四号通帳「鉱夫珪肺及眼球震盪症ノ扶助に関スル件」が出され、これにより、鉱夫のけい肺が職業病(業務上の疾病)と認められ、けい肺患者に鉱夫労役扶助規則が適用されて、一定の補償がなされることになった。その内容はおよそ次のとおりであった。

(一) 鉱夫が同一鉱山又は同一鉱業権者の鉱山に引き続き三年以上就業し、珪肺(結核を合併しているものを含む)に罹った時は、業務上の疾病と推定すること。ただし、当該鉱山に於ける業務が性質上珪肺を発すべき原因なときは、此の限りにあらざること。

(二) 右の場合においては、珪肺の診断は一応臨床的症状によって決し、鉱業権者が之を否認しようとするときは、「レントゲン」診断によって然らざることを証明する必要があること。

(三) 勤続三年未満の発病者といえども、当該鉱山における就業が其原因たることが明瞭なものについては、同様に業務上の疾病とすること。

(四) 珪肺が治療により症状安定し、以後治療を加えてもその効果が殆んどないときは、鉱夫労役扶助規則の適用においては治癒したものと解し、その症状によって、同規則第二十条第一号ないし第四号の障害扶助料を支給すること。

3(一) 昭和二四年八月一二日、通産省令第三三号により、「金属鉱山等保安規則」が規定され、粉じんの飛散防止、防じんマスクの備付、粉じん防止対策についての規定が設けられた。昭和二四年施行時の金属鉱山等保安規則中のじん肺防止に関する規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二一九条

「坑内作業場において衝撃式削岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときは、この限りでない。」

(2) 二二〇条

「坑内作業場において著しく粉じんが飛散するときは、散水、粉じんの排出、機械又は装置の密閉その他適当な措置を講じなければならない。」

(3) 二二四条

「選鉱場、製錬場その他の坑外作業場において、著しく粉じんが飛散するときは、粉じんの飛散を防止するため、散水、粉じんの排出、機械又は装置の密閉その他の適当な措置を講じなければならない。」

(二) 昭和二五年八月、金属鉱山等保安規則の一部が改正された。そのうちのじん肺防止に関する改正後の規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二二〇条の二

(珪酸質区域において)「衝撃式削岩機を使用するときは、これを湿式型とし、且つこれに適当に給水しなければならない。」

(珪酸質区域において)「穿孔するときは、穿孔前に周囲の岩盤等に散水しなければならない。」

(三) 昭和二七年九月、金属鉱山等保安規則の一部が改正された。そのうちのじん肺防止に関する改正後の規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二二〇条

「坑内作業場において著しく粉じんが飛散するときは、散水する等適当な措置を講じるか、又は防じんマスクを備えなければならない。」

(2) 二二〇条の四

「坑内作業場において衝撃式削岩機を使用するときは、鉱山労働者は、注水しながら穿孔しなければならない。」

(四) 昭和二八年四月、金属鉱山等保安規則の一部が改正された。そのうちのじん肺防止に関する改正後の規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二二〇条の二

「坑内作業場において衝撃式削岩機を使用するときは、これを湿式型とし、かつ必要な注水をするのみならず、防じんマスクを備えなければならない。」

(五) 昭和二九年一月、金属鉱山等保安規則の一部が改正された。そのうちのじん肺防止に関する改正後の規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二二〇条

「坑内作業場において著しく粉じんが飛散するときは、散水する等適当な措置を講じなければならない。

前項の規定による措置を講じた場合において、なお保安のため必要があるときは、同項の規定に依るほか、日本工業規格に適合する防じんマスクを備えなければならない。

第一項の規定による措置を講じることが特に困難な場合において、防じんマスクを備えたときは、同項の規定によらないことができる。」

(2) 二二〇条の二

「坑内作業場において衝撃式削岩機を使用するときは、これを湿式型とし、飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。」

(三) 二二四条

「選鉱場、製錬場、露天掘採場その他の坑外作業場において著しく粉じんが飛散するときは、防じんマスクを備え、かつ、粉じんの飛散を防止するため、散水、粉じんの排出、機械又は装置の密閉その他適当な措置を講じなければならない。」

(六) 昭和三〇年一〇月、金属鉱山等保安規則の一部が改正され、じん肺防止に関する規定の内容は、次のとおりであった。

(1) 二二〇条

「坑内作業場において衝撃式削岩機を使用するときは、削岩機に給水するために配水管を設けなければならない。」

(七) 昭和五四年一二月一七日、金属鉱山等保安規則が改正され、粉じんに関する保安のための教育の実施、休憩設備の実施等、清掃の実施等及び粉じん濃度の測定をも規制内容の取り込んだ総合的な粉じん防止対策が規定された。

4 昭和三〇年七月二九日、けい肺に罹った労働者の病勢の悪化の防止を図るとともに、けい肺に罹った労働者に対して療養給付、休業給付等を行うことなどを目的として、けい特法が制定された。

同法においては、常時粉じん作業に従事させる労働者等に対する使用者のけい肺健康診断の義務、けい肺罹患者に対する作業転換措置や療養給付、休業給付等について規定されていた。

5 昭和三五年三月三一日、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理等の措置を講ずることを目的として、旧じん肺法が制定された。

旧じん肺法においては、常時粉じん作業に従事させる労働者等に対する使用者のけい肺健康診断の義務、けい肺罹患者に対する作業転換措置について規定されたほか、使用者及び労働者に対し、粉じん発散の抑制、保護具の使用等を義務付け、また、使用者に対し、常時粉じん作業に従事させる労働者等に対するじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を義務付けた。

四  現行法制度

請求原因四1(管理区分)及び2(一)(法定合併症)記載の各事実は、当事者間に争いがない。

第五  被告ニッチツにおける労働実態と粉じん

一  証拠〔甲二五ないし二八、二九の2ないし13、三〇、三一の1ないし3、三二、三三の1、2、三四、三七、四一ないし四四、四九、五〇、五七、五八、六〇、六二、七七、一〇九、一一五、一二五、乙三二、三六、四〇、四二、四三、四五、四六、六一、八一、証人北原、証人山田、原告黒沢本人、原告眞々田本人、原告田村本人、原告小山内本人、亡鈴木原告本人〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる(ただし、当事者間に争いのない事実を含む。)。

1 坑内における採掘方法

(一) シュリンケージ採掘法

運搬坑道の上に天盤保持用として約四メートルの厚さの水平龍頭(リューズ)を残し、その上に中段坑道を水平に押していき、その後、上向きに採掘をし、採掘した鉱石を足場にしながら、更に上向きに階段状に採掘を続け、足場に残した貯鉱分は、区画の採掘が完了した後に引き抜くという採掘法である。

(二) サブレベル・ストーピング採掘法

人道切上りから水平にサブレベルという中段坑道を掘削し、そのサブレベルの端から順番に下向半長孔の平行穿孔方式による起砕をして鉱石を落としていく採掘法である。

(三) 秩父鉱山における各採掘法の採用状況

(1) 地表近くの後期鉱床の脈状あるいは煙突状の鉱床を対象として亜鉛及び硫化鉱体を採掘する場合には、上下両岩盤とも比較的堅硬であったため、専らシュリンケージ採掘法が採用され、採掘が進展し、対象鉱床が早期鉱床に移るに従い、サブレベル・ストーピング採掘法も採用されるに至った。

ただし、道伸窪坑の場合には、開発に着手した直後の昭和三四年に大規模な磁鉄鉱床が発見されたため、当初からサブレベル・ストーピング採掘法が採用された。

(2) 具体的には、大黒坑(通洞坑から下四番坑までの間)、赤岩坑(大捷坑上部)、和那波坑及び道伸窪坑の一部において、シュリンケージ採掘法が採用されていた。

また、道伸窪坑、赤岩坑及び大黒坑の各鉄鉱体においては、主としてサブレベル・ストーピング採掘法が採用されていた。

2 秩父鉱山における坑内作業の概要

(一) 採鉱作業の工程

秩父鉱山における採鉱作業の工程は、次のようなものであった。

(1) まず、立坑から鉱体に向かって水平に、削岩された鉱石等を運び出すための主坑道を坑内に網の目のように掘削していく。

(2) 水平坑道が鉱脈に到着した後は、水平坑道から枝分かれをするように、鉱脈の中に向けて、水平坑道(立入坑道)を掘削する(水平坑道掘進作業)。

(3) 次に、人の通路となる人道、あるいは鉱石等を下に落下させる漏斗の孔を開けるため、上方向に坑道を掘削していく(掘り上がり掘進)。この人道や漏斗の孔のことを「切上り」という。そして、切上り坑道が上段の水平坑道にまで到達することにより、採掘準備は完了する。

(4) 採掘準備が完了すると、採掘作業が行われる。

(5) なお、右各作業に伴って、運搬作業や支柱作業が行われる。

(二) 坑内作業の種類

秩父鉱山における坑内作業を行う作業員は、削岩員・運鉱員・支柱員・試錐員(ボーリング担当)・保全員(修繕担当)・運転員・火薬員・現務員(雑務担当)等の職種毎に分かれて行われていた。また、作業員の他に、坑内巡視作業を担当する坑内係員も存在した(昭和四八年三月まで)。

(三) 各坑内作業の内容等

(1) 削岩作業

削岩員の担当する作業であり、削岩機でダイナマイト等の火薬を装填するための孔を切羽面に掘削し、ダイナマイト等の火薬を装填し、爆発させて(発破)、岩盤や鉱石を破砕する。

(2) 運搬作業

運鉱員の担当する作業であり、発破によって砕かれた岩石等(ズリ)や鉱石を「ハコミ」と呼ばれる道具や「ローダー」(積込機)を使用して掻き取り、鉱車(トロッコ)に積み込んで、坑外に運び出す。

(3) 支柱作業

支柱員の担当する作業であり、掘削作業を行うための足場を築いたり、崩落の恐れがある岩盤がある場合に、支柱材を用いて岩盤を補強するなどして、坑道を補強する。

また、掘り上がり掘進及びシュリンケージ作業法等を行う際には、漏斗を水平坑道の下部に作ったり、足場を築いたりする作業(縄張り)をするが、右各作業も支柱員が担当していた。

なお、サブレベル・ストーピング法移行後は、漏斗がなくなり、若干の枠入れ作業その他の支柱作業が残るのみとなったため、支柱員は、一部を除いて、削岩員に職種変更された。

(4) 修繕作業

保全員の担当する作業であり、掘進作業によって坑道が延長されていくのに伴い、削岩機の動力源である圧縮空気を送るためのパイプや水を通すためのパイプを延長し、あるいは補修する。

(5) 坑内巡視作業

坑内係員の担当する作業であり、作業員の配番をしたり、坑内の各作業現場を巡視して、作業員に対して作業面及び保安面の指示・指導を行う。

(四) 作業時間

(1) 昭和四八年三月までの間、坑内においては、一の方と二の方との二交代勤務制が採られており、一の方は午前八時から午後四時まで、二の方は午後四時から午前零時までの勤務であった。ただし、二の方は常にあったわけではなく、作業の進捗状況等により、被告ニッチツの判断で二の方が必要か否かが決定された。また、赤岩坑の場合は、出鉱量が比較的少なかったため、一の方のみの勤務が原則であり、二交代勤務は例外であった。

昭和四八年四月以降は、原則として一の方のみの勤務となり、運鉱員のみは二交替制のままであった。

(2) 一の方は、午前八時、坑外にある事務所に集合し、係員から番割その他の作業上の指示を受けた後、各自担当切羽へ向かった。各作業員が担当切羽に到着する時間は、通常八時半ないしは八時四〇分ころであった。また、午後零時から午後一時までの間は昼食時間となっており、坑内作業員全員が坑外の休憩所において昼食と休憩を取るのが原則とされていた(ただし、一時間未満のときもあった。)。さらに、上がりの時間については、午後三時二〇分ころに切羽を離れ、午後四時までに坑外の事務所に戻ることになっていた。

(五) 掘進作業における人員構成

(1) 昭和三〇年ころまでは、削岩員二名と運鉱員一名の計三名編成であった。

(2) 昭和三一年ころから、TY一二四LD型削岩機(レッグドリル)が実用化され、続いてローダー(積込機)が採用されて、作業が大幅に合理化されたため、削岩員二名だけの編成となり、運鉱員は掘進作業から姿を消した。

3 坑道掘進現場での削岩作業における粉じんの発生とその曝露

(一) 水平坑道掘進作業

(1) 水平坑道掘進作業の概要

水平坑道掘進には、鉱脈に至るまでの主坑道の掘進と、そこから鉱脈に沿って枝状に分かれる立入坑道の掘進がある。

水平坑道掘進における削岩作業は、①段取り(準備作業)、②削孔、③ダイナマイト装填、④発破という手順で行われ、その作業の実態は、主坑道の掘進と立入坑道の掘進とでほぼ同様である。

(2) 水平坑道掘進のための削孔作業

① 右削孔作業の概要

削岩機を使用して、切羽面の岩盤にダイナマイトを装填するための孔を開けていく。

通常は、深さ一メートル〜1.5メートルの孔を全部で二二本ないし二六本程度開けていた。全ての孔を開けるのに要する時間は、三時間以上、硬い岩盤のときは四時間以上であった。

右削孔作業には、コンプレッサー(圧縮機)で圧縮された圧縮空気を動力源として、ロッドやビットに打撃と回転の運動を与えて、岩盤に孔を開けていく方式の「レッグドリル」という機種が使用された。被告ニッチツが設立された昭和二五年八月以降、使用したレッグドリルは湿式(削岩ロッドの中空孔を通して水をビッドに送り、孔底の繰り粉を水によって排除するもの)のものであった。

② 右削孔作業における粉じんの発生とその曝露

レッグドリルは湿式削岩機であったため、乾式削岩機による場合と比較すると、削孔時の粉じん発生量が減少したが、それでもなお相当量の粉じんが発生していた。

しかも、レッグドリルは圧縮空気を動力源としていたため、その排気によって、天盤あるいは側壁に付着していた粉じんが舞い上がった。

また、右削孔作業においては、「もんもん取り」(孔を開ける位置を決め、ロッドがぶれないようにするために、岩盤にビットを当てて、約五センチメートルほどの深さの孔を開ける作業のこと)と呼ばれる作業を行うが、この作業では、水を使うとビットの先が岩盤上で滑ってもんもんを取りづらいこと、岩盤間近でビットの先がずれないように押さえている先手に泥混じりの水が吹きかかり、びしょ濡れになって作業がしにくいことなどから、水を使用しないでもんもん取りをする削岩員が多く存在した。そのため、粉じんが孔から吹き出した。

大黒坑においては、昭和二七年ころまでは、ウォーターライン(配水管)が切羽まで敷設されていなかったため、湿式削岩機に使用する水は、坑内の湧き水を七〇リットル入りのウォータータンクに汲んで使用した。しかし、一日の削孔作業を行うには、七〇リットル入りのウォータータンク一本では足りず、二、三度改めて水を汲みに行かねばならなかった。しかも、その方法は、坑道の側溝を拡幅して貯水池を作り、湧き水や浸透水を集水し、貯水池から小型のバケツ(八リットル容量)を用いて人力で汲むというものであったため、水の補給には手間と時間がかかった。そのため、発破の時刻が迫っているようなときには、水を使用せずに、空繰りすることもあったが、その際には、多量の粉じんが発生した。

大黒坑におけるウォーターラインの敷設は昭和二七年ころ開始され、昭和二九年度末には、大方は完了した。しかし、中段坑道には、ウォーターラインは敷設されておらず、また、ウォーターホースの途中に穴が開いて漏れ、水が上がってこないこともあった。中段坑道には、湧き水もないため、ウォータータンクによる水の調達もできかなった。さらに、原告眞々田の担当する切羽(奨励坑道)には、昭和三四、五年ころまで敷設されていなかった。そのため空繰りせざるを得なかったが、その際には、多量の粉じんが発生した。

赤岩坑においては、昭和三一年以降、近くの小さな沢(雁掛沢)からウォーターラインで水を坑内に引いていたが、赤岩坑はかなりの高地にあり、真冬は凍結することもあったため、まともに水が使えないことがあった。その場合には、空繰りせざるを得なかったため、多量の粉じんが発生した(これに対し、被告ニッチツは、「水が不足すると、コンプレッサーの冷却水も不足し、削岩機自体が使用できなくなるから、空繰りすることはあり得なかった。」旨主張している。しかしながら、証拠〔証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、コンプレッサーの冷却水は循環式であったことが認められ、水が不足しても、ある程度の時間は削岩機を使用することが可能であったことが推認される。したがって、被告ニッチツの右主張を直ちに採用することはできない。)。

(3) 水平坑道掘進のための発破作業

① 右発破作業の概要

右削孔作業終了後は、削岩機につながれているエアーホースを外して削孔した孔に差し込み、エアーを吹かして、繰り粉を吹き飛ばす(孔吹かし)。その後、孔の中にダイナマイト等の火薬を装填し、導火線発破(昭和三一年ころまで)又は電気発破(昭和二八年ころ以降)によりダイナマイト等を爆発させて、岩盤を爆破する。

発破をかける際には、削岩員は退避するが、その退避距離は約三〇ないし五〇メートルであった。

発破をかけた後、不発であったとき、又は「ハチ」(ダイナマイトが爆発したにもかかわらず、周囲の岩盤が起砕されないで、蜂の巣状になること)が発生している可能性があるときは、その点を確認するため、破砕後約三〇分程度しか経過しないうちに、もう一度切羽に戻ることもあった。

② 上がり発破と二回発破

水平坑道掘進作業では、一の方につき、一回のみ、一日の作業終了間際(又は午前の作業終了間際)に発破を行ういわゆる「上がり発破」が原則とされていた。

しかしながら、岩盤の硬い場所では、「二回発破」が必要なことが少なくなかった。二回発破とは、削孔作業終了後、まず芯(中心部)だけを爆破し(芯抜き発破)、次に「払い」(周辺部)を発破する方法である。二回発破は、一〇日間に一、二回位行われた。二回発破の場合には、芯抜き発破の後、約一〇ないし三〇分程度しか経過しないうちに、もう一度切羽に戻り、約四〇分間かけて、払いの発破のためのダイナマイト装填作業を行っていた。

③ 右発破作業における粉じんの発生とその曝露

右孔吹かしの際には、孔から吹き出した多量の粉じんが切羽内に広がった。

発破は岩石の破砕を行うものであるから、その際には、瞬間的に多量の粉じんが発生した。

発破の際には、削岩員は、発破後の切羽における粉じん除去を早めるため、削岩機のエアーホースを外し、吹かし放しにしておいた。しかし、この方法では、切羽のしかいはある程度きくようになったとしても、かえって粉じんが坑道全体に流れていく結果となり、切羽で発生した粉じんは、エアーホースから出る圧縮空気に流されて、途中の坑道内に充満し、作業員らの退避場所にまで流れてきた。

右①記載の発破後の確認の際には、切羽及び坑道内に浮遊する粉じんを多量に含んだ空気に曝された。

二回発破を行う場合には、十分に粉じんが沈降していない切羽において二回目の発破作業を行っていた。

(二) 堀上がり掘進作業における粉じんの発生とその曝露

(1) 堀上がり掘進作業の概要

水平坑道の天盤に上向きに「ストーパー」という削岩機で横約三メートル、縦約1.5メートルの坑道を開け、そこに人道と鉱石を落とすための漏斗を作るとともに、更に上方向に掘進していけるように人道と足場を築きながら、そのままの大きさの坑道を上向きに掘っていく作業である。

(2) 堀上がり掘進作業のための削孔作業

① 右削孔作業の概要

圧縮空気を動力源とする「ストーパー」と呼ばれる湿式の削岩機を使用して、切羽面に深さ約一メートルの孔を開ける。

② 削孔作業における粉じんの発生とその曝露

右(一)(2)②記載のレッグドリルの場合と同様、ストーパーの場合も、湿式削岩機による場合と比較すれば削孔時の粉じん発生量が減少していたが、それでもなお相当量の粉じんが発生していた。しかも、その坑道は、水平坑道の場合と違って、上向きに掘られた袋状の狭い部屋のようになっており、密室に近い状態で、通気が悪いため、発生した粉じんが切羽から容易に除去されなかった。

また、立坑の上部に掘り上がれば上がるほど、水ホースの水圧が下がり、水が上がってこないとか、水ホースが古くなると穴が開いて水漏れするなどの理由により、十分な給水がなされず、実際上湿式削岩機として使用できないこともあった。

さらに、掘り上がっていく際、「ストーパー」の排気が下向きのため、足場に溜まっていた粉じんや側壁に付着した粉じんが舞い上げられ、切羽内に浮遊した。

(3) 堀上がり掘進作業のための発破作業における粉じんの発生とその曝露

多量の粉じんが発生し、作業員がその粉じんを吸入していたことは、右(一)(3)記載の水平坑道掘進のための発破作業の場合と同様である。

(三) 堀下がり掘進作業における粉じんの発生とその曝露

(1) 堀下がり掘進作業の概要

立坑を下向きに掘り下げていく作業である。下向き削孔用削岩機で立坑の底面に下向きに削孔した後、発破し、支柱作業を行い、ズリをボケットに積み込んで搬出する。

削孔、発破の各作業の内容及び手順は、水平坑道掘進作業の場合とほぼ同様である。

(2) 堀下がり掘進作業における粉じんの発生とその曝露

掘り下がり掘進作業における削孔、発破、支柱及び運搬のための積込の各作業においても、粉じんが発生した。

4 採鉱作業における粉じんの発生とその曝露

(一) シュリンケージ採掘法における粉じんの発生とその曝露

(1) 採鉱準備作業

① 採鉱準備作業の概要

水平坑道から脇にそれる形で立入坑道を入れ、そこから上に垂直に人道を掘り上げる。その後、鉱石を抜くための漏斗を開ける。この人道や漏斗のことを「切上り」という。その大きさは、漏斗のみの切上りの場合には1.5メートル×2メートル、人道と巻き上げ機が一緒になった坑道の場合には1.5メートル×3メートル位である。

次に、水平龍頭という採鉱のための足場となる四、五メートルの厚さの岩盤を残して、中段坑道を押して(横に掘り進んで)いく。

② 切上り作業

切上り作業には、大きくわけて、「人道付き切上り」と「漏斗作り」(「袋漏斗作り」ともいう。)とがある。

ア 人道付き切上り作業

採鉱箇所の脇に人道を作っていく作業である。幅約三メートル、奥行約1.5メートルの坑道を上に切り上げていき、そのうち幅一メートルの部分に梯子をかけて人道とし、残り二メートルの部分を切上げの際に出た鉱石をためる漏斗にするという作業である。 右作業は大体二人で行い、ストーパーで上に向けて約一メートルの孔を約三〇本開け、ダイナマイトを装填して発破する。右発破の前に、人道の上に板でふたをしておき、崩れた鉱石は人道付き漏斗に落ちるようにしておく。

イ 漏斗作り

中段坑道を押す前に、先に水平龍頭の中に一定間隔(約七メートル)で鉱石を抜くための漏斗を作っておく作業である。大きさは、幅約二メートル、奥行約1.5メートルで、運搬坑道の天番から上に、水平龍頭の部分四メートル、更に中段坑道になる部分約二メートルの合計六メートルを切り上げていく。

作業手順は、ほぼ人道付き切上り作業の場合と同じであり、ストーパーで約一メートルの孔を約二〇から一五本開け、ダイナマイトを装填して発破する。崩れた鉱石はすぐには取らず、それをよじ登って中に入り、上へ切り上げていく。

③ 支柱員・運鉱員の作業

一の方が右人道付き切上り作業を行うと、二の方で支柱員が入ってくる。

支柱員は、丸太で枠を組み、人道や漏斗の周りに板を張り、梯子をかけていく。次いで、次の切上り作業ができるように、梯子の上の方にハンマーで岩盤に窪みを作り、そこに「止まり木」と呼ばれる丸太を埋め込み、更にその上に丸太と板で足場を作る。

また、漏斗作り作業のために発破をかけて後についても、支柱員が中に入り、丸太と板で足場を作る。そして、六メートル切上げた後、崩れた鉱石を運鉱員が全て運び出し、漏斗の下部に支柱員が丸太と板で蓋を作り、完成となる。

④ 切上り作業における粉じんの発生とその曝露

削孔の際に相当数の粉じんが発生し、発破の際に多量の粉じんが発生したことは、右3(二)(2)②記載の堀上がり掘進作業のための削孔作業の場合と同様である。

(2) 採鉱作業

① 採鉱作業の概要

シュリンケージ採掘法は、採掘した鉱石を足場にして更に上へ採掘していく方法であるが、発破をけけて鉱石を崩すと、容積が増えるため、適宜漏斗から鉱石を少しずつ抜いて、常に適当な作業空間を残すようにした。

漏斗で鉱石を砕いていくと、漏斗の上の部分は低く、龍頭の上の部分は高くなって、でこぼこになるため、雑夫と呼ばれる人が入って、ホッパやハコミを使って鉱石を落とし、足場をならす。

採鉱のための削孔作業(天盤打ち)にはレッグハンマーを使い、作業は一人で行った。横又は斜め上に向けて約四メートルの孔を全部で一二、三本開けた後、ダイナマイトを装着して発破をかける。

また、採鉱の際、発破のときに砕かれずに大きな鉱石が玉石として残ることがあるが、その場合には、小割発破(大きな鉱石に削孔し、ダイナマイトを詰めて発破をかけること)を行う。玉石一個につき、約二〇センチメートルの孔を一本ないし二本開ける。場所によっては、玉石がたくさん出ることもあり、四、五〇個程度の玉石が出たときには、天盤を打ち止めて、一日中小割発破だけをやることもあった。

② 採鉱作業における粉じんの発生とその曝露

採鉱場所が袋状になっており、通気が悪いため、二の方が切羽に入ったときは、発破の際に発生した粉じんが坑内に充満していた。

右小割発破のための削孔の際には、削岩機にエアーホースとウォーターホースを両方付けていると、小回りがきかないため、ウォーターホースを外して、空繰りをしていた。したがって、多量の粉じんが発生した。

(2) サブレベル・ストーピング採掘法における粉じんの発生とその曝露

各中段坑道から下向半長孔の平行削孔方式により起砕する方法である。人道切上がりから水平にサブレベルという空間を広げ、そこから自分の足場となる八メートル位の厚さの鉱石を端から順番に発破をかけて落としていく。

玉石の発生については、右(一)(2)①記載のとおりであるが、特に、サブレベル・ストーピング採掘法では、玉石が出やすいため、運鉱員が下のスクレーバー坑道において頻繁に(一日に五、六回)小割発破を行う。その際、上で作業している削岩員のところにまで、多量の粉じんが流れてくる。

5 運搬作業における粉じんの発生とその曝露

(一) 運搬作業の概要

(1) 切羽で採掘されたズリや鉱石は、切羽運搬、坑道運搬、立坑運搬又は斜坑(コンベア坑道)運搬を経て、坑外に運び出され、更に索道運搬、トラック運搬を経て、坑外の選鉱場、粉砕工場又は磁選工場に運搬される。

(2) 切羽運搬

破砕されたズリや鉱石は、手積み、ローダーによる積込み、スクラッシャー・スクレーバーによる掻込み又は鉱石の自然降下により、鉱車に入れられた。鉱車としては、約一トンの鉱石が入る規格鉱車、種々の手押し鉱車又はグランビー鉱車等が使われた。鉱石は、何回かの中継点を経て一か所に集められるが、中継には、横開け、縦開けチップラーやグランビー鉱車のように、走行中に自動的に扉の開くものが使用された。

(3) 坑道運搬

主要箇所に集められた鉱石は、機関車で列車編成にして、立坑又は斜坑の拠点に運搬された。機関車は、トロリー、バッテリーなどの電機機関車が普通であるが、内燃機関、圧縮空気、ケーブルリール等を使うこともあった。

(4) 立坑運搬

巻上げ設備によって鉱石を巻き上げるものであり、巻上げ方式には、ケージ巻きとスキップ巻きとがあった。

(5) 斜坑(コンベア坑道)運搬

ベルトコンベアを設置して、連続的に鉱石を運搬するものである。この場合も、ベルトに乗せる前の場所で、鉱石の坑内破砕を行い、粒度を揃える操作が行われた。

(二) 水平坑道掘進に伴う運搬作業の場合

(1) 右運搬作業の概要

水平坑道掘進において、削岩員が発破をかけて岩盤を爆破する作業を終えた後、運鉱員は、切羽に入り、発破で生じたズリ及び破砕鉱を取り除く作業を行った。高さ1.8メートル、幅1.5メートルの坑道を一メートル掘進することにより、積載量0.55立米の鉱車で約一二、三台分に相当する量のズリ及び破砕鉱が発生したが、運鉱員はこれを鉱車に積み込んで立坑まで運んだ。

ズリ及び破砕鉱の鉱車への積み込みは、昭和三〇年ころまでは、ホッパ、ハコミと呼ばれる道具を用いて手作業で行われていた(ハコミとズリの合計の重量は約二〇kg程度であった。また、時間は、運搬距離が三〇〇mの場合で約五分間であった。)。昭和三一年ころからは、「ローダー」という積込機が導入されたが、ローダーは幅の広い坑道でしか使うことができず、幅の狭い坑道では、同年以降もホッパ、ハコミを用いて手作業で行われていた。

(2) 右運搬作業時における粉じんの発生とその曝露等

手積みにせよ、機械積みにせよ、ズリや破砕鉱を車に積み込む際には、多量の粉じんが発生した。

一の方と二の方とに分かれて二交代で坑道掘進をする場合には、運鉱員は、一の方の作業員が上がり発破をかけてからあまり時間が経過しないうちに、多量の粉じんが浮遊する切羽の中で積込作業を行った。

積込作業をしている切羽の周辺では、切上り掘進、盤返し等粉じんを多量に発生させる作業が行われていることもあったが、その場合には、運鉱員は、他の作業によって発生した粉じんの曝露をも受けた。

なお、鉱石等は水を含むと固まる性質を有しており、鉱車等に付着して作業効率を低下させてしまうため、散水をすることはあまりなかった。

右運搬作業においては、三〇〇ないし四〇〇キログラムの重量の空の鉱車を押しながら上り勾配を登らなければならなかったため、右運搬作業はかなりの重労働であった。そのため、防じんマスクが支給されても、それを装着しないままで作業する者もいた。

(三) 採鉱に伴う運搬作業における粉じんの発生とその曝露

(1) シュリンケージ採掘法の漏斗抜き作業による粉じんの発生

シュリンケージ採掘法によって試掘された鉱石は、漏斗から抜いて鉱車に積み込まれ、堅坑まで運搬されるが、鉱石が漏斗を通過して落下する際に、多量の粉じんが発生した。すなわち、漏斗を開けると上部に溜まっていた鉱石が漏斗の下に用意された鉱車の中に一気に落下するため、まず、そこで多量の粉じんが発生した。

次いで、作業員は、鉱車からこぼれた鉱石をハコミ等を使って手作業で鉱車で積み込むが、その際にも多量の粉じんが発生した。

また、漏斗抜き作業を行っている周辺においても、他の作業員が盤返し、切上り作業、削孔作業等を行っているため、漏斗下部においては、他の作業によって発生した粉じんが流れ込んだ。

さらに、大きな鉱石が漏斗に詰まった場合に行う「貼付け発破」(粘土発破)によっても、多量の粉じんが発生した。

(2) サブレベル・ストーピング採掘法のスクレーバー作業における粉じんの発生

サブレベル・ストーピング採掘法における発破によって落下した鉱石は、下部のスクレーバー坑道において小割発破によって細かく破砕された後、スクレーバーが導入されていない坑においては、ローダーによって鉱車に積み込まれ、スクレーバーが導入されていた坑においては、それによって集石されて、グランビー鉱車へ積み込まれた。

右作業においては、スクレーバーによって鉱石を掻き集める際に、多量の粉じんが発生した。

(3) 中津川坑における漏斗抜き作業による粉じんの発生

中津川坑においては、主に褐鉄鉱を露天掘り方式によって採掘していたが、採掘した鉱石はシュートに投下され、一旦シュート下部に設けられたポケットに貯鉱された後、漏斗から鉱車に積み込まれ、坑内の運搬坑道を経由して、坑口に設置されたオアービンから坑外のシュートに投入された。

右作業は坑外作業であったが、オアービンからシュートへの褐鉄鉱の投入やシュート下部の漏斗抜き作業において、シュリンケージ採掘法の漏斗抜き作業の場合と同様、多量の粉じんが発生した。

(四) 坑道運搬、立坑運搬及び斜坑ベルトコンベア運搬における粉じんの発生

(1) 採鉱された鉱石の坑外までの運搬方法

右運搬方法は各坑によって異なり、その概要は次のとおりであった。

① 大黒坑の場合

鉱車に積み込まれた鉱石は、巻上機によって通洞坑のレベルに集められ、坑内に設置されたクラッシャーによって一次破砕された後、斜坑コンベアーによって坑外の貯鉱舎まで運搬された。

② 赤岩坑の場合

大捷坑レベルより上部から採掘された鉱石は、鉱車から集中シュートに投入され、他方、大捷坑レベルと道伸窪坑一〇二四メートル坑レベルの間から採掘された鉱石は、ドローホールあるいはスクレーバー坑道においてグランビー鉱車に積み込まれ、機関車により坑外索道貯鉱舎に運搬された。

③ 道伸窪坑の場合

一〇二四メートル坑より上部から採掘された鉱石は、各鉱画のドローホールからスクレーバー、ローダーによって鉱車に積み込まれ、機関車により牽引されて、一〇二四メートル坑と九〇〇メートル坑の間の集中シュートに集約投入された。

また、一〇二四メートル坑と九〇〇メートル坑の間から採掘された鉱石は、ドローホールから投下され、下部坑道でスクレーバーによって集石され、一旦各鉱石シュートに貯鉱された後、各シュートのビンゲートから鉱車に積み込まれ、右集中シュートに貯鉱された上部レベルから採掘された鉱石ともども、九〇〇メートル坑口近くの坑内一次破砕貯鉱舎まで運搬された。

さらに、坑内一次クラッシャーで破砕された鉱石は、ベルトコンベアーにより、坑外二次破砕室まで運搬された。

④ 中津川坑の場合

一部の鉱石は機関車により大黒坑坑外貯鉱舎に集められ、褐鉄鉱は、坑外貯鉱舎の上部において、クラッシャーで破砕された後、索道によって中津貯鉱舎に搬入された。

(2) 右運搬時の粉じんの発生

右各坑内における鉱石運搬の各過程においては、鉱石を鉱車からシュートに投入する際、ビンゲートから鉱車に積み込む際、巻上機で堅坑運搬される際、坑内で一次破砕をする際、ベルトコンベア運搬を行う際(コンベアへの積込み、コンベア継ぎ目からの落下)等において、それぞれ粉じんが発生した。

6 支保作業における粉じんの発生とその曝露

(一) 支保作業の概要

発破をかけながら坑道を掘進し、あるいは採掘していくと、岩盤に崩落のおそれのある箇所が生じることがある。このような岩盤の崩落等が起きないように、支柱材を用いて岩盤を補強し、通路を確保する作業である。

また、掘り上がり掘進及びシュリンケージ採掘法等を行う際には、漏斗を水平坑道の下部に作ったり、足場を築いたりする作業(棚張り)を行うが、これも支柱引が担当していた。

(二) 支保作業時の粉じんの発生とその曝露

岩盤に支柱を固定する作業を行う場合には、金槌様の道具を用いて岩盤に穴を穿つ(根掘り)ことになるが、その際、粉じんが発生した。

また、支柱員が作業を行う周辺においては、他の作業員の作業によって粉じんが発生していた。そのため、支柱員は、こうした周辺で発生した粉じんも吸いながら作業をしていた。

さらに、支柱員は、動力の容量不足の問題から、穴を繰る際に圧縮空気(エアー)を使うことができず、多量の粉じんが立ち込めている中での作業を余儀なくされていた。

7 坑内での修繕作業、坑内巡視作業における粉じんの曝露

坑内の各作業現場においては、粉じんが発生したり、一旦沈降・堆積した粉じんが再度空中に舞い上げられたりしていた。そのため、坑内の様々な場所で粉じんが浮遊していた。

したがって、坑内に入る作業員は、保全員や巡視係員のように、自らは発じん作業に従事する機会が少ない場合であっても、それらの作業も粉じんを吸入しながらのものとなっていた。

8 狩倉坑での露天掘作業(坑外作業)における粉じんの発生とその曝露

(一) 露天掘作業の概要

山の斜面の高さ五、六メートル、幅四メートル位の岩盤の面に、長さ約六メートル位の孔を一五本位開け、発破をかけるという作業であった。使用した削岩機はクローラドリルという大型のものであった。

(二) 粉じんの発生とその曝露

水は引かれておらず、常に空繰りしていたため、多量の粉じんが発生した。

9 三ヶ所鉱山における坑内作業の概要

湿式削岩機が支給されていた。しかしながら、ウォーターラインは設置されておらず、ウォータータンクで水を供給していたため、タンクの水がなくなると、空繰りしていた。したがって、その際には、多量の粉じんが発生した。

二  坑内の湧水・滴水と粉じんの発生

被告ニッチツは、前記第二章第三の一1(三)(1)記載のとおり、秩父鉱山の坑内における滴水及び湧水は他の鉱山に比較して多く、これらの水が坑道の天盤、側壁、床からしみ出したり、流れ出ているので、元々切羽は多くの水を含んで湿っている旨主張しており、証拠〔乙四五、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、秩父鉱山の各坑においては、湿度が八〇〜九〇%程度あり、湧水や滴水も多かったことが認められる。

しかしながら、坑内が全体的に湿度が高く、湧き水や滴水が多かったからといって、直ちに多くの切羽面が粉じんが発生し得ないほどに湿潤であったと即断することは到底できないのであって、多量の粉じんが発生する切羽が少なからず存在した可能性を否定することはできないというべきである。実際、証人北原の右証言自体、あらゆる切羽面が全て湿潤であったとまでいう趣旨のものではない。

したがって、被告ニッチツの主張する右事実のみをもって、右一の認定を覆すことはできない。

三  その他、被告ニッチツは、前記第二章第三の一及び二記載のとおり、右一認定の事実と異なる主張をしており、証拠〔乙四五、六一、証人北原、証人山田〕中には、これに沿うかのような証言等も存在する。

しかしながら、右各証言等は現場における作業者ではない管理者としての立場からの見解という意味合いが強く、その証言内容自体からしても、どれだけ作業現場の実態を把握した上での証言であるか疑問の余地が残る部分が存するといわざるを得ない(このことは、甲四五号証中に「管理職層はもっと積極的に入坑し、作業現場を認識して欲しい。」旨の記載があることからも裏付けられる。)。

したがって、右一の認定に反する部分については、これを直ちに採用することはできない(なお、一部については、右一の関係箇所において、かっこ中に判示したとおりである。)。

第六  被告菱光における労働実態と粉じん等

一  宇根鉱山における作業の概要

証拠〔甲三四、一七〇、丙五、一二、証人杉田、証人中村、亡鈴木原告本人〕及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる(ただし、当事者間に争いのない事実を含む。)。

1 グローリホール採掘

(一) 宇根鉱山においては、当初、グローリホール採掘法での採石作業が行われた。右作業の内容は、漏斗状の採掘切羽の下部において、削岩機を用いて深さ約3.6メートルの孔を下向きに削孔し、火薬を装填し、発破をするというものであった。右削孔・発破作業は、下部からだんだんと上部に移動し、採掘切羽の最上部まで行った。その後、次の削孔・発破作業の安全を確保するために、逆に上部から下部に向かって、切羽斜面にある浮き石や転石の除去作業を行い、再び切羽の下部から上部に向けて、削孔・発破作業を行うというサイクルを繰り返した。発破後の破砕された石は、自然落下して、グローリホールの底部に集められ、破砕設備を通過し、運搬坑道を経由して、坑外に搬出された。

(二) 勤務時間は午前八時から午後五時ころまでであり、標高八〇〇メートルの第一グローリホールの現場控所に着くと午前九時ころになった。その後、ダイナマイトを受け取って、切羽まで行き、削孔を行った。削孔の本数は、一人につき、一日当たり3.6メートルの深さの孔を八本位が標準であった。発破は通常一日一回であり、午後零時ころに行っていた。午前一一時四五分ころまでには全員が現場控所に待避し、午後零時の発破終了後、昼食を取り、午後一時から午後の削孔作業を行い、午後四時ころに下山した。

2 ベンチカット採掘

(一) 宇根鉱山では、その後、ベンチカット方式での採石作業が採用された。右作業の概要は、露天掘りであり、対象となる鉱床を一定の厚さ(宇根鉱山の場合は約一〇メートル)でスライスしたように、階段状に順次下方へ採掘していくというものであった。

削岩機はクローラードリルを使用して削孔し、発破をかけるという方法であった。クローラードリルによる削岩は、クローラードリルの横に立ち、削孔位置を確認しながら、レバーを操作して削孔するというものであり、孔径六五から七五ミリミートル、深さ一二メートルの孔を約七〇度の下向きで削孔した。削孔の本数は、一台につき、一日当たり五本程度であった。削孔した孔に爆薬を装填して、午後零時ないし午後零時三〇分に爆発させた。作業員は、午前一一時三〇分には午前の作業を終了して、現場控所に行き、午後一時まで休憩した。

(二) 発破によって砕かれた石灰石は、大型ホイルローダ等に積み込んで、上部斜坑まで運び、投入口から投入された。上部斜坑に投入された石灰石は、上部斜坑の底(海抜一〇三〇メートル)にある小割室のバーを通過し(そこを通過しないものは小割された。)、大塊ベルトコンベアにて下部斜坑入り口まで運ばれて、下部斜坑に投入された。下部斜坑に投入された石灰石は、下部斜坑の底(海抜五八〇メートル)にある小割室を経て、クラッシャーにかけられ、一二五ミリメートル以下に砕かれた。その後、坑内の二つのコンベアを経由して、坑外に運ばれた。

二  亡鈴木の就労状況

1 甲三四号証中には、「亡鈴木は、昭和三五年四月一〇日に高原組に入社して、被告ニッチツ経営する秩父鉱山で削岩員として働き、昭和四四年八月一五日に被告ニッチツを退社した。その後、昭和四四年九月ころに、被告菱光の請負企業である三菱建設の下請企業である金森組に入社し、昭和四五年九月までの間、被告菱光が経営する宇遠鉱山で運搬坑道掘進作業に従事し、昭和四五年一〇月から昭和六三年一一月までの間、被告菱光が経営する宇根鉱山で働いた。この間、昭和四五年一〇月から昭和五一年三月までの間は、露天掘りの採石作業(ただし、昭和四七年の約八か月間は探鉱坑道掘進作業)に、昭和五一年から昭和六三年一一月までの間は、運搬坑道内で主にベルトコンベア運転作業にそれぞれ従事していた。」旨の記載が存在する。

2 他方、被告菱光は、証拠〔丙七、一一、二一、証人杉田〕を援用して、「①昭和四四年から昭和四五年までの間に、被告菱光の宇根鉱山で坑道掘進作業を実施したことはなく、また、三菱建設が宇遠鉱山での仕事を請け負ったこともない。②昭和四七年から昭和四八年までの間に宇根鉱山で探鉱坑道掘進作業を実施したことはない。③亡鈴木は、昭和五八年以降、緑化作業等の雑作業にも従事していた。④亡鈴木は、昭和五五年二月までは、ベンチカットの露天掘り採石作業に従事していた。」と主張している。

3 そこで、亡鈴木の就労状況について検討するに、

(一) 証拠〔丙七、一一、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、宇遠鉱山は、昭和三四年二月からグローリーホール採掘を開始し、昭和四四年四月からベンチカット採掘を開始したことが認められるから、それ以前に行われているはずの運搬坑道掘進作業に、昭和四四年九月から昭和四五年九月までの間亡鈴木が従事したとする甲三四号証の記載は採用できない。

(二) 前記第二の五認定のとおり、宇根鉱山は、昭和四二年九月に開発に着手され、昭和四四年六月に第一グローリーホール完成、昭和四五年三月に第二グローリホール完成、昭和四八年一〇月にベンチカット採掘に移行、昭和五四年六月に山頂ベンチ採掘開始という手順で開発が進められたことが認められる。

そして、証拠〔丙五、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、探鉱坑道掘進作業は右各採掘開始にあたって石灰石の賦存状況を確認するなどの目的で行われたものであることが認められるから、甲三四号証に記載されているように、昭和四七年の八か月間、亡鈴木が探鉱坑道掘進作業に従事していたということはあり得ないことではないと解される。

他方、この間に探鉱坑道掘進作業が実施されていなかった旨の証人杉田の証言は、明確な裏付けのないものであり、かつ、あいまいな点も存するものであるから、甲三四号証中の右記載の信用性を覆すまでのものとはいえない。

(三) 亡鈴木が緑化作業等の雑作業に従事していたことがあることは、亡鈴木自身がその原告本人尋問中で認めていたところである。

(四) 証拠〔甲一七〇、丙二一、証人杉田、証人中村〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和五五年二月から昭和六一年ころまでの間、亡鈴木は、宇根鉱山の運搬坑道内のベルトコンベア、小割室、クラッシャー室等で作業をしていたことが認められる。

なお、証拠〔丙二一、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、亡鈴木は、昭和五五年当時、ベンチカットの露天掘り採掘作業に従事していたことが認められるから、昭和五一年から昭和六三年までの間、終始坑道内のベルトコンベア作業に従事していた旨の甲三四号証の記載は採用できない。

4 右3で検討してきたところと前掲の各証拠とを総合すると、亡鈴木は、昭和四四年ころに被告菱光の下請企業である金森組に入社し、昭和六三年一一月までの間、被告菱光が経営する宇根鉱山で働いていたこと、この間、昭和四四年から昭和四七年までの間はグローリホール切羽での削岩作業、、昭和四七年中の約八か月間は探鉱坑道掘進作業、昭和四八年から昭和五五年までの間はベンチカット切羽での削岩作業、昭和五五年から昭和六一年までの間は運搬坑道内でのベルトコンベア運転、クラッシャー室・小割室での作業、昭和六一年から昭和六三年一一月までの間は坑外での緑化作業等にそれぞれ従事してきたことが認められる。

三  亡鈴木が従事した各作業における粉じんの発生とその曝露

証拠〔甲三四、四一ないし四四、五〇、一七〇、丙五、証人杉田、証人中村、亡鈴木原告本人〕及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。

1 グローリホール切羽での削岩作業における粉じんの発生とその曝露

亡鈴木がグローリホール切羽での削岩作業に従事していた昭和四四年から昭和四七年ころまでの間、削岩機は乾式が用いられ、鉱壁維持のために水を使う以外には、水は使われていなかった。右作業は露天での作業ではあったが、削岩作業時には多量の粉じんが発生したため、作業員は相当量の粉じんに曝露した。

右作業時、亡鈴木は防じんマスクをしていなかった。

2 ベンチカット切羽での削岩作業における粉じんの発生とその曝露

ベンチカット切羽での削岩機械であるクローラードリルは、元々乾式であり、亡鈴木がベンチカット切羽で作業した当初は集塵機もついていなかった。そのため、右作業時には多量の粉じんが発生し、作業員は相当量の粉じんに曝露した。

右作業時、作業員らは、クローラードリルの近く(削孔点から二ないし三メートル)で作業していたが、防じんマスクを着けていなかった。

なお、証拠〔丙一八ないし二〇、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、その後昭和四九年にサイクロン集塵機が、次いで、昭和五二年ころから集塵機の取り付けられたクローラドリルが導入されたことが認められ、その結果、飛散粉じんがある程度減少したであろうことが推認される。しかしながら、他方、証拠〔丙二二、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和五五年、付近住民への粉じん降下防止のために、頂上ベンチカット切羽に散水車が導入されたことが認められるから、右集塵機導入後も相当量の粉じんが飛散していたことが推認される。

3 運搬坑道内での作業における粉じんの発生とその曝露

ベンチカット切羽の投入口から投下された石灰石は、斜坑底まで落下する間に落下の衝撃によって一部砕けるが、その際には粉じんが発生した。

昭和五五年ころ、投下された石灰石が小割室のバーを通過しない場合には、油圧ブレーカーで小割をし、さらには、クラッシャーで砕いて、ベルトコンベアで坑外まで搬送していたが、その破砕と運搬の過程でも粉じんが発生した。

運搬坑道内での作業自体は運転室内で行われるが、運転室外での作業やベルトコンベアの見回りの際、作業員らは粉じんに曝露した。

4 探鉱坑道掘進作業における粉じんの発生とその曝露

探鉱坑道掘進作業は幅約二メートル、高さ約1.8メートルの水平坑道を掘進する坑内作業であり、削孔・エア吹かし・発破・ズリ取りの各作業の過程で粉じんが発生した。右作業時に使用された削岩機は湿式であったが、水は使用されなかった。

右作業の際、亡鈴木は防じんマスクを使用していなかった。

第七  亡鈴木のじん肺罹患の原因(宇根鉱山における作業及び粉じん曝露とじん肺罹患との因果関係)

一  前記第一の二(七)、第五及び第六認定のとおり、亡鈴木は、被告ニッチツが経営する鉱山で約九年間働いた後、昭和四四年から約一九年間宇根鉱山で働き、その間、一時緑化作業員等の雑作業をしていた期間を除いては、粉じんの発生する作業環境において作業に従事していたことが認められる。

また、証拠〔甲三四、七四〕及び弁論の全趣旨によれば、その間、亡鈴木は、少なくとも三年間に一回位はじん肺健康診断を受けていたが、異常は認められなかったこと、及び右退職から約一年間半が経過した平成二年五月二三日に、亡鈴木は、管理区分四〔X線写真像が第2型(両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつ、じん肺による大陰影がないと認められるもの)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるもの〕の認定を受けたことがそれぞれ認められる。

ところで、前記第三の五1記載のとおり、じん肺は、粉じんに曝露されなくなっても、体内に粉じんが残っている限りは、それに対する生体反応として病状が進行するという特徴を有しているから、亡鈴木の場合にも、宇根鉱山での作業の際に吸入した粉じんはじん肺には無関係であって、被告ニッチツが経営する鉱山で稼働していた時代に吸入した粉じんのみによる症状が、ニッチツ退職後二〇年間以上経過した後に発現したということも全く考えられないことではない。

しかしながら、後記二3(一)で詳述するとおり、石灰石粉じんも、これを長期・多量に吸入した場合には、気道の炎症性変化や肺気腫の原因物質ともなり得、かつ、比較的弱いものとはいえ、じん肺の主たる症状である線維増殖性変化の原因物質となることもあり得るのである。このことと、亡鈴木の管理区分四の決定に相当する症状は、X線写真像は第2型(したがって、線維増殖性変化による結節の発生は比較的軽度)でありながら、それによる著しい肺機能の障害があるというものであって、石灰石粉じんがその原因物質の一つであるとしても矛盾しないものであること、亡鈴木の宇根鉱山での作業の期間が約一九年間という長期に及んでいること、さらには、後記二3(二)記載のとおり、宇根鉱山での石灰石採掘作業の際に発生した粉じんの中には、石灰石以外のじん肺原因物質が含まれていた可能性が否定できないことなどの諸事情を併せ考慮すると、宇根鉱山での作業中に亡鈴木が吸入した粉じんが亡鈴木の前記症状と無関係であるということはできず、被告ニッチツが経営する鉱山で稼働していた時代におけるじん肺の原因物質の吸入と相俟って、宇根鉱山での粉じんの吸入が、線維増殖性変化、気道の炎症性変化、肺気腫というじん肺固有の症状、特に後二者の発生・悪化に寄与したと認めるのが相当である。

二  被告菱光の主張について

1 これに対し、被告菱光は、前記第二章第四の一1(四)記載のとおり、次のとおりの実験結果に基づいて、石灰石はじん肺の原因物質でない旨主張している。

(一) 濃度2.3mg/m3、一日六時間、一週間五日間の条件にて、三か月間及び六か月間、埼玉県地方の石灰石粉じん(珪酸鉱物0.25パーセント含有)をラットに吸入させたという実験を行った結果、非曝露群と曝露群との間で、肺の解剖所見上病理学的差異が認められず、肺間質の線維化や腫瘍の発生も認められなかった(実験1)。

(二) 二五匹のラットの肺内に石灰石粉末を懸濁させた生理食塩水を注入した後、一、二、四、七、一〇日目に各五匹ずつ解剖して、その肺臓に石灰石粉末がどの程度残留しているかを測定した結果、肺内に残留している石灰石粉末は急激に減少することが認められ、注入七日後においては、既にその注入量のほとんどが消失していることがわかった。そして、計算により、半減期はほぼ一日であるという結果が得られた(実験2)。

(三) 細気管支ないし肺胞レベルまで到達した微細粉じんが肺胞マクロファージに異物として捕食される際、肺胞マクロファージを破壊ないし障害することが肺内の線維化と大きく関連し、それがじん肺発症に至る基本的要因であることは現在の学説上ほぼ異説がないところ、ハムスターから採取した肺胞マクロファージを使った生体外の実験〔肺胞マクロファージに四三酸化鉄を添加した各種試料を捕食させて磁化後の残留磁界を測定することにより細胞障害の有無を調べる実験及び肺胞マクロファージから放出される乳酸脱水素酵素(LDH)を測定してその細胞膜障害の有無を検出する実験〕において、武甲山から採取した吸入性石灰石粉じん(けい酸鉱物0.29パーセント含有)については、肺胞マクロファージの障害は認められなかった。また、顕微鏡による形態学的観察においても同様の結果を得た(実験3)。

(四) 埼玉県産の石灰石粉末(珪酸鉱物0.29パーセント含有)を家兎の気管内に注入する生体内の実験においても、右(三)と同様の結論を得た(実験4)。

2 証拠〔丙二〇二、二〇三、二〇四、二一七〕によれば、右1記載の各実験結果については、その方法及び結論が被告菱光主張のとおりであることが認められる。また、証拠〔丙二三〇、二三一〕によれば、その方法及び結論については、第九回国際職業性呼吸器疾患学術会議において報告されたが、参加者から特段の疑義は出されなかったことが認められる。

そして、証拠〔丙二〇二、二〇三、二〇四、二一七〕によれば、右実験結果によって示されたことは、①埼玉県地方で採取した石灰石を前記の条件でラットに吸入させたが、肺には異常がなかったこと、②右と同様の石灰石粉末のラットの肺内滞留性は低く、半減期が一日であったこと、③武甲山ないし埼玉県産の石灰石粉末には家兎の肺胞マクロファージに対する障害性がないことなどであることが認められる。すなわち、「珪酸鉱物の含有量が0.25ないし0.29パーセントの石灰石粉じんは、ラットないし家兎の肺内に線維増殖性変化を生じさせない。その理由は、石灰石粉じんがラットないし家兎の肺内での肺内滞留性が低いことと、石灰石粉じん自体が肺胞マクロファージに対する障害性がないことに求められる。」というものである。

3 しかしながら、これらの実験結果で示されたことは、いずれも、前記一で認定したところを覆すまでの事情とはいえない。その理由は次のとおりである。

(一) まず、石灰石にはマクロファージに対する障害性がないという点について検討する。

前記第二の三記載のとおり、そもそもじん肺の発生機序については未だ解明されていない部分が残っているものの、じん肺の主たる病状は肺に生じた線維増殖性変化であり、その大きな原因の一つとしては、粉じんを捕食したマクロファージの死滅等をきっかけとして、コラゲナーゼが放出され、これが線維芽細胞に作用して、コラーゲン線維の過剰増殖を引き起こすというものであることが指摘されているところである。

右の点に関して、被告菱光は、「石灰石にはマクロファージを障害する毒性はないことが実験3、4で明らかにされたから、石灰石は線維増殖性変化の原因物質とはなり得ない。」旨主張している。

しかしながら、乙八号証によれば、「マクロファージからのコラゲナーゼ放出は、毒性のあるマクロファージが粉じんによって障害されたときだけでなく、多量の粉じん貪食してその動きを抑制されたマクロファージが肺胞内に停留して、寿命によって死滅する際にも起こり得る。」旨の指摘がなされている。

したがって、石灰石粉じんの場合も、マクロファージに対する障害性が明白な珪酸鉱物(シリカ)の場合のように線維増殖性変化が顕著に認められることはないとしても、マクロファージに対する障害性に乏しいその他の粉じんの場合と同様、相対的にゆるやかな線維増殖性変化が起こることはあり得るというべきである。

さらに、乙八号証によれば、「細気管支や血管周囲結合織に沈着した粉じんが線維化をきたさずに、末梢気腔の気腫性変化を強く起こす場合もある」ことや「長期・多量の粉じん吸入は、気管クリアランス機能に多大の負荷を与え、気道の慢性炎症性変化をもたらす」ことがそれぞれ指摘されている。そして、証拠〔丙二一九、証人高橋〕及び弁論の全趣旨によれば、右の二つの変化は、線維増殖性変化のようにじん肺の主たる病状ではないが、じん肺固有の病状とされていることが認められる。したがって、石灰石粉じんは、右各変化の原因物質となることもあり得ると解される。

以上のとおりであるから、石灰石粉じんにマクロファージの障害性がないとしても、そのことをもって、そもそも石灰石粉じんがじん肺の原因物質となり得ないということはできない。

(二) 次に、石灰石粉じんがラットの体液に容易に溶解したという実験結果(実験1、2)について検討する。

確かに、前記第二の三2認定のとおり、吸入された粉じんのうち、血液等の体液に溶けやすい成分は、気道や肺胞へ沈着しても、血液等の体液に溶け込むため、じん肺の原因物質となることが少ないことが認められる。

しかしながら、人間の体液に対する石灰石粉じんの溶解度やその機序がラットのそれと同じであるといえないことは明らかである。

また、右の実験結果によっても一定程度の非溶解性は残るのであるから、これを長期かつ多量に吸入した場合や濃度や粒子の大きさが右実験と異なる粉じんを吸入した場合に、人間の肺に影響が生じないとまで即断することもできない。

しかも、右の実験に供された石灰石粉末は、現在の武甲山から採取されたものであるところ、それは、亡鈴木が実際に働いていた時期あるいは場所の粉じんと同一の組成であるともいい難い。すなわち、亡鈴木は、宇根鉱山の開発の初期のころから、グローリホールやベンチカット採掘現場での表土(丙一号証によれば、武甲山の石灰石鉱床分布地域内にはまれに厚さ数メートルに及ぶ粘土層の発達が見られることが認められる。)からの粉じんや探鉱坑道掘進の際の粉じんなど、右の実験試料とは成分の異なる可能性の高い粉じんに曝露していたと推認されるのである(これに反する証人井上誠の証言及び丙三〇号証中の記載は右認定を覆すには足りない。)。

(三) そして、右(一)及び(二)の判断は、平成一〇年度においても、日本産業衛生学会の許容濃度勧告が石灰石を第二種粉じんとしてその許容濃度を総粉じん量で四mg/m3としていること(甲一九七)、他の石灰石鉱山においても、じん肺患者が一定の割合で発生しており、最近は、行政や石灰石鉱業協会等において、石灰石鉱山でも十分なじん肺対策を講じるべきであるとの機運が高まっていること(甲一二三、一六七、一七一、一七九ないし一八八、一九五、二〇四)、及び宇根鉱山で稼働していた者の中には、亡鈴木以外にもじん肺患者が発生していること(甲一七〇)などの諸事情によっても支持され得るものである。

4 以上のとおりであるから、被告菱光の右主張は採用できない。

第八  被告らの責任

一  債務不履行責任の前提としての安全配慮義務の有無

ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間においては、当該法律関係の付随義務として、信義則上、当事者の一方又は双方が相手方に対して安全配慮義務を負うと解される(最高裁昭和四八年(オ)第三八三号昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)。

したがって、被告ニッチツは、直接の雇用契約関係にあった原告黒沢、原告田村、原告眞々田、原告小森及び亡井戸に対して、信義則上、右安全配慮義務を負っていたというべきである。

二  請負企業の従業員に対する右安全配慮義務の有無

1 一般論

右一記載のとおり、債務不履行責任の前提としての安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う付随義務として一般的に認められるべきものであるから、直接の雇用契約関係にない注文企業と請負企業等(下請企業等を含む)の従業員の場合であっても、注文企業と請負企業との間の請負契約、及び請負企業とその従業員との間の雇用契約等の複数の契約を媒介として間接的に成立した関係が、社会通念に照らして、事実上雇用契約関係に準じる関係にあると評価される場合には、注文企業も信義則上請負企業の従業員に対して右安全配慮義務を負うと解するのが相当である。

そして、右の雇用契約関係に準じる関係にあるといえるか否かについては、請負企業等の当該従業員が注文企業の実質的な支配従属関係下にあるか否かという観点から判断すべきであり、かつ、その判断にあたっては、①請負企業等が注文企業からの実質的独立性の強い企業であるか、実質的従属性の強い企業であるか、②注文企業が請負企業等の当該従業員の人事権を事実上掌握しているか否か、③請負企業等の当該従業員が注文企業から事実上の指揮命令・監督を受けているか否かなどを中心として、他に、④請負企業等の当該従業員が注文企業の指定・管理する場所で作業しているか否か、⑤請負企業等の当該従業員が注文企業の選定・供給する設備・器具等を使用して作業しているか否かなどの諸事情を考慮に入れるべきである。

2 被告ニッチツの場合

(一) 以下、被告ニッチツと組従業員原告らとの関係について、右1記載の雇用契約関係に準じる関係にあったといえるか否かを検討する。

(1) 証拠〔甲六〇、六二、乙七二、証人北原、原告小山内本人〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツの請負企業である金森組及び高原組は、秩父鉱山のある埼玉県秩父市所在の地元の中小零細業者であったことが認められるところ、このことと右(1)認定の事実及び弁論の全趣旨によれば、請負企業である金森組及び高原組は注文企業である被告ニッチツに対する実質的従属性の強い企業であったことが推認される。

(2) 証拠〔乙六八〕によれば、被告ニッチツと金森組及び高原組との間の各請負契約中には、「請負企業の従業員が被告ニッチツの定めた規則秩序に違反する等、被告ニッチツが不都合と認めて解雇を勧告した場合には、請負企業は之に従わなければならない、」旨の条項があったことが認められるから、被告ニッチツは、事実上組従業員原告らを含む請負企業の従業員の解雇権限を有しているのと同視できる状態にあったものと解される。

(3) 証拠〔甲六二、六六、乙七二、証人北原、原告小山内本人〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツの係員は、請負企業の従業員らが作業している現場をしばしば巡回し、請負企業の従業員らに対して、浮き石についての注意をしたり、ドローホールの周りの保安鉄柱にロープを張るようにと指示したりしていたこと、被告ニッチツは、直接の従業員であるか、請負企業の従業員であるかにかかわらず、安全衛生教育を施したり、無災害報告運動に参加させたり、被告ニッチツの所有する診療所において、一般健康診断及びじん肺健康診断を受けさせたりしていたこと、並びに被告ニッチツは、請負企業の従業員らに対しても、直接に、表彰状を贈呈したり、金一封を授与したりしていたことがそれぞれ認められるところ、右各事実等に照らせば、組従業員原告らは、ある程度被告ニッチツの担当者による事実上の指揮命令・監督を受けていたものと推認される。

(4) 前記第一の二1認定のとおり、組従業員原告らは、被告ニッチツの保有・管理する秩父鉱山で作業していたことが認められる。

(5) 証拠〔甲六二、乙七二、証人北原、原告小山内本人〕及び弁論の全趣旨によれば、組従業員原告らは、火薬、ヘッドランプ及びエアコンプレッサー等の設備・器具類につき、被告ニッチツ所有のものを使用して作業していたこと、並びに被告ニッチツは、削岩機及び防じんマスク等につき、請負企業である金森組及び高原組に対して、被告ニッチツと同種のものを売却するなどして、使用させていたことが認められる。

(6)  以上の諸事情を総合考慮すれば、組従業員原告らは注文企業である被告ニッチツの実質的な支配従属関係にあったと解されるから、被告ニッチツと組従業員原告らとの関係は、社会通念に照らして、事実上雇用契約関係に準じたものであったと評価するのが相当である。したがって、被告ニッチツは、直接の雇用契約関係にない組従業員原告らに対しても、信義則上右安全配慮義務を負っていたというべきである。

(二) これに対し、被告ニッチツは前記第二章第三の四記載のとおり、右(一)の判断と異なる主張をしているので、以下検討する。

(1) 被告ニッチツは、注文主から請負人の個々の従業員に対して直接に業務命令を発した場合にのみ、右安全配慮義務を認めるべきである旨主張する

しかしながら、直接に業務命令を発しておらず、請負企業を介するという形式を採っている場合であっても、事実上の指揮命令・監督権や事実上の人事権等を掌握することなどにより、個々の作業員を実質的に自己の支配従属下に置いていると評価できる場合には、社会的実態としては、直接の契約関係がある場合と何ら変わらないというべきであるから、そのような場合には、事実上雇用契約関係に準じた関係があると評価することができると解される。

なお、被告ニッチツは、直接に業務命令を発していない場合にまで右安全配慮義務を認めることは、注文者免責の原則(民法七一六条)に反することになる旨も主張するが、同条は、対等な関係にある請負人が第三者に損害を与えた場合を念頭においた規定であって、注文者が請負人の従業員を自己の支配従属下に置いており、事実上雇用契約関係に準じた関係にあると評価できるような場合についてまで、免責を認める趣旨を含むものではないと解される。

したがって、被告ニッチツの右主張は理由がない。

(2) 被告ニッチツは、種々の理由を挙げて、被告ニッチツと組従業員原告らとの間には指揮・監督関係が存在しない旨主張しており、証拠〔甲三四、六二、乙七二、証人北原、原告小山内本人〕及び弁論の全趣旨によれば、秩父鉱山においては、請負企業の個々の従業員の具体的な作業場所の割振りは請負企業が独自に行っていたことが認められる。

しかしながら、右の事実を考慮に入れたとしても、右(一)(1)ないし(5)認定の各事実に照らせば、組従業員原告らは被告ニッチツによる事実上の支配従属下にあったと評価するのが相当である(特に、右(1)及び(2)認定の各事実は、右の評価を強めるものであるといわざるを得ない。)から、被告ニッチツの右主張を採用することはできない。

3 被告菱光の場合

(一) 以下、被告菱光と亡鈴木との関係について、右1記載の雇用契約関係に準じる関係があったといえるか否かを検討する。

(1) 証拠〔丙一三、一四、二五、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、三菱建設(その前身の新菱建設)は、昭和四四年当時において資本金二〇億円の企業であり、宇根鉱山以外にも常磐炭鉱、三菱大夕張、三菱高島等の鉱山での作業を請け負い、宇根鉱山においては、被告ニッチツの請負企業である金森組に対する注文企業の立場にあったことが認められるから、被告菱光からの実質的独立性が強い企業であったことが推認される。

(2) 被告菱光が三菱建設やその下請企業の従業員に対する事実上の人事権を掌握していたと認めるに足りる証拠はない。

(3) 被告菱光の係員が、請負企業(又は下請企業)の従業員らが作業している現場を巡回した際に、請負企業(又は下請企業)の従業員らに対して直接に指示や注意をしたことを認めるに足りる証拠はない。

(4) 証拠〔丙一三、一四、二五、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告菱光と三菱建設との請負契約にあたっては、被告菱光所有の恒久的鉱山設備(電気・給水設備やベルトコンベア等)は三菱建設がこれを利用するが、それ以外の工事用資材、防じんマスク、局部扇風機等は三菱建設が調達することとされていたこと、作業場所や作業内容については、右請負契約で概要が決められていたが、それ以上の具体的内容は被告菱光と三菱建設及び金森組との間の協議で決められていたこと、並びに保安教育の費用は三菱建設が負担していたことがそれぞれ認められる。

(5)  以上の諸事情に照らせば、前記第六の二4認定のとおり、亡鈴木は被告菱光の保有・管理する宇根鉱山で粉じん作業に従事していたこと、並びに証拠〔丙二一、二二〕によって認められる諸事実(被告菱光は、「宇根鉱山ニュース」と題する社内新聞を発行し、それに作業上の注意事項等を掲載したうえで、亡鈴木を含む下請企業従業員らにも配付していたこと、被告菱光は、亡鈴木を含む下請企業の従業員らが宇根鉱山において具体的にどのような作業を行っているかを把握し、これを「宇根鉱山ニュース」に掲載していたこと、被告菱光は、下請企業の従業員らに対しても感謝状を直接贈呈していたこと)を考慮しても、被告菱光と金森組の従業員である亡鈴木との間に、雇用契約関係に準じる使用従属関係があったとまでいうことはできない。

(6)  したがって、被告菱光は、直接の雇用契約関係にない亡鈴木に対しては、債務不履行責任を発生させる前提としての安全配慮義務を負っていなかったというべきである。

(二) これに対し、原告らは、本訴では安全管理体制が問題となっているからその管理体制における被告菱光の亡鈴木に対する関係を重視すべきであるところ、宇根鉱山における安全管理の責任はすべて被告菱光にあったと主張しており、確かに、被告菱光が鉱山保安法や金属鉱山等保安規則によって宇根鉱山全体の安全体制の管理責任を負っていたことは明らかである。

しかしながら、右の責任は公法上(あるいは、後記四記載のとおり、不法行為法上)の責任であるから、右責任の存在から直ちに宇根鉱山で働く全作業員との契約関係及びそれに準じる関係を導き出すことができないことはいうまでもない。

よって、原告らの右主張は理由がない。

三  右安全配慮義務の具体的内容

1  右安全配慮義務の具体的内容については、労働者の職種、労務内容、労務提供場所、労働者の生命及び身体に及ぼす危険の内容及び程度、法令の規定等の諸事情を総合して決定すべきところ、本件のように、粉じん作業に従事したことによってじん肺に罹患したとして、安全配慮義務違反に基づいて損害賠償を求める事案においては、右安全配慮義務の具体的内容は、患者原告らが従事した粉じん作業の内容及び作業環境、じん肺の病像及び特徴、じん肺についての社会的知見及び法令の規定等の諸事情を総合考慮して決定すべきである。

そして、前記第二ないし第五認定の各事実、特に、患者原告らの作業内容及び作業環境は、相当量の粉じんが発生し、粉じんを吸入するおそれの大きいものであったこと、じん肺の基本的な特徴として、不可逆性、進行性及び全身疾患性ということが指摘されており、じん肺罹患による身体的・精神的被害は甚大であると解されること、戦前からの文献や法令の成立等により、じん肺が粉じんを吸入することによって生じる疾病であり、それに対してどのような防止措置を講じることが必要かということについて、相当程度の社会的知見が得られていたことなどの諸事情に照らせば、被告ニッチツは、設立時の昭和二五年八月以降、患者原告らに対する右安全配慮義務として、患者原告らをじん肺に罹患させないようにするため、又は不幸にしてじん肺に罹患してしまった場合には、それを増悪させないようにするために、総合的なじん肺防止対策を実施すべき義務を負っていたと解するのが相当である。

2 前記第四認定のじん肺についての社会的知見及び法令の規定等に照らせば、右のような意味におけるじん肺防止対策の具体的な方法としては、およそ次のようなものが挙げられる。

(一) 作業環境の管理に関するもの

(1) 粉じん防止対策の前提として、当該作業環境における有害かつ吸入性の粉じんの有無及び濃度を定期的に測定し、その測定結果に基づいて、じん肺罹患に関する安全性の観点から、当該作業環境の状態を評価すること。

(2) 粉じんの発生・飛散を抑制するために、次の措置を講じること。

① 削孔の際は、湿式削岩機を使用し、かつ、それが十分に機能を発揮し得るように、十分な水を確保するとともに、湿式削岩機本来の使用法を徹底すべく、労働者を監督・指導すること。

② 粉じんが発生する作業場においては、十分な散水及び噴霧を行うこと。

③ 発生した粉じんの希釈・除去のため、適切な通気・換気の措置を講じること。

(二) 作業条件の管理に関するもの

有害粉じんが労働者の体内に侵入することを防止するため、

(1) 長時間労働しなければ最低賃金を確保できないようなことのないように、賃金水準を確保しつつ、労働時間を短縮したり、休憩時間を確保したりすること。

(2) 有効かつ装着に適したマスク等の保護具やその交換部品を随時支給し、それが十分に機能を発揮できるように管理するとともに、その装着を徹底すべく、労働者を指導・監督すること。

(三) 労働者の健康管理に関するもの

(1) 労働者自身が、じん肺発生のメカニズム、有害性及び危険性を認識し、じん肺の予防措置やじん肺に罹患した場合の適切な処置を自ら主体的に行う意識を高めるため、定期的・計画的な安全衛生教育を行うこと。

(2) じん肺罹患者を早期に発見し、適切な治療を受けられるようにするため、労働者に対し、定期的に、エックス線検査を含む健康診断を受けさせることはもとより、じん肺専門医による特別な検査を労働者にもれなく受けさせること。

(3) じん肺に罹患した場合には、その旨を直ちに通知し、それ以上症状を悪化させないため、非粉じん作業への配置転換をしたり、療養の機会を十分に保障するなどの事後的措置を講じること。

3  右2記載の各対策については、その内容が技術的・医学的に絶えず向上しているものであるから、その向上を前提として、総合的かつ適切な実施されるべきものであり、そうすることが右安全配慮義務の内容となっていたというべきである。

粉じんという微粒物体に対して万全の防御対策を講じることは多くの困難を伴うものではあるけれども、前記のように、労働者の作業環境が必然的に粉じん発生を伴うものであることとそれによる被害が不可逆的かつ重大であることに照らすと、使用者側としては、当該労働者との関係では、いかに困難を伴うとはいえ、できる限りの有効な諸措置を講じることが信義則上要請されていると解される。

4  右2記載の各対策は、その目的からして、じん肺防止のための総合的方策として理解されるべきものであり、その一つ一つを独立の義務とまで解するべきではない。

すなわち、右各方策のうちの特定の一つを実施しなかったからといって、直ちに右安全配慮義務の不履行があったと即断することは相当でない反面、右各方策の全てをある程度ずつ実施したからといって、直ちに右安全配慮義務を履行したと即断することも相当ではない。

結局のところ、右1記載の総合的なじん肺防止対策という観点から、右各方策の実施状況を右3に記載したところに照らして評価し、これが十分なものであると認められる場合にのみ、右安全配慮義務を履行したものと評価すべきである。

四  不法行為責任の前提としての安全配慮義務

1  右二3(一)記載の結論は、債務不履行責任を発生させる前提としての安全配慮義務についてのものであり、不法行為責任を発生させる前提としての注意義務(不法行為法上の安全配慮義務)については、別途検討する必要がある。

すなわち、前記第二の五及び第六記載のとおり、被告菱光が三菱建設に請け負わせた作業の内容は、鉱山における粉じん作業を含むものであって、じん肺罹患という作業者の生命・健康に対する重大な危険を内包しているものであったことが認められること、鉱山保安法及び金属鉱山等保安規則は、鉱業権者をして、直接の雇用契約関係にあるか否かにかかわらず、当該鉱山で就労する全ての鉱山労働者との関係において、鉱山労働者に対する危害の防止と鉱害の防止等の目的のために、各種の義務を負わせているところ、同法及び同規則は、公法上の取締規定であるとはいえ、鉱山における作業の危険性に着目して、鉱業権者の責任において、全ての鉱山労働者の生命・健康を守ろうとの趣旨をも含むものであると解されるから、私法上の一般的注意義務、不法行為上の注意義務)の存否を判断するにあたっても、同法の趣旨は十分に尊重する必要があるというべきであること、並びに右二3(一)(5)記載の諸事情等に照らせば、被告菱光は、直接の雇用契約関係にない亡鈴木に対しても、信義則上、不法行為責任を発生させる前提としての注意義務(不法行為法上の安全配慮義務)を負っていたと解するのが相当である。

2  そして、右1記載の不法行為法上の安全配慮義務の具体的内容は、右三記載の債務不履行責任を発生させる前提としての安全配慮義務の場合と同様のものであるというべきである。

五  被告ニッチツの安全配慮義務履行の有無

1 作業環境の管理に関するもの

(一) 粉じんの有無・濃度の定期的測定、個別の作業環境の状態の評価

(1) 証拠〔乙四五、証人北原、証人山田〕中には、粉じん測定を行った旨の証言等が存するが、被告ニッチツは、通気については測定結果を記載した資料(乙四九の一、二)を提出しているのに対し、粉じん測定については、これを裏付ける客観的資料を全く提出していない上、測定結果についての証言内容もあいまいであることなどからして、右各証言等が存在するからといって、被告ニッチツがじん肺防止のための資料を得る目的で定期的に粉じん測定を行っていたと認めることはできない。

また、仮に被告ニッチツが坑内の粉じん量の測定を行っていたとしても、右証言等の内容自体からして、それが各作業場毎に個別的に測定を行ったというものではなかったことは明らかである。

したがって、いずれにしても、被告ニッチツは、各作業現場毎の粉じん量の測定結果を得ていなかったことになるから、粉じん量の測定を前提として個別の作業環境の状態を評価するということも実施してはいなかったことが推認される。

(2) これに対し、被告ニッチツは、当時の測定器の性能等からして、正確な粉じん濃度の測定は元々不可能であった旨証言しており、証拠〔乙四五、証人北原〕中には、それに沿うかのような証言等もある。

しかしながら、証拠〔甲三六、三八、四〇、五〇、一〇六、一〇八ないし一一〇、一一二、一一五、一二一、一二五、一二六、一二八、一五六、一六六〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和二三年には、粉じん取締りのための基準として、粉じん許容度に関する労働省通牒が出されたこと、昭和二九年には、労働者珪肺対策審議会の中間答申において、粉じん抑制目標限度(遊離珪酸含有率との関連で粉じんをどの程度まで減らすべきかに関するもの)が提示されたこと、昭和四〇年には、日本産業衛生学会により、粉じん許容濃度についての勧告が出されたこと、昭和二五年ころまでには、計数法、重量法及び間接法等の粉じん濃度測定法とともに、粉研式コニメーター、労研式じん埃計及びチンダロスコープ等の粉じん濃度測定器が導入・製作されていたことがそれぞれ認められる。また、右各証拠及び右各事実等によれば、粉じん濃度測定にあたっては、種々の誤差要因があって、決して簡単とはいえないものの、これらの誤差も器械の整備・保守及び測定者の工夫や訓練等によってある程度まで小さくすることが可能であったことが推認される。

以上によれば、じん肺防止措置を実施する前提として、また、実施したじん肺防止対策の効果を検証するために、できる限りの資料を得る必要のあった被告ニッチツとしては、右当時においても、各作業場毎に個別的に粉じん濃度の測定を行って、可能な限り正確な粉じん濃度の資料を得るべきであったというべきである。

よって、被告ニッチツの右主張を採用することはできない。

(二) 粉じんの発生・飛散の抑制措置

(1) 湿式削岩機の使用

前記第五の一認定のとおり、被告ニッチツにおいては、削岩機として、水平削孔用等にはレッグドリルが、上向き削孔用にはストーパーがそれぞれ使用されていたが、それらは、被告ニッチツが設立された昭和二五年八月当時から湿式化されていたことが認められる。

しかしながら、前記第五の一認定のとおり、右各湿式削岩機の現実の使用に際しては、給水が十分でなかったり、水を使用すると不都合が生じたり、湿式で使用することについての指導が徹底されていなかったりしたため、水を使用しないで空繰りすることもあったなど、湿式削岩機使用の効果を十分に発揮できない状況もあったことが認められる。

また、証拠〔甲一二六、一二七、二〇四、乙四七〕によれば、湿式削岩機に対する給水量としては、給水量一〜三リットル/分の範囲では、給水量の増加とともに粉じんが減少する旨の指摘がなされているにもかかわらず、証拠〔乙四五〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツは、給水量につき、1.5〜二リットル/分を標準にするように指導していたことが認められる。

(2) 散水・噴霧

証拠〔乙四〇、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツの保安規定上、散水については、「粉じんの飛散が著しいときは、散水による発じん防止……を行うこと。」と規定されており、ホースによって散水することが予定されていたこと、及びときには、坑内係員が巡視する際、作業員らに対し、散水について注意をしたこともあったことが認められる。

しかしながら、証拠〔甲三〇、三二、乙四五、証人北原、証人山田、原告黒沢本人、原告眞々田本人〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツが想定していた散水は、一分間に二リットル程度の水量で二、三分間撤く程度であり、また、水を撤く場所についても、これから掘り進んでいく岩盤面のみに撤くというものであったこと、及び被告ニッチツの散水についての重要性の認識不足から、作業員一般に散水の必要性についての意識が十分に浸透しておらず、係員による注意も十分な効果を発揮することはなく、実際には、右のような散水すら十分に行われないことも少なくなかったことが認められる。

また、証拠〔甲一一五、一二一、一二七、一三〇、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、一般的には、ホースによる散水よりも、スプレーによる散水の方が粉じん抑制効果が大きいことが指摘されているにもかかわらず、被告ニッチツは、一時期ウォータースプレーの実験を試みたことがあるものの、結局はウォータースプレーを採用しなかったことが認められる。

(3) 通気・換気

① 証拠〔甲四、三〇、四九、乙四五、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、坑内通気の方法には、坑内と坑外の温度差、坑口の高低差(気圧差)等によって生じる空気の流れに基づいて、全坑道にわたる系統的な通気を考える「自然通気」と、局部扇風機等の機械によって、強制的に空気を送る「機械通気」とがあること、秩父鉱山における坑内通気の方法は、自然通気を基本として、自然の通気が通り難い場所についてのみ機械通気を行うといものであったこと、秩父鉱山においては、主要扇風機は、昭和四二年三月ころになって、道伸窪坑に一台設置されただけであって、他の各坑には設置されていなかったこと、及び局部扇風機は、道伸窪坑に四台、赤岩坑に一台設置されただけであったこと(ただし、春や秋の通気停滞時期には、大黒坑においても、一部局部扇風機が設置されたこともあった。)がそれぞれ認められる。

他方、証拠〔甲四、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、自然通気では、局地的に通気の悪い場所が残り得ること、自然通気は、それが主として坑内外の温度差によるものであるから、その差の少ない春秋には、通気力が減少して、ときには無風又は逆流状態になるなど、通気が極めて不安定であるという欠点を持っていること、そのため、坑内の換気を自然換気のみに頼ることは相当ではなく、自然換気は補助的な手段としか用いるべきではないとの指摘がなされていることが認められる。

したがって、仮に秩父鉱山において、ある程度自然通気が順調に行われていたとしても、鉱山全体の通気・換気対策としては、不十分であったといわざるを得ない。

② 証拠〔甲四、一一五、一二一、一二八、乙三六、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、機械による通気方法としては、二重通気法(押出、吹出併用〕、押出通気法及び吹出通気法等があり、二重通気法(押出、吹出併用)が欠点のない最良の方法であることが指摘されているが、秩父鉱山においては、二重通気法(押出、吹出併用)は採用されておらず、押出通気法が採用されていたことが認められる。

③ 証拠〔甲三〇、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツが設置した局部扇風機は、切羽の正面に風を吹き付け、その風が坑道を通って粉じんを運び出すという仕組になっていたため、付着した粉じんを舞い上がらせて、作業員をして、粉じんを含んだ風に曝させる結果となってしまっていたこと、及び粉じんを含む排気を運ぶ風管の出口は人道に向けられていたため、粉じんが人道に拡散する結果となってしまっていたことが推認される。

④ 証拠〔甲一二六ないし一二八〕によれば、粉じん対策としての通気の速度については、有害に粉じんを運び出すのに十分なものでなければならないと同時に、堆積粉じんを浮揚させるほどに早くてはならず、具体的にはおよそ秒速0.8mないし1.2m程度が適切な速度であって、秒速1.5mを超えないようにしなければならないと指摘されていることが認められる。

他方、証拠〔乙三六、四一、四九の一、証人北原〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和三九年に道伸窪坑の一五か所において測定した坑内通気の状況は、次のとおりであったことが認められる。

ア 分速八〇m(秒速1.33m)

イ 分速9.6m(秒速0.16m)

ウ 分速四四m(秒速0.73m)

エ 分速三二m(秒速0.53m)

オ 分速9.0m(秒速0.15m)

カ 分速四六m(秒速0.76m)

キ 分速4.8m(秒速0.08m)

ク 分速四八m(秒速0.8m)

ケ 分速五二m(秒速0.86m)

コ 分速三五m(秒速0.58m)

サ 分速七六m(秒速1.26m)

シ 分速8.4m(秒速0.14m)

ス 分速五〇m(秒速0.83m)

セ 分速三〇m(秒速0.5m)

ソ 分速八八m(秒速1.46m)

また、証拠〔乙四九の二〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和四二年に赤岩坑の各所において測定した坑内通気の測定値の中には、次のような数値が存在していたことが認められる。

ア 分速一三三m(秒速2.21m)

イ 分速一五六m(秒速2.6m)

ウ 分速一五五m(秒速2.58m)

エ 分速一八八m(秒速3.13m)

オ 分速一三二m(秒速2.2m)

カ 分速一四八m(秒速2.46m)

キ 分速一五八m(秒速2.63m)

ク 分速二一六m(秒速3.6m)

右各事実によれば、秩父鉱山においては、浮遊粉じんを運び去るには遅すぎるか、あるいは堆積粉じんを浮揚させるほどに速く、粉じん対策のための通気速度としては、適切でない場所が少なからず存在していたことが認められる。

(4) 集塵装置の設置

① 被告ニッチツが秩父鉱山の坑内に集塵装置を設置していなかったことは、当事者間に争いがない。

② これに対し、被告ニッチツは、坑道が複雑に入り組んでいることや範囲や広大であることから、坑内に集塵装置を設置することは技術的に不可能であった旨主張している。

しかしながら、証拠〔甲三六、五〇、一〇九、一一五、一二五、一二六、一二八、一三〇、一三七、乙三六〕によれば、既に昭和三〇年代には、坑内でも使用し得る集塵装置が紹介されていたこと認められる。

よって、被告ニッチツの右主張は採用することができない。

2 作業条件の管理

(一) 労働時間の短縮等

(1) 労働時間の短縮

証拠〔甲四五、四七、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツは、トラブルによって発破ができなかった場合や、計画された出鉱量が確保できなかったときなどに、作業員らに残業をさせており、実際には、赤岩坑以外の各坑においては、一日平均二時間程度の残業が常態化していたことが認められる。

(2) 賃金水準の確保

証拠〔甲四七、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツにおける給与形態は、昭和四四年六月ころ以前は本番制であったが、同月ころ以降、業績給制が導入されたこと、及び右業績給制は、作業区分に応じてあらかじめ決められている単価と実際の作業量とによって給与が決定されるというものであったことが認められる。

右のような業績給制の下では、作業をすればするほど給与が増えることになり、勢い労働時間の長時間化を招くことになるから、粉じん曝露の時間を短縮してじん肺を防止するという観点からは問題があったといわざるを得ない。

(二) 防じんマスクの支給・管理

(1) 証拠〔甲五六、一〇四、一〇九、一一五、一二六、一四二、一四三、乙三三、四五、五二、五八の1、2、6、7、六一、八一、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

① 戦後、防じんマスクの必要性の高まりの中で、昭和二五年一二月に防じんマスクの国家検定制度が施行され、昭和二八年にJISが制定され、昭和三〇年には改正JISを採用した新しい国家検定制度が制定された。

昭和二五年の旧規格が、第一種マスクの粉じん捕集効率を九〇%以上、第二種を六〇%以上とするだけの簡単なものであったのに対し、昭和三〇年の改正規格においては、マスクを高濃度粉じん用と低濃度粉じん用とに分け、それを更に一種、二種、三種、四種に分け、それぞれについて、粉じん捕集効率と吸気抵抗とを定めた。その具体的数値は、高濃度粉じん用、低濃度粉じん用ともに、一種は、粉じん捕集効率が九五%以上、二種が九〇%以上、三種が七五%以上、四種が六〇%以上であった。

昭和三七年に規格が改正されて、マスクが特級、一級、二級に分けられた。その具体的な数値は、特級が濾じん効率九九%以上、一級が九五%以上、二級が八〇%以上であった。

② 被告ニッチツは、昭和二五、六年ころ以降、秩父鉱山で坑内作業に従事する作業員らに対して防じんマスクを支給しており、患者原告らに対しても防じんマスクを支給していた。また、請負企業の従業員については、被告ニッチツが同種の防じんマスクを請負企業に売却し、請負企業がその従業員らに支給していた。

③ 被告ニッチツは、防じんマスクの選定にあたって、実際に現場作業員の代表者数名ずつに一〜二か月間試着させ、その意見も聞いた上で、保安委員会で最終的に決定していた。

④ 秩父鉱山において被告ニッチツが作業員のために選定・支給していた防じんマスクの種類は別紙三(ニッチツ支給マスク一覧表)記載のとおりであり、二級のマスクしか支給されなかった作業員も相当数存在した。

⑤ 被告ニッチツは、防じんマスクの交換について、マスク本体の使用期間を半年から一年に一個とし、右期間が経過すれば新しいマスクを支給することとし、かつ、右期間内であっても、破損したり、不具合があって使用できなくなったときは、いつでも担当係員に申し出れば新しいマスクと交換することとしていた。他方、付属部品については、使用期間を定めず、破損したり、使用しにくくなったときは、いつでも担当係員に申し出れば新品と交換することとしていた。

⑥ 患者原告らは、削岩・発破等の多量の粉じんが発生する作業においては、おおむねマスクを着用していたものの、作業中にフィルターが詰まって、マスクをしていると息苦しくなったことや、後記(3)記載のとおり、被告ニッチツによる防じんマスク着用の必要性についての教育が不十分であったことなどから、ゴムひもを緩めて作業をすることが多かった。また、人道付き切上りの掘削作業や運鉱作業等の重労働作業については、マスクをしないで行っていた者も存在した。

(2) 証拠〔甲一四一〕によれば、防じんマスクを着用したとしても、着用者の顔面への密着性が悪い場合には、防じんマスクと顔面との隙間から空気が侵入し、集じん率において、著しいもので三〇%を超える差異が発生することがあること、及びそのような事態を防止するため、防じんマスクを配付するにあたっては、着用者各人に密着性をテストさせるべきであるとの指摘がなされていることが認められるところ、弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツは、右テストを各個人に対しては行っていなかったことが認められる。

(これに対し、被告ニッチツは、前記第二章第三の二2(一)(4)記載のとおり、各作業員に対して、装着性テストを行った旨主張しているが、これを認めるに足りる証拠はない。)。

(3) 証拠〔甲三〇、五六、一二六、一二八、一四二、一四六、乙四〇、四一、四五、六一、八一、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告ニッチツは、マスク着用に関し、「ほこりを吸わないようにマスクを付けなさい」という一応の指導は行ったものの、じん肺罹患の危険性との関連での指導・教育を十分には行わなかったこと、マスク配付時に、作業員らに対して、一緒に説明書を交付したものの、細かい使用上の注意等は行わなかったこと、防じんマスクの濾じん効率は長時間の使用等によって低下するものであるから、その適切な管理が重要である旨が指摘されており、秩父工業所保安規定(乙四〇)二一二条にも、「管理責任者は、防じんマスクを定期的に検査し、不良品の交換、及び部品の取替え等を行わなければならない。」と規定されていたこと、それにもかかわらず、実際には、被告ニッチツは、マスクの管理・点検を各作業員の自主的判断に任せており、各作業員からの申出があった場合に交換・取替えに応じていただけであったことが認められる。

これに対し、被告ニッチツは、前記第二章第三の二2(一)(2)①記載のとおり、昭和四二年ころに、女子従業員を各職場に配置して、マスクを洗浄させるなどの集団管理方式を採用した旨主張しており、証拠〔証人北原〕中にはそれに沿うかのごとき証言が存在する。しかしながら、右証言自体非常にあいまいなものであるし、仮にそのような措置を講じたことがあったとしても、右証言の内容からしても、それは一時的なものにすぎず、しかも、一つ一つの防じんマスクの濾じん効率が低下していないかを組織的に検査するような十分なものでなかったことが推認される。したがって、被告ニッチツの右主張をもって、被告ニッチツが防じんマスクについて十分な管理体制を整えていたと評価することはできない。

また、被告ニッチツは、前記第二章第三の二2(一)(6)記載のとおり、機会あるごとに厳しくマスクを着用するように指導してきた旨主張しているが、仮にそのような指導をしていたとしても、各作業員らがじん肺の病理機序や症状・特質、及びじん肺の予防や粉じん対策についての十分な知識を有していない場合には、それが励行されないという事態が十分に予想され得るところ、被告ニッチツが各作業員らに対して十分なじん肺教育を行ってこなかったことは後記3(一)(1)認定のとおりである。したがって、被告ニッチツの右主張をもって、被告ニッチツが防じんマスクの着用について十分な指導を行ったと評価することはできない。

3 労働者の健康管理

(一) じん肺についての安全衛生教育

証拠〔甲三二、乙四五、証人北原、証人山田、原告黒沢本人〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1) 被告ニッチツは、作業員の採用時に、一通りの安全・保安教育を実施しており、その中の一部には、じん肺安全教育に関するものも含まれていた。

また、配属後は、日常の業務遂行の中で、係員や先輩作業員から技術面を中心とした指導・教育が行われたが、その中には防じんマスクの着用、湿式での削岩、撤水等のじん肺防止に関する事項も含まれていた。

しかしながら、実際には、係員自身、じん肺の病理機序や症状・特質、じん肺の予防や粉じん対策、じん肺罹患後の医療や補償制度、じん肺に関する法制度等のじん肺に関する十分な知識を有していなかったため、必然的に、係員らによる一般の作業員らに対する右の教育も十分なものではなかった。

(2) 被告ニッチツは、毎年各一回の保安週間や衛生週間等の際に、鉱業労働防止協会が作成した粉じんに関するパンフレット、スライド及び映画等を作業員らに見せるといったことを行っていた。

(二) 定期的なじん肺健康診断等

証拠〔乙一、二、三七、四五、八一、証人北原、証人山田〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1) じん肺健康診断の実施及び診断結果の通知

被告ニッチツは、けい肺等臨時措置法の施行後、毎年一回定期健康診断(レントゲン検査を含む。)を実施し、じん肺健康診断を実施してきた。また、被告ニッチツは、自己の所有する診療所を提供して、請負企業の従業員らに対しても、定期健康診断及びじん肺健康診断を受診させてきた。

しかしながら、被告ニッチツは、じん肺健康診断実施後、労働基準局長からじん肺管理区分二以上の決定があった場合にのみ、当該作業員に対して、口頭で(ただし、昭和五二年八月以降は書面で)、結果のみを通知していたが、それ以上に、医師からの個別的な説明等、じん肺患者に対するじん肺増悪防止及び療養上必要な知識の提供はなされていなかった。

4  まとめ

以上検討してきたところを総合考慮すると、被告ニッチツは、昭和二五年以降、患者原告らが秩父鉱山等被告ニッチツ所有の鉱山で就労していたそれぞれの時期において、じん肺防止措置を講じるべき必要があることをある程度は認識し、一応のじん肺防止措置を講じてきたことは認められるものの、被告ニッチツが実施してきた具体的な各措置を右三記載の基準(総合的なじん肺防止対策として、できる限りの有効な諸措置を講じるべきこと)に照らして評価すると、それらが十分なものであったとは到底言い難いといわざるを得ない。

したがって、被告ニッチツが患者原告らに対する安全配慮義務を完全に履行したとはいえないと解される。

六  被告菱光の安全配慮義務懈怠の有無

1 作業環境の管理

(一) 粉じんの有無・濃度の定期的測定、当該作業環境の状態の評価

証拠〔丙五、二八、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、宇根鉱山においては、昭和四八年ころは労研式の測定器にて、昭和五一年ころからはデジタル式測定器にて、粉じんの測定が行われていたことが認められる。

しかしながら、甲一七〇号証中の記載に照らすと、右の測定が粉じんが発生している作業中のものであるか否かについては疑問が残るといわざるを得ない。

しかも、右測定の資料が被告菱光側に丙二八号証しか残されていないことなどに照らすと、これらの測定は粉じん抑制を目的として恒常的に行われてはいなかったことが推認される。

(二) 粉じんの発生・飛散の抑制措置

前記第六の三認定のとおり、亡鈴木が作業していた当時のグローリホール切羽で使用された削岩機は乾式であったこと、探鉱坑道掘進作業で使用された削岩機は湿式であったが、水を使用しない限り空繰りであり、散水もほとんど行われていなかったこと、及びベンチカット切羽でも、亡鈴木が稼働中は、散水車による散水が行われていなかったことがそれぞれ認められる。

(三) 飛散・浮遊粉じんの除去措置

(1) 証拠〔丙五、一三の1、2、二五、二六、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、昭和四三、四四年ころ、被告菱光が宇根鉱山における坑内作業を請負に出した際、局部扇風機の設置が指示されていたこと、昭和五〇年に宇根鉱山で坑内工事をした際、被告菱光が請負企業である三菱建設に対して工事中の局部通気の保全に務めるように指示し、現に通気設備が設置されていたことがそれぞれ認められる。右各事実と証拠〔丙五、証人杉田〕とを併せ考慮すると、亡鈴木が探鉱坑道掘進作業をしていた昭和四七年当時及び亡鈴木が坑内運搬作業をしていた昭和五五年以降において、宇根鉱山では通気設備が設置されていたと認められる。

しかしながら、前記五1(二)(3)記載のとおり、粉じん除去を目的とした通気措置については、坑内全体の構造と粉じん除去の場所等に応じて通気設備の設置場所や風速等を細かく調整する必要があるところ、右(一)記載のとおり、被告菱光は、その前提としての粉じん測定を十分には行っておらず、また、風速の測定を行っていたとの証拠も存しないから、右の各通気設備が粉じんの除去にどの程度有効であったかが明らかでない。

これらの諸事情に照らすと、右各通気設備の機能がその当時の技術水準からみて十分なものであったとは認め難い。

(2) 証拠〔丙五、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告菱光は、昭和四四年ころ、グローリーホール採掘の坑内の二つの破砕設備付近に、集塵機を各一台設置したこと、昭和四八年ころ、大塊ベルトコンベア運転室付近に、集塵機を一台設置したことがそれぞれ認められる。

しかしながら、証拠〔甲三四、証人中村〕及び弁論の全趣旨によれば、右各集塵機は飛散・浮遊粉塵の除去に十分有効なものではなかったと認められる。

2 作業条件の管理

(一) 粉じん吸入曝露の機会の減少

甲三四号証によれば、亡鈴木の宇根鉱山稼働中の賃金は出来高制であったため、労働時間が長くなる傾向があったことが認められる。

なお、原告らが主張するような「毎日残業をしなければならなかった」とまで認めるに足りる証拠はないが、証拠〔証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、需要の増大時には残業が行われ、亡鈴木もそれに従って働いていたことが認められる。

したがって、被告菱光は、粉じん曝露の時間を短縮するための措置を講じていなかったというべきである。

(二) 粉じん吸入の阻止

証拠〔丙五、一三の1、2、一四の1、証人杉田〕によれば、昭和四三、四四年当時において、被告菱光が宇根鉱山における坑内掘進作業を請負に出す際、防じんマスクが用意されていたが、それらのマスクは、昭和五九年ころまでの間、二級のサカイ式一一七型のみであったこと、屋外での削岩作業の際には、マスクを着けていない作業員が多かったが、マスク着用についての指導は特になされていなかったことがそれぞれ認められる。

なお、右二3(一)(4)認定のとおり、防じんマスクについては、右請負契約の際に請負会社の方で調達することとされていたが、宇根鉱山での安全管理義務を負う被告菱光としては、防じんマスクの選定について、その時点における最高水準のものを用いるように指示すべきであり、被告菱光は、粉じん吸入の阻止の点においても、十分な措置を講じていなかったというべきである。

3 労働者の健康管理等

証拠〔甲三四、証人杉田〕及び弁論の全趣旨によれば、被告菱光は、自らあるいは下請会社の者をして、亡鈴木に対するじん肺に関する教育をあまり行わなかったことが認められる(杉田証人に対してさえ、じん肺に関する教育は新入社員教育の際の一時間程度であり、その内容も多量に吸えば問題があるという程度のものであった。)。

また、右2(二)認定のとおり、防じんマスクの着用についての指導・教育も不十分であったことが認められる。

しかし、被告菱光がじん肺についての定期的健康診断を実施しなかったこと及び健康診断の結果を本人に告知しなかったことを認めるに足りる証拠はない。

4  まとめ

以上検討してきたところを総合考慮すると、被告菱光は、亡鈴木が宇根鉱山で就労していた時期において、じん肺防止措置を講じるべき必要があることをある程度は認識し、一応のじん肺防止措置を講じてきたことは認められるものの、被告菱光が実施してきた具体的な各措置を右三1及び四記載の基準(総合的なじん肺防止対策として、できる限りの有効な諸措置を講じるべきこと)に照らして評価すると、それらが十分なものであったとは到底言い難いといわざるを得ない。したがって、被告菱光は、亡鈴木に対する不法行為法上の安全配慮義務を懈怠していたというべきである。

七  被告ニッチツの帰責事由

1 過失責任

前記第四及び右五記載の諸事情を総合考慮すれば、被告ニッチツには、昭和二五年八月の設立以降、患者原告らに対する安全配慮義務を履行しなかったことについて、過失があったというべきである。

2 故意責任

右五記載のとおり、被告ニッチツは、昭和二五年八月の設立以降、じん肺防止措置を講じるべき必要があることをある程度は認識し、不十分であったとはいえ、湿式削岩機の導入、ウォーターラインの敷設、防じんマスクの支給等、一応のじん肺防止措置を講じてきたことが認められるから、患者原告らがじん肺に罹患することを被告ニッチツが認容していたとまではいえない。

八  被告菱光の帰責事由

1 過失責任

前記第七の二3(三)記載のように、日本産業衛生学会が終始石灰石を第二種粉じんとしてその許容濃度の勧告をしていること、石灰石鉱山においてもじん肺患者の発生が報告されじん肺対策の必要性が指摘されていたこと、並びに前記第四及び右六記載の諸事情を総合考慮すれば、昭和四四年から昭和六三年までの時点において、宇根鉱山においても、右三記載の総合的なじん肺防止方策を講じなければ、作業員中にじん肺に罹患する者が出るであろうことは十分に予見可能であったと認められる。

よって、被告菱光には、亡鈴木に対する安全配慮義務を履行しなかったことについて、過失があったというべきである。

2 故意責任

右六記載のとおり、被告菱光は、じん肺防止措置を講じるべき必要があることをある程度は認識し、不十分であったとはいえ、局部扇風機の設置、集塵機の設置、防じんマスクの支給等、一応のじん肺防止措置を講じてきたことが認められるから、亡鈴木がじん肺に罹患することを被告菱光が認容していたとまではいえない。

九  被告らの責任の成立

1 被告ニッチツの債務不履行責任の成立

右五及び七1で検討してきたところによれば、被告ニッチツは、患者原告らに対する安全配慮義務の不履行について、債務不履行責任が成立する。

2 被告菱光の不法行為責任の成立

右六及び八1で検討してきたところによれば、被告菱光には、亡鈴木に対する安全配慮義務を怠ったことについて、不法行為責任が成立する。

第九  因果関係及び被告らの責任の範囲

一  原告黒沢、原告田村、原告眞々田及び原告小森の場合

1  前記第一の二1及び第二認定の右各原告らの鉱山における職歴、右各原告らが粉じん作業に従事していた際に採掘していた鉱物の種類、及び前記第八記載の諸事情等に照らせば、日窒鉱業開発及び被告ニッチツによる各債務不履行が相俟って右各原告らのじん肺罹患を惹起させたものと推認するのが相当である。

2  そして、右1のような場合、不法行為の場合の被害者保護との均衡上、債務不履行責任についても、共同不法行為についての民法七一九条一項の規定が類推適用されると解すべきである。

したがって、被告ニッチツは、民法七一九条一項の類推適用により、右各原告らがじん肺に罹患したことによって被った損害全部の賠償をすべき義務があるというべきである。

二  原告土屋の場合

1 右一と同様の理由により、日窒鉱業開発、金森組及び被告ニッチツによる各債務不履行が相俟って原告土屋のじん肺罹患を惹起させたものと推認するのが相当である。

2 そして、右一2の記載で検討したところは、右1の場合にもそのまま当てはまるというべきである。

したがって、被告ニッチツは、民法七一九条一項の類推適用により、原告土屋がじん肺に罹患したことによって被った損害全部の賠償をすべき義務があるというべきである。

三  原告小山内及び亡北平の場合

1 右一1と同様の理由により、高原組及び被告ニッチツによる各債務不履行が相俟って原告小山内及び亡北平のじん肺罹患を惹起させたものと推認するのが相当である。

2 そして、右一2記載で検討したところは、右1の場合にもそのまま当てはまるというべきである。

したがって、被告ニッチツは、民法七一九条一項の類推適用により、原告小山内及び亡北平がじん肺に罹患したことによって被った損害全部の賠償をすべき義務があるというべきである。

四  亡鈴木の場合

1  前記第七の一及び第八記載の諸事情等に照らせば、高原組及び被告ニッチツによる各債務不履行、並びに金森組、三菱建設及び被告菱光による各不法行為が相俟って、亡鈴木のじん肺罹患を惹起させたものと推認するのが相当である。

2  そして、右一2記載で検討したところは、右1の場合(債務不履行と不法行為との競合の場合)にもそのまま当てはまるというべきである。

そうすると、被告ニッチツ及び被告菱光は、民法七一九条一項の類推適用により、各自、亡鈴木がじん肺に罹患したことによって被った損害全部の賠償をすべき義務があるというべきである。

五  亡井戸の場合

右一と同様の理由により、被告ニッチツによる債務不履行が亡井戸のじん肺罹患を惹起させたものと推認するのが相当である。

六  寄与度の主張について

被告ニッチツは、前記第二章第五の三記載のとおり、「患者原告らの損害賠償債務については、加害企業間で、寄与度に応じて分配されるべきである。」旨主張している。

しかしながら、仮に寄与度による損害賠償額の分配を認めるとしても、右一ないし三及び五記載のとおり、患者原告らについては民法七一九条一項が類推適用される以上、具体的な寄与度の割合については被告ニッチツに主張・立証責任があると解されるところ、前記第三の三及び五記載のじん肺の特徴等からして、加害企業間の具体的な寄与度を確定することは一般に困難であるというべきであり、実際、本件の場合にも、被告ニッチツは右の点についての具体的な主張・立証を行っていない。

したがって、そもそも寄与度による損害賠償額の分配を認めるか否かにつき判断を加えるまでもなく、被告ニッチツの右主張を採用することはできない。

七  被告ニッチツ設立前の損害賠償債務の不承継の主張について

被告ニッチツは、「日窒鉱業開発と被告ニッチツとは全くの別法人であるから、被告ニッチツ設立前の損害賠償債務は承継されない。」旨主張している。

しかしながら、右一ないし六記載のとおり、被告ニッチツ設立前の損害賠償債務を承継するか否かに関わりなく、民法七一九条一項の類推適用により、被告ニッチツは患者原告らがじん肺に罹患したことによって被った損害全部の賠償をすべき義務があるというべきであるから、右主張につき特に判断を加える必要はないと解される。

第一〇  患者原告らの健康被害

一  管理区分と健康被害の程度との関係

1 後記第一一の一2記載のとおり、じん肺については、現じん肺法により、行政上の管理区分決定制度が設けられている。すなわち、医師によるじん肺診断の結果に基づく決定申請及びじん肺審査医の診断を経て、じん肺有所見者と認められた者については、じん肺法上のじん肺管理区分が決定され、右管理区分に応じた健康管理の措置が採られ、次いで、労災保険法による公的給付がなされている。このように、じん肺管理区分は、基本的には行政上の健康管理のための区分という性格を有するものである。

しかしながら、後記第一一の一2記載のとおり、管理区分は、公定の診断方法に基づいて、専門家が診断したところにより、行政機関が決定したものであるから、当該じん肺患者の当該時点における健康被害の程度を評価するための指標としても、その信頼性は高いと解される。

したがって、患者原告らの健康被害の程度を評価するにあたっては、個々の患者原告らの病歴及び具体的症状等とともに、じん肺法上の管理区分が一つの重要な目安とされるべきである。

2 なお、被告ニッチツは、前記第二章第三の六2記載のとおり、「管理区分の決定は、健康管理に関する行政上の基準区分にすぎず、個々の労働者の症状や労働能力低下の程度と無関係なものであるから、民事上の損害賠償額算定の基準たり得ない。」旨主張しているところ、じん肺管理区分から、直ちに個々の労働者の症状や労働能力低下の程度を認定したり、直ちに損害賠償額を算定したりすることができないことは、被告ニッチツの主張するとおりである。

しかしながら、他方で、右1記載のとおり、じん肺管理区分は、当該じん肺患者の当該時点における健康管理の程度を評価するための指標としての信頼性も高いと解されるのであるから、個々のじん肺患者の健康被害の程度を評価するにあたって、個々の患者の病歴及び具体的症状等とともに、じん肺管理区分を一つの重要な目安とすることは、医学的に見ても相当な方法であるというべきである。

二  個々の患者原告らの病歴及び具体的症状等

証拠〔甲三四、七七、七八、八八、九〇ないし九六、二〇〇、原告黒沢本人、原告田村本人、原告眞々田、原告小山内、原告井戸、原告北平〕及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1 原告黒沢

被告ニッチツを退社した後、横井造園で働いていたころ(昭和四二年一一月〜昭和四六年)、大きな岩を持ち上げるときに、息切れを感じるようになった。

昭和五〇年ころ以降、咳や痰が出るようになり、坂道を歩くと少し息切れを感じるようになった。

昭和五二年ころ、だるさや疲れを感じるようになり、冬に一週間ほど咳が止まらなくなった。

昭和五六年ころ、風邪をひいて、一か月以上も治らず、咳や痰が一〇日間以上も続き、粘った煤色の痰が出るようになり、量も増えてきた。

昭和五九年ころになると、平坦な道を歩くときにも少し息切れを感じるようになり、仕事を続けるのが辛くなってきた。

昭和六三年八月ころ、肺結核を患い、五か月間程、県立小原病院に入院した。その後、薬で治療を続けた結果、平成四年に肺結核は治ったが、現在も結核の薬を飲んでいる。

最近の症状としては、咳は、夜布団に入って身体が暖まってきたときや朝起きたときによく出る。昼間でも、冷気を吸い込んだりすると、咳が出て止まらなくなることがある。風邪をひいたときには、咳が何日も泊まらなくなることがある。痰は季節に関係なく、毎日出る。特に、朝起きたときが多く、親指大位の大きさの灰色っぽい痰が出る。

階段や坂道などは続けて上がると息切れがしてしまうため、駅の階段を上るときには、途中で休まなければならない。平坦な道でも、二〇〇メートル位歩くと、少し息切れを感じる。

平成八年一月初めころ、風邪をひき、三月ころまで治らなかった。風邪は、年に五、六回ひき、長いときは一、二か月間治らないことがある。

夜中に発作を起こして、目を覚ますこともある。最近では、平成七年一二月、平成八年二月、三月、五月、一二月、平成九年一月に、発作を起こした。夜八時半ころに、床に就いたが、しばらくして身体が暖まってくると、喉が「ゼイゼイ」言い出して、咳が出始めた。普段は、夜中に咳が出ても、吸引機(ネブライザー)を使うと徐々に治まってくるが、発作が起きると、吸入をしても咳が止まらなくなる。そのようなときは、寝ていると、胸が押されるような感じがしてかえって苦しいので、仕方なく、こたつに入り、オーバーを被ってうつぶせになり、朝までうとうととしながら、発作が治まるのを待つしかない。発作が起きると、たいていは三日間、長いときで五日間位、そのような症状が続く。

平成五年一二月と平成六年三月には、風邪をひいて肺炎を併発し、熱と咳に苦しんだ。そのため、このころから、車に携帯用酸素ボンベを積み、苦しくなったら吸うようにしている。

現在、病院は月に一回通い、また、毎日、朝と夕方に、ネブライザー使って吸入している。

盆栽が好きで、鉢植えを育ててきたが、じん肺の症状が進み、鉢植えを持ち上げただけで息切れを感じるようになったため、六、七年前から、盆栽いじりもほとんどできなくなった。また、魚釣りも好きで、よく川に釣りに出かけていたが、坂道を登ると息切れがするため、昭和六〇年ころからは、釣りにも行けなくなった。

最近では、肺機能も落ち、動悸や頭痛、めまいも時々感じるようになっている。

2 原告田村

昭和五〇年ころから、少し身体を動かすと疲れやすくなり、朝晩には咳や痰が出るようになった。階段を一気に登ろうとすると、息切れが酷くなり、休み休みでなければ登れなくなった。

じん肺管理区分四の決定を受けた昭和五八年一二月以降、一年間ほど、滋賀県の長浜赤十字病院にかかり、昭和五九年一一月ころ以降、秩父生協病院に通院している。当初は毎日のように通院しているが、しばらくして落ち着いてきたため、現在は重い発作が起きたときを除いては、月に一回定期的に通院している。

現在の主な病状は、およそ次のとおりである。

(一) 咳・痰

咳や痰は毎日のように出る。昔は青っぽい痰であったが、最近は黒っぽい痰である。痰に血が混じっていることもよくあり、通常は三、四日で治まるが、痰のために通院したことも四、五回ある。痰を取るのに、ティッシュペーパーの箱が二日でなくなることもあり、風邪のときにはもっと早くなくなる。毎朝、痰が詰まるため、午前四時ころには目が覚める。

(二) 発作

急に発作が起きて、息苦しくなることがある。心臓がドキドキと早く打つようになったかと思うと、息が吐けないような感じになって、まるで水の中で息を止めているように胸が苦しくなる。発作が起きるのは、夜九時過ぎであったり、真夜中であったり、明け方であったりとまちまちであるが、夜に起こることがほとんどである。発作が起きたときには、ネブライザーで薬を吸入する。そして、身体を前にかがめるように座り、安静にして、ゆっくり呼吸をする。これで発作が治まることもあるが、治まらないことも多く、治まらないときには、救急車を呼んだり、家族に車を運転してもらったりして、病院に駆け込む。当初は、夜に発作が起きて病院に行くことはほとんどなかったが、昭和六三年ころ以降、夜に発作が出るようになり、平成八年には、年に四、五回、夜に発作が起きて病院に駆け込んだことがあった。発作を起こして目の前が真っ暗になり、一瞬意識を失ったようになったことも、今までに二回あった。

(三) 風邪・肺炎

冬は風邪をひきやすく、一旦風邪をひくと治るのに半月から一か月ほどもかかり、少しでも発熱すると、疲れやすくなるし、痰が詰まりやすくなるため、暖かい季節よりも一層身体にこたえる。風邪が悪化して、肺炎を起こすこともよくある。平成五年ころ以降、肺炎で入院するようになり、早近では、肺炎のために、平成六年六月ころに一一日間、平成七年一月ころに一日間、平成八年五月ころに一二日間、秩父生協病院に入院した。

(四) 日常生活への影響

当初は階段を登るのが困難な程度であったが、今は、坂道も休み休みでなければ歩けなくなり、平らな道をゆっくり歩いても、五〇〇メートルも歩くと苦しくなるようになった。わずか五〇〇メートルの距離を歩くのに、三〇分間もかかるようになった。道を歩いているときに、息切れがして、道路にしゃがみこんだことも、五、六回あった。平成七年には、秩父駅から家に帰るときに、バスが発車しそうだったため、バス停までの平らな道をわずか三〇メートルほど走ったことがあったが、バスに乗ってしばらくしたころに、発作が起きて苦しくなり、目の前が真っ暗になって、しゃがみこんだことがあった。平成六年ころに、近くの川原に庭いじり用の玉石を拾いにいき、両手で簡単に持てそうな五キログラム位の手頃な石があったので持って帰ろうと思い、拾おうとしてしゃがみこんだ際、突然息切れがして、全く持ち上げることができなかったこともあった。したがって、好きな庭いじりや植木作業も思うようにできない状態である。頻繁に発作が起きるため、今は、風呂に入るときにも、苦しくなったときに家族を呼ぶことができるように、戸を半分開けて入るようにしている。最近では、道を歩いていても、発作が起きるのではないかと思うと、一人で外出するのが不安でたまらない。京都や熊本にいる兄弟のところを訪ねるということも、発作が怖いので、この三年間はしていない。

3 原告土屋

昭和五八年三月ころには、風邪をひきやすく、発熱して寝込むことが多くなっていた。咳や痰にも悩まされた。ひどいときには、白い固まりのような痰を吐いていた。

現在の症状としては、昼夜を問わず咳き込み、痰が出ると喉に詰まるので、目に涙を浮かべながら、顔面を真っ赤にして苦しむことになる。平成三年八月に脳出血で倒れてからは、自分では寝返りを打つこともできないので、咳き込むときは、体力を非常に消耗する。咳が治まった後も、二〇ないし三〇分間位、息の荒い状態が続く。発熱も、月に二、三回あり、38.5度以上の高熱が二、三日間続く。

4 原告眞々田

昭和三五、六年ころ以降、咳や真っ黒い痰がよく出るようになった。

昭和四九年ころ、よく風邪をひくようになった。

現在の症状としては、咳や痰がよく出る。夜寝てから、咳き込んで目が覚めることがしばしばあり、冬の寒い日は特にひどい。朝三時か四時ころのことが多く、一度咳き込むと、それが一時間以上続く。その間に、痰も五、六回位出る。咳き込むときや痰を吐くときに、胸がチクチクと痛むこともある。そのようなときには、起きあがってお茶を飲むと少し楽になり、喘息のときに使う吸入器で吸入をすることもある。結局、目が完全に覚めてしまい、そのまま朝まで起きていることになる。夜だけでなく、昼間にも、咳や痰がよく出て、一年中風邪をひいているような状況が続いている。一度ひいた風邪はなかなか治らない。

最近は、駅の階段を上るときや、同じ年代の人と歩いているときでも、すぐに息切れがしたり、呼吸が苦しくなったりする。ちょっとした坂道でも、少し歩くと、しばらく休まないと、息苦しくて歩けない。また、息を吸うのに、吸い込みづらく、苦しいと感じることもよくある。

平成四年七月からは、秩父生協病院に、月一回位の割合で定期的に通院している。

5 原告小森

昭和三八年ころから、息が切れたり、胸が苦しくなったりした。

昭和五六年以降、喘や息切れがひどくなって、夜も十分に眠れなくなった。

昭和五九年九月一八日、管理区分四の認定を受けた。その結果、自宅に酸素吸入の機械が入り、酸素吸入が可能になったので、何とか夜眠れるようになった。

現在の症状としては、一日三回位は痰が詰まる。特に、朝と夜中はひどい。気候の変わり目は、咳もひどく、身体がきつい。風邪もひきやすい。夜寝ているときの九時間と昼息苦しいときには、一キロの圧力の酸素を吸入する。

平成八年には、秩父生協病院に四回入院した。一階の入院期間は、一か月間から二か月間位であった。いずれも、夜に呼吸困難に陥って、救急車で病院に運び込まれたものであった。

最近は、いつ呼吸困難になるか不安なため、通院以外にはほとんど外出しないようになってしまっている。

6 原告小山内

昭和五二年ころから、風邪をひきやすく、治りにくいとか、坂道を歩いていると、息苦しくなるなど、体調が悪くなっていると感じるようになった。身体がだるく、咳や痰が一日中出ることもあった。

昭和五四年一二月、風邪が悪化して肺炎になり、秩父生協病院で診察してもらったところ、結核症であると診断された。そこで、昭和五五年三月末ころに、埼玉県立小原療養所に入院したが、その当時は、夜中にも咳や痰が出て、起きてしまう状態であった。昭和五七年五月ころには、少し結核の症状が改善したため、同療養所を退院することになった。しかし、退院後も息苦しい、咳や痰が出るなどの症状は変わらず、体調も思わしくなかった。その後も、月に一回位、同療養所に通院しながら治療を続け、療養に努めていた。

現在の症状としては、呼吸が苦しく、息切れが頻繁に起きる。平坦な道を歩くだけでも、ゆっくりしか歩けず、距離的にも、せいぜい一〇〇〜二〇〇メートル位までしか、続けては歩けない。それも途中でかなり息切れがして、「ハア、ハア」と言いながら歩くという状態である。多少でも傾斜のある坂道になると、歩いている途中で呼吸が止まりそうになる。特に、階段を登るのは本当に苦しく、休み休みゆっくりと時間をかけて、手すりなどにつかまらないと上れない。そのため、用事のないときは、ほとんど部屋にこもりきりの生活である。

夜中寝ていても、呼吸が苦しくなって、目が覚めることがある。調子の悪いときは、人と話をすることさえ、息切れしてしまってできなくなることが頻繁にある。アパートのトイレ(部屋から一〇メートル位のところにある。)に行ったり、棚の物を取るだけでも、息切れして、一休みしないと呼吸が整わない。椅子などに座っていて、立ち上がるだけでも、息苦しさを感じる。そのため、息切れがしない立ち上がり方(手を椅子等に着いて、ゆっくりと肺に負担をかけないようにして、そろそろと立ち上がる。)をするようになり、最近では、この立ち上がり方に慣れてしまい、意識しないうちにそうしているような状態である。

最近、咳がひどくなり、寒い季節や朝には、特によく咳が出る。

7 亡鈴木

昭和五七年ころ以降、体調が悪くて仕事に行けず、家で横になっていることがときどきあったが、昭和六三年一一月に退職してからは、咳や痰がよく出るようになり、仕事ができずに自宅で生活していた。夜中に、咳がひどくて起き出し、水を飲むなどして咳が治まるのを待つということが、一晩に三度も四度もあることもあった。夜よく眠れないため、昼間もよく寝ていたが、横になると苦しいので、座ったままの姿勢で、椅子にもたれたり、テーブルに上半身を伏せたりして、眠ることもあった。息切れがひどく、外出をするとしんどいので、病院に行くとき以外にほとんど外出をしなくなった。

平成二年五月以降、秩父生協病院への通院を続けたが、息切れ、咳及び痰に苦しめられた。

平成五年一二月には、風邪をひいて三九度の熱を出し、秩父生協病院に行った際、そこで身体が動けなくなってそのまま入院し、一週間退院できなかったこともあった。その入院中の咳は本当にひどいもので、人に手を借りないと歩けないほどであった。

本件訴訟提起後の平成六年夏以降、症状が悪化したため、同年九月七日には秩父病院に入院したが、その際、肺癌を合併していることが判明した。そのころには、息切れがひどく、咳もかなりひどかった。痰が切れなくて、苦しむこともよくあった。ベッドに身体を伸ばして仰向けに寝ていることができないほどに苦しいため、ベッドの上に座ったり、身体を横にしたりして、苦痛に耐えていた。夜はほとんど眠れず、その分、昼に少し楽になったときに、ウトウトしていることがよくあった。歩くこともできなくなり、診察室への移動などは、車椅子を使うようになり、それ以外は、部屋の中のトイレを使うときに二、三歩歩くだけで、ずっとベッドから離れられなくなった。酸素吸入は一日中続けていたが、それでも息をするのが苦しく辛く、ひどく咳き込むこともあった。

同年九月一二日、癌の治療のため、埼玉医大病院に転院した。常時酸素吸入を受けており、息苦しいため、会話を長い時間することはできないほどであった。歩行もできないほどになった。激しく咳込むことも多く、夜も苦しくて眠れない日々が続いた。

結局、本件訴訟における原告本人尋問を受けてから間もない平成六年一一月二六日に死亡した。

8 亡井戸

昭和五〇年ころ、国立労災病院珪肺センターに入院した。

入院してしばらくたったころ、「気胸」という病気に罹患した。約六か月間の間、息を吸うことも吐くことも困難な状態が続き、肺の下に穴を開けて管を差し込み、機械で空気を抜く措置を施した。それを一昼夜二四時間続けるため、眠ることさえできなかった。その後、少しずつ回復に向かったが、肺活量は低下するばかりであり、それ以降、外泊は一切許されなくなった。

少しでも風邪をひくと、咳をし、痰を出し、最後には血痰を吐くほどになった。なるべく自分の力で呼吸をするように努力したが、どうにも息苦しいときには、鼻に管を入れて酸素吸入をした。

日を追うとともに体力がなくなり、平成二年一二月ころには、まともに歩けない状態になって、外出も一切禁止された。じん肺も悪化していき、次第に、家族に「もう俺は駄目だ。」と言うようになった。夜と昼となく、咳と痰に苦しめられ、食べものも喉を通らなくなり、咳のための夜目が覚めることもしばしばあった。

平成三年四月ころからは、状態が更に悪くなって、鼻に管を入れて酸素吸入をし、点滴をするために足と胸に管を入れ、尿を出すために尿道にも管を入れて、がんじがらめの状態になった。

結局、一四年間の闘病生活の末、平成三年五月四日に死亡した。

9 亡北平

昭和五七年五月、珪肺労災病院に入院した。その後、風邪をひくと、呼吸が苦しくなり、命にかかわるため、病室から外に出なくなり、散歩すらほとんどしなくなった。

死亡する前の半年間余りは、じっとして酸素を吸入していても、呼吸をするのが辛いような状態であった。横になると呼吸ができないため、常にベッドに腰をかけており、眠るときにさえ、腰をかけた姿勢で眠っていた。

昭和六〇年三月一〇日、入院後一度も退院することなく、同病院で死亡した。

第一一  消滅時効

一  消滅時効の起算点について

1 じん肺の特徴

まず、じん肺罹患を理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点を判断するには、じん肺という病状の特徴を検討しなければならないが、前記第三認定のとおり、その機序及び特徴はおよそ次のとおりである。

(一) その機序は、粉じんが肺内に沈着すると、肺組織が長い年月をかけてこれを細胞内部に取り込む線維化と呼ばれる生体反応を続け、やがて肺胞腔内の線維が結節となり、最後には融合して手拳大の塊になるというものである。

(二) その病変は不可逆的であり、現在の医学ではじん肺そのものに対する治療は不可能である。

(三) 肺内に粉じんが存在する限り右反応が継続するところ、肺の線維増殖性変化は、粉じんの量に対応する進行であり、無限の進行ではないが、粉じんが発生する職場を離れた後、長い年月を経て、初めてじん肺の所見が発現することも少なくない。

(四) 外形的な症状が出ていない場合でも、不可逆的に進行する病状の一定段階に達していることがあり得る。

(五) 進行の程度及び速度は多様であるが、進行する場合の予後は不良であり、心肺機能障害が乏酸素血症を招き、また肺感染症を合併し、あるいは肺性心を招いて、死に至りやすいといわれている。

2 管理区分の意義について

次に、後記3記載のとおり、じん肺罹患を理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点を判断するにあたっては、管理区分が重要な意味を持ってくるので、管理区分の意義について以下検討する。

(一) 昭和三〇年七月二九日に、けい特法が制定され、けい肺第一症度からけい肺第四症度までのけい肺の症状を決定する手続が定められた。

昭和三五年三月三一日に、旧じん肺法が制定され、エックス線写真像、心肺機能検査の結果、結核精密検査の結果、胸部に関する臨床検査の結果の組合わせによる管理一から管理四までの「健康管理の区分」を決定する手続が定められ、更に昭和五二年七月一日に同法が改正(現じん肺法)され、エックス線写真と肺機能障害の組合わせによる、管理一から管理四までの「じん肺管理区分」を決定する手続が定められた。

エックス線写真像については、両肺野にじん肺による粒状影または不整形陰影が少数あり、かつ大陰影がないと認められるものを第一型、両肺野にじん肺による粒状影または不整形陰影が多数あり、かつ大陰影がないと認められるものを第二型、両肺野にじん肺による粒状影または不整形陰影が極めて多数あり、かつ大陰影がないと認められるものを第三型、大陰影があると認められるものを第四型とすると規定されている。

(二) じん肺管理区分については、じん肺の所見がないと認められるものを管理一、エックス線写真像が第一型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理二、エックス線写真像が第二型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三イ、エックス線写真像が第三型または第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る)で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三ロ、エックス線写真像が第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る)と認められるもの、またはエックス線写真像が第一型、第二型、第三型または第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるものを管理四としている。

管理区分の決定は、事業者が被用者の健康管理を行うことを目的として、都道府県労働基準局長がなす行政処分である。すなわち、管理一は、じん肺の無所見者であって、就業上の特段の制約措置はないが、管理二及び管理三イの者は粉じん曝露の逓減措置が、管理三イ・ロの者は作業転換措置が、それぞれ要請される。管理二及び管理三の者が、法定の合併症を併発した場合と管理四の者は要療養とされる。

右の各要請は、現じん肺法によって事業者に課せられた義務であり、逆にいえば、元々管理区分とは、事業者に右の各要請を課すための基準を示すためのものであって、それ以上の意味を持つ区分ではない。このことは、歴史的にも裏付けることができる。すなわち、けい特法においては、右の区分が「症度」すなわち「症状の重さ」を基準として決定されていたが、医学的にじん肺の症状を明確にすることが難しいことと、本人が病状そのものを指摘された場合に、不治の病という心理的影響が過大になりかねないとの配慮等から、現じん肺法においては、区分は、病状ではなく、健康管理の指標として決定されるようになったのである(乙八)。

管理区分決定で、「要療養」とされた場合、原則的に業務上疾病と認められて保険給付が行われるが、これは法律上当然になされるものではない。保険給付を行うか否かの処分は、労災保険法に基づいて労働基準監督署長が決定するものであって、管理区分の決定とは別個のものである。運用上、現じん肺法と労災保険法の取扱がリンクされているにすぎない(乙五の一)。

また、管理四の決定を受けた者は、療養のために必要な所定の療養補償給付を受けるが、必ずしも併せて休業補償給付を受けることにはならない。「療養」とは必ずしも休業を伴うものだけでなく、就業しながらの治療も含まれるものであり、これらの判断は、それぞれのじん肺症の程度及び症状にしたがって、医師の意見のもとに適正に行われるべきものである(乙五の一)。

以上検討してきたところからすると、管理区分の決定は、症状そのものの決定ではなく、健康管理のための指標の決定であるということができる。

(三) さらに、管理四について検討するに、管理四とは「エックス線写真像が第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る)と認められるもの、またはエックス線写真像が第一型、第二型、第三型または第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるもの」というものであるが、前者、すなわちエックス線写真像が第四型と認められながら、自覚症状を訴えない症例もあり、また、管理四の決定を受けてからの症状の進行もきわめて多様である。

実際、患者原告らの中においても、管理四の決定を受けてから一四年以上経過している者(原告黒沢、原告小森)、一五年以上経過している者(原告田村)、管理四の決定後四年弱で死亡した者(亡北平)、管理四の決定後四年半で死亡した者(亡鈴木)、管理四の決定後一四年強経過後に死亡した者(亡井戸)等、その経過は全く一様ではない。

3 じん肺罹患を理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点について

(一)  雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の期間は、民法一六七条一項により一〇年であり、右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきである。

(二)(1)  ところで、身体に何らかの被害を受ける形態での損害は、通常その被害の態様や程度あるいはそれが治癒した場合の後遺症等が医学的に特定できるから、その被害の時あるいは後遺症の固定の時に損害が発生したと見ることができる。

(2)  ところが、右1記載のとおり、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り、その肺内の粉じん量に対応して進行し続けるという特異な進行性の疾患であって、外形的な症状が出ていない場合でも、不可逆的に進行する病状の一定段階に達していることがあり得るし、それに対する対策を怠れば、不可避的により重度の段階に移行し、最終的には死に至ることが多いという特徴を有している。しかも、粉じん自体は直径数ミクロン以下の非常に小さなものであるから、エックス線写真で見ることはできず、線維化や肺気腫等がある程度進行して初めてそれらがエックス線写真で見ることができるようになる。

右のようなじん肺の特殊性からすると、じん肺被害の発生を外形的に捉えるためには、行政上の管理区分の決定に頼らざるを得ないし、逆に、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時には、不可逆的な進行性疾患であるじん肺の症状が一定の段階に達したことが外形的にも明らかになったのであるから、少なくとも損害の一部が発生したものということができる。

(3)  しかしながら、右(2)で述べたことから、じん肺に罹患した患者の病状が進行し、より重い行政上の決定を受けた場合やじん肺が原因で死亡した場合においても、重い決定に相当する病状に基づく損害や死亡に基づく損害が最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたということはできない。その理由は、前記のじん肺の特殊性等からして、次のようなことが指摘できるからである。

①  仮に全く同じ量の粉じんが肺内に吸入された場合であっても、外形的に病状を観察する(エックス線写真等を用いて医学的に診断することを含む。)限りにおいては、いつ観察を行うかによって、管理二又は管理三に相当する病状にとどまっているように見える者もいれば、最も重い管理四に相当する病状まで進行したように見える者、あるいは更に進行して死亡するに至った者もいるということになる。しかも、当該観察時における肺内の残存粉じん量は分からないから、その進行の有無、程度及び速度を医学的に確定することはできない。

②  病状が進行する場合であっても、粉じんの所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてから、より重い決定を受けるまで、あるいは死亡するまでの各経過年数は、数年から二〇年以上など多様であって、その進行の程度及び速度は各患者によって様々である。

③  そうすると、例えば、管理二、管理三、管理四と順次行政上の決定を受けた場合、あるいはその後に死亡した場合には、事後的に見ると、一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないように見えるものの、このような経過の中で、特定の時点の病状を捉えるならば、その病状が今後どの程度まで進行するのか、いつ死に至るのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することができない。

④  したがって、管理二の行政上の決定を受けた時点において、管理三又は管理四に相当する病状に基づく損害や死亡に基づく損害の賠償を求めることはもとより不可能であり、また、管理四の行政上の決定を受けた時点において、死亡に基づく損害の賠償を求めることも不可能である。

(4)  このようなじん肺の病変の特殊性等に鑑みると、管理二、管理三、管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害及びその後の死亡に基づく損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ない。

(5)  よって、重い決定に相当する病状に基づく損害あるいは死亡に基づく損害は、その決定を受けた時あるいは死亡の時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、最初の軽い行政上の決定を受けた時点において、その後の重い決定に相当する病状に基づく全損害が発生したとみることや、最終の行政上の決定を受けた時点において、死亡に相当する損害が発生したとみることは、じん肺という疾病の実態に反するものとして、是認することはできない。

(6)  以上検討してきたところによれば、雇用者の安全配慮義務違反によってじん肺に罹患したこと、あるいはそれが原因で死亡したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効については、各管理区分に相当する病状に基づく各損害あるいは死亡による損害につき、それぞれ、各管理区分決定の時あるいは死亡の時から時効が進行すると解するのが相当である。

(三)  右(二)の判断のうち、管理二、管理三、管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害には質的に異なるものがあるとの部分は、最高裁判所の判決(最高裁平成元年(オ)第一六六七号平成六年二月二二日第三小法廷判決・民集四八巻二号四四一頁参照)において既に指摘されているところであるが、その後の死亡に基づく損害が管理二ないし四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害と質的に異なるとの部分は、右判決において明示的には触れられていないところである。そこで、以下、その理由を敷衍して述べることとする。

本訴において原告らが請求している損害賠償請求権は精神的損害に対する慰謝料に関するものであるから、ある患者が管理二ないし四の行政上の決定を受けた時点における精神的損害の内容を具体的に検討するに、それは、右の決定を受けるまでに既に発生している具体的な精神的損害(肺機能の障害や合併症による精神的苦痛等)と、前記のような不可逆的な進行性疾患の一定段階に位置付けられたことによる精神的苦痛とをその構成要素としているということができる。このうち、後者は、じん肺が最終的には死に至る可能性の高い治療法のない進行性疾患であるところから、その一定段階に位置づけられたこと自体が将来にわたって進行する事態を予測させるため、その精神的苦痛を内容としている。しかし、それはあくまでも将来の予測的事態をその時点で評価しているものであって、将来の損害そのものを先取りしているものではない。これを更に具体的に見てみると、例えば、管理二の行政上の決定を受けた患者の精神的損害は、①その時点までの具体的な経過の中での精神的苦痛と、②管理二の行政上の決定を受けたことにより将来さらに重い管理三、四さらに死亡までの事態が予測されることによる精神的苦痛をその内容とする。そして、管理三の行政上の決定を受けた患者の精神的損害は、管理二から管理三の決定までの間に既に発生した精神的苦痛と、管理三の行政上の決定を受けたことにより将来の重い管理四の決定ないし死までが予測されることによる精神的苦痛とをその内容とする。そのうち、前者は、管理二の行政上の決定を受けた時点で予測された事態(右②のように予測された事態)が一部具体化したものとも評価し得ないわけではないが、しかし、それは、管理三の決定を受けた患者の固有の損害であって、管理二の行政上の決定による損害とは別個の損害というべきなのである。予測とその具体化という意味で一部重複していると評価できるところもあるが、その重複部分は、実際の慰謝料額算定の際に考慮すれば足りる〔管理二の決定を受けたことによる損害賠償(慰謝料)の支払を受けた者がその後管理三の決定を受けてその損害を再度請求した場合には、管理三の決定を受けたことによる損害のうち、管理二から管理三までの既発生の具体的な損害は、既払の管理二の将来の損害賠償に一部評価されていると考えて慰謝料額を算定すれば足りる。〕ことであって、管理二の行政上の決定を受けたことによる損害の中に、将来の管理二から管理四までの期間の具体的な損害が含まれているとみることはできない。これを管理四の決定についてみると、管理四の行政上の決定を受けたことによる損害には、管理三から管理四までの経過の中で既に発生した具体的な精神的損害と、管理四という最も重い段階に位置付けられたことにより将来の死までの経過が抽象的に予測されることによる精神的苦痛とをその内容としているから、この両者を併せた精神的苦痛は高度なものといわざるを得ず、これまでの裁判例でも相当高額な慰謝料が認められてきたところである。しかし、右の損害のうち、後者の損害は、あくまでも抽象的に予測される将来の経過(具体的な経過が様々であることは前記のとおりである。)に対するものであって、管理四の行政上の決定を受けた者がその後に死亡した場合にその者が受けた具体的な死亡までの精神的苦痛による損害とは別個の損害なのである。そして、じん肺罹患から死亡までの通常の経過を見れば、管理四の行政上の決定を受けてから後の具体的経過の中で受ける精神的苦痛が最も大きなものであることは容易に推察されるところである。従前の裁判例や和解例において、管理四の病状に基づく損害の中に管理四の決定時から死亡までに予測される抽象的な損害が考慮されていることがあったとしても、そのことをもって、管理四の決定を受けた段階で、管理四から死亡時までの具体的な精神的苦痛が既に発生しているとか、右の間の精神的苦痛がその分だけ小さくなるとかいうことはできないのである(管理四の決定を受けた者が右のように考慮された分を賠償として受け取った後に死亡した場合に、その遺族がさらに死亡に基づく損害賠償の支払を求める訴えを提起したときは、右の考慮された額を慰謝料算定上斟酌することになるのは前述したとおりである。)。

以上によれば、管理二ないし管理四の行政上の決定に相当する病状に基づく損害には質的に異なるものがあるということについての理由と同じ理由により、じん肺による死亡に基づく損害は管理四の行政上の決定に相当する病状に基づく損害とは質的に異なるものがあるといわざるを得ないのである。

なお、右のように解することについては、管理二ないし管理四の段階付けが行政上の決定という法的なものであるのに対し、死亡という段階付けは自然的事実であり、その性質が異なるとの批判があるかもしれない。しかしながら、それは、現在の医学においては、じん肺について、死亡以外の段階付けを自然的事実としては行い得ないからにすぎない。すなわち、前記のとおり管理区分の決定は、あくまでもじん肺罹患の予防、罹患後の進行阻止や療養あるいは労災上の補償の支給等といった行政上の措置のためになされるものであって、元々発生している損害を質的に区別するためになされているわけではない。じん肺が医学的にもその進行状況が確定しにくい進行性の疾患であることから、民事上の損害賠償にあたってもその区分が利用されているにすぎないのであって、医学的に可能であれば、本来は具体的な自然的事実としての病状による段階付けが行われるべきなのである。したがって、右の性質の違いをもって、死亡を損害発生の新たな段階付けとすることができない理由とはなし得ない。

二 消滅時効が一部成立する場合の損害額の算定について

1  右一記載のとおり、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことあるいはそれが原因で死亡したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効については、各管理区分に相当する病状に基づく各損害あるいは死亡による損害につき、それぞれ各管理区分決定の時あるいは死亡の時から進行する。

2  消滅時効の起算点が右1のようなものであるとすると、例えば、管理三の行政上の決定を受けた者について、管理二の行政上の決定時点から起算した消滅時効が完成しているという事態がおこり得る。そのような場合、じん肺の慢性進行性という病状の特質に鑑みると、「管理三のじん肺罹患患者は、同時に管理二のじん肺罹患患者といえるから、管理三の決定を受けた者の管理三の病状に基づく損害は、管理二の病状に基づく損害を内包していて、管理二の病状から切り離された管理三独自の病状に基づく損害というものはあり得ない。したがって、管理三の病状に基づく損害についての消滅時効が完成していない場合には、管理二の病状に基づく損害だけが独自に時効消滅することはない。」という考え方も成り立ち得るように見える。

しかしながら、右はあくまでも医学上の病状を基にした見解である。前記のとおり、法的にこれを見るときは、各管理区分の決定があった時点において、その決定に相当する病状に基づく損害が発生しあるいは死亡の時にそれに相当する損害が発生し、同時にそれについての損害賠償請求も法律上可能となり、しかも、各管理区分の決定あるいは死亡に基づく損害は、各々法的にみて質的に異なるものと解すべきなのであるから、より軽い管理区分決定から切り離されたより重い管理決定に相当する病状に基づく損害も、法的には存在するものといわざるを得ない。

したがって、少なくとも消滅時効の進行に関しては、各管理区分の決定あるいは死亡の時からそれぞれ別個の損害として進行すると解すべきである。

そうすると、例えば、管理二の決定を受け、更に管理三の決定を受けた者の場合、管理三の病状に基づく損害については消滅時効が成立していなくても、管理二の病状に基づく損害については消滅時効が成立していることがあり、逆に、管理二の病状に基づく損害については消滅時効が成立していても、管理三の病状に基づく損害については消滅時効が成立していないということもあり得ることになる。

3  被告ニッチツが消滅時効を援用している亡井戸及び亡北平について、右2の理を当てはめると次のようになる。

(一)  前記第一の二2及び請求原因一2(二)(8)記載のとおり、亡井戸は、昭和五二年一月一六日に管理四の決定を受けたので、管理四に相当する病状に基づく損害賠償請求権は、昭和六二年一月一六日の経過によって時効消滅した。その後、亡井戸は平成三年五月四日に死亡したが、死亡に基づく損害賠償請求権は、その消滅時効完成前の平成四年一〇月一二日に訴の提起があったので、時効消滅はしていない。

(二)  前記第一の二2及び請求原因一2(二)(9)記載のとおり、亡北平は、昭和五七年四月二三日に管理四の決定を受けたので、管理四に相当する病状に基づく損害賠償請求権は、平成四年四月二三日の経過によって時効消滅した。その後、亡北平は昭和六〇年三月一日に死亡したが、死亡に基づく損害賠償請求権は、その消滅時効完成前の平成四年一〇月一二日に訴の提起があったので、時効消滅はしていない。

4  そうすると、亡井戸及び亡北平の各相続人らが賠償を請求している損害額については、右両名が管理四の行政上の決定を受けた時点からそれぞれが死亡するまでの間の具体的な経過の中で受けた精神的苦痛に対する慰謝料額として算定されることになる。

そして、その慰謝料額については、後記第一二の一1(一)及び2で算定した他の患者原告らの各慰謝料額と、じん肺罹患から死亡までの全経過の中で、管理四の行政上の決定を受けてから死亡時までの具体的経過の中で受ける精神的苦痛が最も大きなものであると推察されることなどを総合考慮し、これを一八〇〇万円とするのが相当である(右両名が管理二、三、四の各行政上の決定に相当する病状に基づく損害賠償の支払をこれまで受けていないことは、弁論の全趣旨から明らかである。)。

三  原告らの再抗弁(消滅時効援用の権利濫用性)について

前記二3記載のように、亡井戸及び亡北平については、管理四の行政上の決定に相当する病状に基づく損害はそれぞれ時効によって消滅していることになるところ、原告らは、前記第二章第八記載のとおり、被告ニッチツによる消滅時効の援用が権利濫用にあたる旨主張しているので、以下検討する。

1 管理区分決定を受けた後において、その損害賠償を請求することについて、被告ニッチツがこれを妨害したことを認めるに足りる証拠はない。

2 前記認定のとおり、亡井戸は昭和五二年一月一六日に、亡北平は昭和五七年四月二三日にそれぞれ管理四の行政上の決定を受けたことが認められるところ、弁論の全趣旨によれば、右各決定を受けた際に、右両名はその意味するところ(被告ニッチツの鉱山において作業していたことによってじん肺に罹患したことなど)をも認識したものと推認される。したがって、遅くともその時点において、管理四の行政上の決定に相当する病状に基づく損害の発生を認識していたと解される。

そして、管理区分決定を受けた後において、その損害賠償を請求することが可能であった以上、仮にそれ以前の時点において被告ニッチツにじん肺に関する教育義務等の不履行があったとしても、そのことは、時効援用が権利濫用に当たると解すべき理由にはなり得ないというべきである。

3 亡井戸、亡北平ないしその遺族らにとって、その住んでいる地域の特殊性や被告ニッチツとの関係等からして、被告ニッチツを相手方として損害賠償請求を行うにはある程度困難な事情が存したであろうことは推測できないではないものの、原告らにおいて、その点の具体的な立証は何らなされてはいない。しかも、右両名からさほど遅くない時期に管理四の決定を受けた原告田村、原告黒沢及び原告小森らについては、消滅時効完成前に本訴を提起している。

右の諸事情等に照らすと、右両名について、損害賠償請求が著しく困難であったと評価すべきほどの事情があったとは解し得ない。

4 そして、右1ないし3記載の諸事情等に鑑みれば、前記認定のように、亡井戸及び亡北平の被った損害が重大かつ悲惨なものであることが認められ、その救済の必要性が高いと解されることを考慮しても、また、仮に前記第二章第七において原告らが主張している諸点(ただし、故意責任以外の点)を全て考慮に入れたとしても、これらの事情のみをもってしては、未だ被告ニッチツの時効援用が権利の濫用にあたるとまでいうことはできない。

第一二  認容額

一  慰謝料額

以上検討してきたじん肺の特徴、じん肺の一般的な症状、患者原告らの健康被害の内容・程度、及び後記三1認定の事実(原告らのうちの数名が労災補償法に基づく給付として受領している金額)その他の本件訴訟に現われた一切の諸事情を総合考慮すると、患者原告らに対する慰謝料額としては、次のとおりの金額を認めるのが相当である。

1 じん肺症により死亡した者(後記第一三認定のとおり)

(一) 時効消滅していない者

亡鈴木 二三一〇万円

(二) 管理区分四までの損害賠償請求権が時効消滅した者

亡井戸及び亡北平

一八〇〇万円(前記第一一の二記載のとおり)

2 管理区分四の者

原告黒沢、原告田村及び原告小森

二〇〇〇万円

3 管理区分三ロの者

原告小山内 一五〇〇万円

4 管理区分二(合併症あり)の者

原告土屋及び原告眞々田

一二〇〇万円

二  過失相殺について

1 前記第五記載のとおり、患者原告らの一部については、被告ニッチツが前記第二章第五の一3(一)ないし(三)において主張しているような各事実があったことが認められる。

しかしながら、前記第八の五2(二)(3)及び3(一)認定の各事実及び弁論の全趣旨によれば、右各事実は、患者原告らの自己の健康に対する責に帰すべき不注意によるというよりは、主として被告ニッチツの患者原告らに対するじん肺の病理や症状・特質、及びじん肺の予防や粉じん対策等についての教育の不十分さに起因するものであることが推認される。

したがって、右各事実を被告ニッチツの損害賠償額の減額事由としての過失相殺事由とすることは、当事者間の公平上相当ではないというべきである。

2 また、被告ニッチツは前記第二章第五一3(四)記載のとおりの主張をしているが、本件各証拠によっても、喫煙がじん肺の増悪に対して具体的にどのような影響を与えるものであるかは不明であるといわざるを得ないし、本件において、喫煙が患者原告らのじん肺増悪に影響を与えたという証拠も存しないから、仮に患者原告らがじん肺罹患後も喫煙をしていたとしても、右喫煙の事実をもって過失相殺事由とすることはできないというべきである。

三  損益相殺について

1 弁論の全趣旨によれば、原告らの中の数名は、じん肺に罹患したことを理由とする労働者災害補償保険法に基づく給付(特別支給金を含む。)として、次のとおりの金員を受領していることが認められる。

(一) 原告黒沢

現在の支給額(月額)

金三七万〇四二〇円

支給開始時期

昭和六一年五月三一日

(二) 原告田村

現在の支給額(月額)

金三二万六八〇〇円

支給開始時期 昭和五八年一二月

(三) 原告眞々田

現在の支給額(月額)

金三二万九三一〇円

支給開始時期 平成九年二月六日

(四) 原告小森

現在の支給額(月額)

金二一万三三一六円

支給開始時期 平成二年八月一日

(五) 原告北平

現在の支給額(月額)

金一三万九四七五円

支給開始時期 昭和六〇年四月一日

2 労働者災害補償保険法による休業補償給付若しくは傷病補償年金又は厚生年金保険法による障害年金は、被害者の受けた精神的損害から控除すべきではないと解される(最高裁昭和五八年(オ)第一二八号昭和六二年七月一〇日第二小法廷判決・民集四一巻五号一二〇二頁参照)ところ、本件訴訟において原告らが請求しているのは精神的損害に基づく慰謝料であるから、右各原告らが右1記載の各給付を受領しているからといって、損益相殺の法理によって、その額を慰謝料額から控除することはできないというべきである。

3 ただし、認容すべき慰謝料額を算定するにあたっては、訴訟に現われた一切の事情を総合考慮すべきであるから、右各給付を受領していること及びその金額等の諸事情も、そのような意味での一事情として考慮に入れること自体は可能であるというべきである。

そして、本件訴訟においても、右1の各事実を考慮に入れて慰謝料額を算定したことは、前記一記載のとおりである。

四  弁護士費用について

弁論の全趣旨によれば、請求原因一一3記載の各事実が認められるところ、本件訴訟の難易度及び審理の経過、慰謝料として認容された額、並びに被告らの応訴態度等の諸般の事情を考慮すると、原告らが訴訟代理人に支払うべき弁護士費用のうち、右に認定された慰謝料額の各一割に相当する金額は、被告ニッチツの債務不履行及び被告菱光の不法行為と相当因果関係にある損害であると認めるのが相当である。

第一三  相続及び訴訟承継

証拠〔甲七八、八八ないし九〇、原告井戸本人、原告北平本人〕及び弁論の全趣旨によれば、請求原因一二記載(相続及び訴訟承継)の各事実が認められる。

第一四  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、主文記載の限度で理由がある。

(裁判長裁判官石塚章夫 裁判官小林敬子 裁判官細島秀勝)

別紙認容金額一覧表〈省略〉

別紙一〜四〈省略〉

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